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ギルドを出たノースディンたちはいま、退治人ロナルドの事務所で、応接セットの狭いソファに詰まっている。事務所のあるじは黄色い男を追いかけたきり戻っていない。
ノースディンの向かいでは弟子が腕を組んで仏頂面をしている。その膝の上には彼の使い魔が、これまた不機嫌そうに座っている。左隣には親友。息子に出された紅茶には手をつけず、背中を縮めている。クラージィは対角線上の最も距離が開いた位置に座り、静かに顔を伏せていた。この場の誰とも目を合わせようとしない。
「えーと、つまり師匠はモジャモジャさんの『親』で、二百年ぶりに迎えに来た、と」
弟子の口調が刺々しい。
「日光の危険もわからない成りたてヒヨコちゃんを放っておいたの、無責任にもほどがあるでしょこのヒゲ」
「ヌンヌン」
弟子は腹を立てていた。仕方のないことだ。
「ドラルク、ノースディンにも理由があって……」
「そうでしょうともお父様。このスケコマシ、父親のいないダンピールをサッカーの試合ができるほどこさえてそうなとこありますし」
「ちょっと? ドラルク?」
ドラウスは息子の言動に動揺している。ノースディン自身、長く生きている以上心当たりが全くないとは言えないが。それにしても。
「言い方が下品だな。それに大げさだ。せいぜいフットサルぐらいだぞ」
「待ってノース? 事実なのそれ?」
「だが、この牙で血族にしたのは、クラージィだけだ」
弟子は不満げに鼻を鳴らした。それから、なぜか父親の顔をちらと見た。弟子は三秒ほどの間にぐるぐると表情を変え、最後に眉間を押さえて短く唸った。
「そうですか」
弟子は居ずまいを正し、静かになった。
「で、師匠はモジャモジャさんをどうしたいんです?」
ノースディンは答えられなかった。取り戻すことしか考えていなかったのだ。
ドラウスは少し身をかがめて、クラージィの伏せた顔を覗き込んだ。
「クラージィくん、だったかな。ノースディンは君に会うためにここまで来たんだ。いろいろと思うところはあるかもしれないが、まずは顔を上げて欲しい。ノースディンに、元気な顔を見せてやってくれないか」
クラージィは動かない。こんなにもあからさまに距離を取られては、会話の糸口すら見えてこない。本当は、ドラウスが言ったことだって、ノースディンが言うべきことだった。
負い目は山ほどある、たとえ当人が知らなくても。黄色い男がいなければ引き出せなかった言葉を言質にしたこと。閉じ込めて、目にすることさえ避けてきたこと。
何よりも、ノースディンは聞いていたのだ。あの春の夜、クラージィが無惨な姿で「もういい」と――満足のうちに死ぬつもりでいたことを。
「クラージィ、私を恨んでいるだろう」
「そんなことは!」
クラージィが顔を上げた。
「ツッ……」
クラージィは小さく呻いて、ふたたび顔を背けた。
「違うんだ。また会えて嬉しいと思う。ただ、その、ノー……お前の顔を見ると、思考が鈍ると言うか、おかしくなるというか……」
ノースディンとドラウスは同時に首を傾げた。クラージィは顔の横に両手で、ノースディンの視線を遮る壁を作った。
「顔さえ見なければ大丈夫なんだ」
手からはみ出して見えるクラージィの耳の先がほんのりと赤い。
ドラウスはポンと手を叩いた。
「そうか、親吸血鬼の『支配』! いまどきの子ってそういうのないから、忘れていたよ。それどうやって意思を保ってるの? 君すごいな!」
「ギルドからこっち、様子がおかしかったんですよ。モジャモジャさんが師匠を噛めば解決ですね」
そういうことなら話は早い。ノースディンはソファから立ち上がった。
「それで互いに目を合わせて話せるんだな?」
「あ、あー、そうね、うん……」
ドラウスは急に歯切れが悪くなった。ノースディンを見ながら、何か躊躇するような、困ったような、複雑な表情だ。
「ノース覚えてないのか? あ、覚えてないよな、しまったなあ……あれ、意外と痛いんだ」
「意外と痛い」
「あとメチャクチャ血が出るから着替えがあったほうがいい。シャツ一枚ダメになるから。家でやった方がいいと、俺は思うな……」
「えー……」
ここまで来て? そんな小さなことで?
ノースディンは俯いているクラージィを見る。
「仕方ないですねえ。師匠には紙袋でもかぶってもらって」
弟子よ、何て?
何か言い返す暇もなく、ノースディンの視界が暗くなる。
「目のとこ適当に破っちゃいますね」
紙袋が横に裂けて、狭い視界が出来た。視界からドラルクの顔が退くと、その先にクラージィが立っていた。
「ノースディン、なぜ忘れていたのだろう。あの時、お前も あの場所に居たのだな」
クラージィにがノースディンに歩み寄る。黒かったはずの目は赤く、話す口からは牙が見えた。
「……吸血鬼になってる」
ノースディンが自分が見ているものを確かめるような気持ちで呟いた。クラージィは静かに笑って、肩をすくめた。
「そのおかげで、どうにか生きてる」
ノースディンはクラージィの肩に腕を回し、背中を叩いた。
「本当に生きてる。よかった……」
紙袋をかぶっていて良かったと、ノースディンは思う。きっとみっともない顔をしているに違いない。ノースディンは震える声を弟子に聞かれるのも構わず、何度もよかったと繰り返した。それ以外の言葉は思いつかなかった。
「ところで師匠、モジャモジャさんとはどこでお知り合いに?」
弟子が横から口をはさんだ。
「どこでも何も、お前会ってるだろう。子供のころ」
「はい?」
クラージィが頬を掻く。
「ドラルク、実は……覚えていないようだったので、黙っていた」
「モジャモジャさん?」
「あの時の君は可愛らしかったな。お茶とクッキーを出してくれて、ずーっとヒゲヒゲの話をしていた」
「アー!」
弟子はクラージィを指さして奇声を発した。本当に忘れていたらしい。子供の頃のほんの一夜だ。仕方ないだろう。
「どうして名乗り出てくれなかったんですか?」
「会ったことがあると言い張って助けを請うのは、たかりみたいだと思って。結局世話になってしまっているが……」
「どうしてそういうときに正直にならないんだ……」
ノースディンはドラルクと同時に肩を落とした。
「すごく回り道をしてしまったと、そういうことかい?」
ドラウスは気持ちの良い笑顔で紅茶を飲んでいる。
「いいじゃないか、こうしてふたたび言葉を交わすことが出来たんだから。最高の結果だよ、そうだろ?」
ドラウスはカップをテーブルに戻した。
「ノース、今夜はクラージィくんを連れて帰って、早く紙袋なしで話が出来るようにしたらいい」
「そうだな、では――」
「あ!」
不意にクラージィが叫んだ。
「すまないノースディン。いまはダメだ」
「なんで」
「バイトがある」
「バイト!?」