2025-04-03
両の手で大きく外套を広げた。誰もいない夜の部屋。しんと静かで誰の声もしやしない。これを届けた男ももうとっくに去ってしまって、僕は夜の中一人取り残されている。
似合いもしないのに握りしめていた斧と瞳の色と良く似合う緑の外套。随分前に失った僕のグレミオ。ずっと隠し持っていたくせに、明日死ぬかもしれないから返しに来たなんて笑わせる。
どれだけ腕を持ち上げても、僕の背丈では裾が床についてしまう。菌糸にやられたのか、それとも保管方法が悪かったのか、使い込まれて柔らかな外套にはそこここに穴が開いていた。グレミオならすぐに直してしまうだろうが、僕にその技術はない。
自分が腕を上げた場所よりももう少し上にグレミオの頭はあった気がする。手足ばかりがひょろりと長くて、眉を下げて情けなく笑う。僕を叱る時でさえ、厳めしい顔は出来なかった優しい男。
いつか、あいつぐらい背が伸びて、誰かを娶って、子を作り、子の世話も任せて僕は父さんのように帝国のために働く。当然あるべきだった未来は、もう絶対に訪れない。主を失った外套と同じように、その道を歩く権利を僕は自分で打ち捨てたのだ。
ため息が出た。いつも、「もしも」を考えている。テッドがいなかったらなのか、オデッサさんと出会わなかったらなのか。僕がここにいない未来をずっと、ずっと考えている。情けない事だ。みんなちゃんと選んでここにいるのに。
選んだ結果として、あいつもここからいなくなったのに。
急に寒くなった気がして、僕はいつもそうしてもらったように頭から外套をかぶった。埃っぽくて、少しだけかび臭い。
「ちゃんと手入れしろよ」
誰の持ち物でもない。グレミオの体温が残っているはずもないけれど、この外套は誰にも必要とされていないと言う事実が何よりも悲しかった。優しい緑の瞳をした僕のグレミオ。あいつはもう、これを必要としていない。
だったら。
空いた穴からランプの光が見えた。僕の肩幅には大きすぎ、僕の背丈には長すぎる。穴が開いて、裾が解れている。グレミオならきっとちょいちょいちょいと直してしまうに違いない。
残念ながら僕にその技術はない。だけれど、このままにはしたくなかった。
グレミオはもういない。もういない、と何度でも思い知る。
じゃあせめて、僕の手に戻ったこの外套だけでも、そばにおいておけないだろうか。
誰なら頼めるだろう。グレミオを知っている人だといい。この外套を、グレミオが大事に使っていたことを知っている人に頼みたいと思った。
「グレミオは背が高かったろう」
マリーが懐かしそうに目を細める。悲劇の登場人物ではなく、グレッグミンスターで酒を飲み、ご飯を作り、マリーとしゃべっていたグレミオの話をマリーはする。
「だいぶ詰めたけど、やっぱり少し長いかね」
戦争が終わった。皇帝が死に、マッシュが死に、僕はじゃあ。
「いや、十分だよ」
すっかり直った穴と、僕の体格に合わせて詰めた、グレミオの愛用の外套を羽織って僕は自然と笑っていた。旅装だ、これは。
僕の笑みをどう取ったのか、マリーはただ目を細める。