1/29長く暗く夜のような ある日の夜、俺の秘書が洗面所の鏡の前で首をひねっていた。
「どうしたの」
「髪を切ろうか悩んでまして」
「え、やだ、もったいない」
「もったいないですか?」
彼女は髪を一房、雑に掴む。
「錬金術の素材になりますし、魔法薬の素材にもなりますし、切って保管するなり売るなりすれば良いのでは」
「……俺、そんなに甲斐性ないつもり、ないんだけど」
思わず低い声を出すと彼女は目を丸くした。
「メフィスト様に甲斐性がないとは流石に思わないですよ。13冠ですし。すみません。実家だとそうしてたので、そういうものだと思っていたんです」
「……」
どうしよう、この娘の実家滅ぼしてきていいかな……。
肩に手を置いて、出来るだけ冷静に話しかける。
「あのね、そういう身売りみたいなことはしないでほしい」
「わかりました」
思ったよりすんなり彼女は頷く。本当に切った髪はそういう使い方をするものだと思っていただけみたいで、ますます彼女の実家を滅ぼしに行きたい気持ちに駆られる。
まあいい。それは後回しだ。
「長くて綺麗だから、俺としてはそのままがいいんだけど」
「んー、長くて邪魔なんです。乾かすのにも時間がかかりますし。あと毛先が傷んできちゃって」
「じゃあ少しだけ切り揃えよう」
置いてあったブラシで長い髪を漉く。
そりゃあさあ、これだけ長ければ売れば良い値段になるだろう。なるだろうけど、嫌だ。
誰とも知れぬ輩に彼女の一部を切り渡すとか、本当に嫌だ。
「下の方5センチ……んー、10センチくらい切りたいです」
「えー、まあ、本人がそう言うなら」
手で髪を触りながら魔術で調節していく。
俺としては長いままがいい。黒くて長くて夜みたいで好きだから。けど本人が不便だと言うなら仕方ない……。
「メフィスト様」
「うん?」
「髪、伸びてますよ」
「……ほんとだ。ごめん」
長いほうが好きだと思っていたら、思いっきり手元に反映されて最初より長くなってしまっていた。彼女はくすくす笑いながら長い髪を指に絡ませている。
「そうだなあ」
「え」
「これくらいかな」
指に絡んでいた髪がスルッと消えた。俺の口から声にならない悲鳴が溢れて、彼女の目が丸くなる。
「ちょ、ひどい」
「これ私の髪ですよ」
「ダメ。やだ、無理」
そう言って俺の好みの長さに戻す。めちゃくちゃ嫌な顔をされたけど、なんとかその長さで納得してもらった。
なんやかんや、彼女は俺に甘い。