Interstellar「このあたりだと思うんだけどな」
テラン近郊、名もなき湖のほとり。
絆の勇者は、腰に手を当てて水面を見下ろした。
「ほんとに? あたしは何も感知してないわよ」
時空のカギを司るピンクドラキーは、疑わしそうに周辺を飛び回る。
「『揺れ』には周期があるわ。今はその時じゃない。なにかの間違いかもね」
「ほんとだって。僕は感じた。あ、ほら」
指さす先に、おぼろげな人影。
「ラーハルト?」
その人物はゆっくりと振り返り、絆の勇者と目を合わせた。
「どうしてここに? 断空神殿の偵察に行ったんじゃ――」
言葉を切る。
少し淀んだ陸戦騎の瞳と、彼の奇妙な服装を交互に見やる。
黙り込んでしばらく考える。
……そして、こくこくと頷いた。
「今、呼んでくるから。――ちょっと待ってて」
そう告げると、ラーハルトは静かに俯いた。
助かる、と、一言呟いて。
勇者は相棒のドラキーのしっぽを引っ張り、踵を返す。
「ねぇちょっと、どういうこと? あれって――」
「黙って、ピラ」
おしゃべりな彼女を制して、目的の人物を探しに戻る。
霧が出てきた。
清涼なテランの湖水にミルク色がたなびく。
まるで天空の城のように。
――やがて、彼の影が現れた。
迷いなく、こちらに向かってくる。
懐かしい足音。
痛みを堪えてもいない、寝台に縛られてもいない、若々しいその姿。
おのずから輝くような、その白い頬。
深く潤んだ、鋭くも温かいその瞳。
「ラーハルト」
まだしゃがれていない、その声。
ラーハルトは心臓が掴まれるような痛みに耐えて、さらに視線を落とした。
午後の太陽が分厚い靄に降り注ぎ、淡い虹が二人を洗っている。
「久しぶりだな」
ヒュンケルが軽い調子で声をかけた。
「幾つになったんだ」
「言いたくない」
と、顔を伏せたままラーハルトが答える。「……もう気づいたのか?」
ヒュンケルは肩をすくめた。
「なんとなく。俺の知っているお前ではないからな」
そして、「ちょっと老けている」と付け加えた。
二人とも、しばらく何も言わなかった。
「教えてくれないか。俺は――」
ぼそりとヒュンケルが聞いた。
「何歳くらいで死んだんだ?」
ラーハルトは糸が切れた人形のように、どさりと河原に膝をついた。
何も言えなかった。
やはりヒュンケルには気取られていた。
なぜ、未来のラーハルトがここにたどり着いたのか。
「……ひと目でいいから……姿を見たかったんだ。どうしても」
そう絞り出すのが精いっぱいだった。
過去に戻る魔法はない。
運命は変えられない。
だが、一度交錯した時空には、わずかな道筋が残っている。
もう一度ミラドシアを訪れることができれば。
あの時のままの恋人の姿を、ただの一度でも目にすることができたら。
憑かれたようにその方法を探しまわり、何年もかかって、ついに再訪が叶ったというのに。
……言葉が出てこない。
「どれくらいいられる?」とヒュンケル。
「あと数分」とラーハルト。
ヒュンケルは目を閉じて、音もなく息を吐いた。そして、
「ずっと考えていたんだ。俺はどのみち、長くない。元の世界がどうなるのかも、今の俺は知らない。だが、これだけは言える」
砂利の上に膝をつき、ラーハルトの視線に目を合わせる。
「……また死に目を看取らせてしまって、すまなかった。だが、どんなに見苦しかろうと、何をわめこうと、ぼろぼろになろうとも、俺の思いはひとつだ。今、伝えておくから、覚えていてくれ」
長い耳に唇を寄せて、囁いた。
「ありがとう、ラーハルト。必ず、また会おう」
きっと、どこか別の世界で。
――泣くな、ラーハルト。
――また会えるさ。
死の香り漂う寝台で。
痩せた唇で微笑んだ恋人の最後の言葉が、目の前の生きたヒュンケルと共鳴した。
霧を包む虹が四散し、まばゆい陽光があたりを包む。
狭間が二人を分かち、時空の果てへと連れ去っていく。
微細な揺れが引いていく。
絆の勇者は後ろで手を組んで小石を蹴りつつ、ヒュンケルに歩み寄った。
一人うずくまる魔剣戦士は、目元の水滴をぬぐって振り返る。
「話せた?」
そう聞くと、ヒュンケルは微笑んで、ああ、と言った。
そして、波のない湖面みたいに静かに、
「また会えるかな」
と呟いた。
会えるよ、きっと。と、勇者も小さく答える。
「また見かけたら、すぐ呼ぶよ」
ヒュンケルは頷くと、魔剣を軸にして立ち上がる。
優しい霧は、すっかり晴れてしまった。
女神の慈悲だったのかもしれない。
新たな試練を照らす太陽をひと睨みして、二人は仲間たちのもとへと歩き出した。
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