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    urahakase801

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    urahakase801

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    #ritk版深夜の60分一発勝負 さんより
    演目:八分咲き

    八分咲き『ゲームのパラメーターみたいに、自分の恋の進行度合いが一目で分かればいいのにね』

     何気なく放ったであろう寧々の言葉が脳裏から離れない。

     そう思う。

     もしそうであったなら、伝えることが出来ないこの想いを胸の内に燻らせることもなかったのに。

    ◇◇◇

    『類くん類くーん! セカイに桜が咲いてるよー!』

     スマホが突然光ったかと思えば、ホログラム姿で現れたミクくんが楽しげにそう語った。
     セカイ。桜。好奇心がくすぐられる言の葉の並びは、機械いじりに勤しんでいた僕の手を止めるには充分だった。

    「おや。セカイには桜がないと言っていたけれど、見つかったのかい?」
    『うん! 昨日までなかったはずだけど、さっき森の近くを散歩してたら発見したんだー! 春だから生えてきたのかな?』
    「へぇ。本来桜は一日二日で生えてくるような物ではないけれど……。まあセカイのことだから、何が起きてもおかしくないか。せっかく呼びに来てくれたことだし、今行くよ」
    『うん! 司くんもえむちゃんも寧々ちゃんも、みーんな来てくれるって! 待ってるねー☆』

     要件だけ伝えると、ミクくんはすぐさまセカイへと戻ってしまった。どうやら突然現れた桜に興奮を抑えきれないようだ。かくいう僕も、セカイで起こった不思議な事象が気になって仕方ない。何故桜が現れたのだろうか。現実の世界の桜との相違点はあるのだろうか。調べたいことは山のようにある。
     さて、みんな呼ばれているのであれば、僕も待たせるわけにはいかない。特に寧々なんかは遅れるとお小言が多いからね。
     適当に机の上を片付けると、『セカイはまだ始まってすらいない』の音色に身を委ねてセカイへと足を踏み入れた。

    「あ、類くん! こっちこっちー」

     セカイに着いて早々案内されるがままについて行くと、すぐに司くん達を見つける。そして彼らの前には、一本の桜の木が聳え立っていた。

    「おお! 類、来たか!」
    「待たせたようだね」
    「大丈夫だ。そんなことより見ろ! 見事な桜だぞ! 美しいだろう!」

     まだらに咲いている桜の隙間から差し込む光が、彼のピンクがかった金髪に反射してキラキラと輝く。それがどこか美しくて、一際強く心臓が高鳴る。
     だけど君の方が綺麗だなんて歯の浮いた台詞を言えるわけもなく、浮ついた心を振り落とすように目の前の桜を見上げた。
     立派という言葉に違えはなく、十メートル近くあるその木は一本だけでもその存在感を放っていた。色合い。匂い。まるで春が僕達を上から包み込もうとしているみたいだ。

    「それにしても突然桜が現れるなんてな。春だからか?」
    「春に桜咲かせることができるなら夏は藤、秋は金木犀辺りを咲かせてもっと四季を楽しませて欲しいんだけど」
    「わぁ、楽しそう♪ 冬は椿も見てみたいなぁ。おじいちゃんのお家のお庭にもたーくさん咲いてたんだ!」
    「へぇ、いいじゃん。色んな花が咲いたらきっと楽しいよね。てなわけで司、よろしく」
    「何故オレに言うんだ!?」
    「あんたのセカイだからでしょ」
    「意識して出せる物なのか? 類、どうなんだ!?」
    「僕に聞くのかい? 分からないけど、試しにやってみればいいよ。隣にもう一本桜を生やしてみてくれ」
    「それもそうだな。よし、やってみるぞ。……ペガサスレボリューション!! ふんぬっ!!」
    「掛け声ダサ」

     司くんが謎のポーズと共に謎の掛け声を放ち、ギャラリーはそれを息を呑んで見守る。

     …………


     しばしの沈黙が続くが、聴こえるのは風がそよぐ音と、それによって揺れる木々の音だけ。
     特に何も起こらない。何かが変わった様子もなかった。

    「ふむ。どうやらこのセカイの想いの主でも、意識的に何かを顕現させることはできないみたいだね。司くんが滑っただけみたいになってしまって悪かったね」
    「ご愁傷様」
    「オレがやらかしたみたいな空気にするのをやめろ! というか寧々! ダサいって言ってたの聞こえたぞ! 今はかっこよかっただろう!? ペガサスの奇跡の呪文だぞ!?」
    「じゃあレボリューションじゃなくてミラクルじゃん。どっちにしろダサいけど」
    「くっ……オレより英語が出来るからって好き勝手言いおって!」
    「はぁ。年下に負けて悔しくないの?」
    「なんだと!?」
    「まあまあ二人とも落ち着いて。そしていつもならこの辺で宥めてくれるはずのカイトさんの姿が見えないね」
    「うん! カイト達は新しいショーの打ち合わせでステージにいるんだ。だから今は休憩中のミク一人なの。後でみんなを連れてきて、びっくりさせるんだ〜☆」
    「フフ、それは素敵なサプライズだね」

     なるほど。それで今この場にいるセカイの住人がミクくんだけだったのか。何故桜が現れたのか詳しく聞いて見たかったけれど、ミクくんの口振りからしてどうやら彼らはまだ桜の存在すら知らないようだ。

    「それで話を戻すけれど、ミクくんは何故セカイに桜が現れたのか分かるかい?」
    「分からないけど、司くんの想いが関係しているのは間違いないと思うよ! ほら、あれ!」

     そう言ってミクくんが指す方へと視線を向けると、ちょうど桜の根の近くに名前のプレートが刺さっていた。本来そこには植物の名前や簡単な説明が書かれるはずだが、そのプレートにはご丁寧に『天馬司』と書かれていた。

    「わわ、司くんのお名前が書いてあるね!」
    「む、本当だな。桜なんて個人で所有した覚えはないが」
    「うーん。司くんの、桜大好き〜☆ って想いが桜になったのかな?」
    「桜大好き〜☆ とは思っていないが、オレ達は今まさに桜のショーを作っているからな。それが影響しているのかもしれんな」

     確かに僕達は今、桜の妖精と女の子の友情・成長を描いたショーを作っている。桜の花びらが舞う表現をどうするか、実験を交えて話し合ったのは記憶に新しい。きっと司くんのことだから、頭の中は今練習しているショーのことでいっぱいだ。それが無意識のうちにセカイに影響を及ぼしているのかもしれない。だってここは、司くんの想いで作られたセカイなのだから。

    「ねーねー! 落ちてくる桜の花びらを誰がたくさん取れるか競争しようよ!」
    「何それ楽しそー! ミクもやるやる!」
    「意外と難しいんだよね、あれ。しかもまだ満開じゃないからあんまり落ちてこないし」

     気付けば女性陣の関心は、桜が現れた原因から桜そのものに移ってしまったようだ。時々落ちる花びらを手で掴もうと躍起になっている。そんな彼女らの無邪気な姿を見て思わず口角が緩む。
     僕も混ざろうかなんて思って、ふと、我らが座長がその輪から外れていることに気付く。司くんはぼんやりと桜の木を眺めていた。

    「司くん? どうしたんだい?」
    「ああ、いや。一本だけだが迫力があってなかなか美しいと思ってな」
    「この間も桜並木を眺めていたね。桜に何か思い入れでも?」
    「心当たりがないが、満開の桜を見るとどこか安心するんだ」

     そう言いながら司くんは目を細めた。
     出会って間もない頃は、花のような儚い美しさには興味がない人だという印象を抱いていた。けれど、実際はそんなことはなかった。
     彼自身感性は豊かな方で、他の人が気にも留めないような些細なことでも綺麗なものは綺麗、美しいものは美しいと感じる、そんな感性を持っているようだった。まあ司くんの場合はどうしたら人が喜ぶか、どうすれば驚いてくれるかという思考に傾倒しがちだから、そういった繊細な感性は一見分かりづらいのだけど。
     ……なんだか付き合いが長くなればなるほど、司くん自身も気付いていないような司くん自身のことをより深く知ることが出来ている気がする。それだけのことなのに、じわじわと心が満たされていく。
     司くんは表情豊かで言葉もまっすぐで、なんというか分かりやすい人だ。だけれど、そんな彼を形作ったバックボーンは意外と入り組んでいて、彼の過去を紐解くたびに新しい一面を見せてくれる。そんな彼に僕は夢中だった。

    「えへへ、とれた〜!」
    「わ、えむちゃんすごーい☆」
    「さすがにジャンプ力はえむに勝てないって……」

     司くんと桜を眺めている間にも、えむくんは抜群の運動能力と反射神経を生かして見事に花びらをキャッチしたようだ。ぴょんぴょんと飛び跳ねながら嬉しそうに喜んでいた。

    「……あれ?」

     しかし手のひらに収まったお宝を見た途端にこてんと首を傾げ、次の瞬間には見開いたピンクトルマリンの瞳をきらきらと輝かせた。

    「みてみて! この桜、花びらがハートの形してる!」
    「わわ! かわいいー☆ 桜って、花びらがハートなんだー!」

     えむくんが摘んでいる花びらは、確かにハートの形をしていた。目を凝らして見てみると、樹木についている花弁の全てがハートの形をしているようだ。

    「ハートの花びら……? 類、そんな桜があるのか?」
    「桜の種類に詳しいわけじゃないけれど、僕は聞いたことないな」

     その存在を知っていれば何らかの演出として使うために記憶していただろうが、そんな覚えはない。花について専門的な知識はないし、世界中を探せばこういう桜もあるのかもしれないけれど、少なくとも僕は知らなかった。
     そもそもセカイに現れたものだから、現実のものとは多少違うように出来ていてもおかしくない。実際このセカイの雲はピンク色だし、花はおしゃべりをするし、汽車なんて浮いている。物理法則すら通用しないこのセカイでは、あまり深く考える必要はないのかもしれない。

    「恋桜……」
    「え?」

     この風変わりな桜を素直に楽しもうなんてみんなで思っていた所にぽつりと零したのは寧々だった。その表情は驚いたような、どこか困惑したような色を浮かべていた。

    「この桜、なんか既視感あるって思ってたけど……これ、昔読んだ少女漫画に出てくる桜と似てる」
    「なーにそれ!?」
    「おしえておしえてー!」

     興味深い話に全員が一斉に食いつく。注目を集めた寧々は一瞬たじろいだが、記憶を辿るようにたどたどしく語り始めた。

    「えっと……。『恋咲くLOVE』っていうオムニバス形式の漫画があるんだけど、その作品の要がこの恋桜なんだよね。これはいわゆる恋愛の進み具合が分かるパラメーターの役割をしていて、主人公とその相手が両思いになったら桜が満開になるし、逆に恋を自覚しなければ蕾のままみたいな設定だったと思う」
    「む? うっすらとだがその設定を知っているぞ。たぶんオレもそれを読んだことがあるな」
    「かなり流行ったし、アニメにもなったからね。たまたまテレビをつけたらやってて観たことあるって人も多いんじゃない」
    「ああ、そうかもしれんな」

     えむくんと僕は知らなかったが、どうやら司くんはぼんやりと記憶に残っているようだ。なるほど。この場に二人も知っている人がいるのだから、寧々が言う漫画の設定がそのままこの桜に反映されているかもしれない。

    「見たところこの桜は五分咲きだねぇ。恋愛の進行度はどうなんだい?」
    「えっと、満開が両思いだから……五分咲きだと片思いかな」
    「つまりこの桜が示している恋は片思いってことかい?」
    「うん。でもこれ誰の恋のこと……あ」

     しまったと言わんばかりに寧々が口をつぐむ。そう、誰の恋のパラメーターかなんてて聞くまでもない。

     だって、この桜にはしっかりと名前が記されているのだ。「天馬司」と。

     沈黙が流れる。誰もそれを破ることができない。
     せめて司くんが弁明してくれれば、なんて他力本願なことを思う。司くんがそんなの出鱈目だ、オレは関係ない、なんて言ってくれれば、僕はたとえそれが嘘でも信じるつもりだった。
     でも現実は非情だった。

    「つ、司くん!? 顔がぶわわわわわ! ふしゅうううううってなってるよ!! 大丈夫!?」
    「ちょ……え、えむっ!」

     えむくんが指摘する通り、司くんの顔はたちまち赤く染まっていった。その表情は、口よりも雄弁だった。恋桜が司くんのものだと裏付けするには充分すぎる反応だ。

     そっか。司くん、片想いしているんだ。
     まったく気付かなかった。彼が恋をしていることに。出会ってからあんなにずっと一緒にいたのに。

     それだけならまだ耐えられた。
     だけど僕は、この五分咲きの桜に突き付けられている。僕が司くんに抱いている想いは、一方通行だという現実を。
     だってもし司くんが僕のことを好きでいてくれたなら、きっとこのハートを纏った桜は満開になっているはずだから……。

     告白すらしていないというのに、この瞬間僕の恋は唐突に、そして無慈悲に、終止符を打たれたのだった。

    ◇◇◇

     あの後皆とどんなやりとりをしたかも、どうやって帰ったかも、家に帰ってから何をしていたかも、何もかも覚えていない。思い出せない。気付けば翌日の昼休みまで記憶がトリップしていた。
     ただ一つ覚えていることは、司くんが誰かに恋をしているという事実だけ。振り払おうとしても頭にこびり付いて離れてくれない。相手はどんな人なんだろうとか、どんな所に惹かれたのだろうとか、そんなことばかりが頭の中をぐるぐると駆け回っていた。

     というか今日のお昼はどうしようか。最近では当たり前のように司くんを迎えに行って一緒にお昼を食べていたけれど、司くんからしたら想いを寄せている相手と共に過ごしたいかもしれない。彼の恋を応援するつもりは全くないけれど、司くんにとって邪魔な存在にはなりたいわけでもない。
     とはいえお昼くらいは一緒に過ごしたいというのが本音だ。出会ったばかりの頃は用がある時だけお互い声をかけるような関係だったのに、今では一緒に過ごさない時間の方が少なくなっている。ショーのこと。仲間のこと。家族のこと。取り留めのない話。彼とは話しても話しても時間が足りない。そんな彼と過ごせる貴重なひとときだ。例え誰であってもこの時間は譲りたくなかった。
     相反する思いが互いの足を引っ張り合い、結論を出すことを許さない。もう昼休みのチャイムが鳴ってから随分と時間が経ったというのに、僕は自分の席から動けずにいた。

    「類」

     突如頭上から降ってきた声に、びくりと肩が跳ねる。
     恐る恐る顔を上げると、僕の頭も心も占領している彼が目の前にいた。会いたかったような、会いたくなかったような、複雑な気持ちが胸中を渦巻く。

    「どうしたんだ。迎えに来ないからオレから来てしまったぞ。早くランチにしようじゃないか」
    「いいの?」
    「何がだ? あっ! まさかお前また野菜サンドやらチキンサラダやらを買ってきて交換を迫るのではないだろうな!? 悪いが今日は咲希の手作り弁当だから、交換は受け付けんぞ!!」
    「……ふふ。わかったよ。行こうか」

     随分と見当違いなことを言ってくれるものだから、思わず笑ってしまった。なんだか心にかかっている靄が少しばかり薄れたような気がする。せっかくの彼からのお誘いなんだ。なにを迷う必要があるのか。大切そうにお弁当を抱える彼に続く形で席を立った。
     案の定というべきか。「僕のことはいいから好きな子を誘って来なよ」なんて大人な対応は出来なかった。まあそもそもこの学校にいるのかすら分からないし。誘ってくれたのを断るのも失礼な話だし。
     誰に向けるわけでもない言い訳を重ねて、彼の恋を素直に応援できない罪悪感を誤魔化した。

     今日は天気がいいということもあり、僕達は御用達の中庭のベンチで昼食をとることにした。神高生は教室や学食で昼休みを過ごす人が多い。そのため木陰が多くて快適な割に、外はあまり人気が少ない。故にいわゆる穴場スポットだった。加えて、実験にも何かと使いやすいし(毎回教師に見つかって鬼ごっこが始まるところまでがセットだけど)。
     だから二人にとって、気兼ねなくショーの話が出来るこの中庭がお気に入りの場所だった。
     
    「類も今日は弁当だったんだな」
    「うん。今日は野菜炒めの野菜抜きだよ」
    「それはただの焼肉じゃないのか……?」
    「野菜炒めという名前なことに意義があるんだよ。野菜を名前から抜かなかったから、これはもう実質野菜を食べているようなものだよね。誰にも文句は言わせないよ」
    「? ……?? ……。……それよりオレの弁当も見てくれ! 咲希の手作り弁当だ!」

     暫く考える素振りを見せたのち、突っ込むことを放棄したようだ。とうとう僕の野菜嫌いについて言及することを諦めたらしい。
     気を取り直すように咳払いをしてから取り出されたお弁当は、タコさんウインナー、ブロッコリー、卵焼き、ほうれん草とコーンのバター炒め、唐揚げといった色とりどりなおかずが所狭しと詰められていた。唐揚げに刺さっている串は持ち手が星の形をしており、食べる人を楽しませようという工夫が感じられた。

    「美味しそうじゃないか。彩りも綺麗だね」
    「ああ。作り始めた頃は茶色系のおかずが多かったが、友人から色々教わっているようでな。我が妹ながら著しい成長を見せてくれているぞ!」
    「フフッ、嬉しいね」
    「ああ。これで未来の彼氏の胃袋も鷲掴みだな! ……彼氏……いつかは咲希も、オレの所に彼氏を連れてくるのだろうか」

     勝手に自分で言い始めて、勝手にショックを受けて、勝手に落ち込み始める司くんの姿は見ていて面白い。何よりも妹を大切にしている司くんのことだから、咲希くんに恋人ができた暁には、元気つけるショーの一つや二つ見せてあげないといけないかもしれない。

    「咲希くんに恋人が出来るのは寂しいかい?」
    「まあ正直寂しくはなるだろう。だが、咲希が選んだ相手であれば全力で歓迎しようと思うぞ! 歓迎のショーもしてやるつもりだ」
    「そういうことであれば僕も手伝うよ。咲希くんには何かとお世話になっているからね」
    「? 咲希とそんなに仲が良かったか?」
    「咲希くんからは、よく司くんの幼少期や私生活の写真を貰っているんだ。そのお礼に、僕からは司くんの学校生活やショーの練習中の写真を送っている。司くんフォトのトレード仲間だね」
    「そんなことしていたのか……。いやまて。学校生活? ショーの練習中? お前写真なんて今まで撮っていたか?」
    「今日ももうすでに10枚は撮ってるよ」
    「何!? お前スマホなんて構えていたか!? それともドローンか!?」

     警戒するように辺りを見回す司くんの反応に、とうとう堪えきれなくなって吹き出してしまった。
     
     ああ、楽しいな。司くんと過ごす時間は。

     妹のことを嬉しそうに話す表情も。
     揶揄われて怒った時のリアクションも。
     まだ存在しない妹の彼氏を想像して悲しむ姿も。
     大好きなショーの話を楽しそうに語る笑顔も。

     彼が見せてくれる全てが好きだった。

     だからこそ思う。この恋は諦めよう。
     彼の隣にいるだけで僕は幸せだ。そこに恋なんて必要ない。……いや。本当はあわよくば恋人になりたいなんて下心もあったけれど。
     不毛な恋にいつまでも期待しているから傷つくんだ。意識さえしなければいい。そうしたらこれからも司くんは隣にいてくれる。だから、諦めるんだ。

     そう決意した矢先。

    「類は好きな人はいるのか?」

     唐突に落とされた言葉に、箸の動きが止まる。
     どうしてそんなこと聞くの。
     諦めた恋だけれど、好きという感情は簡単には消えてくれない。嘘をつくことも隠すことも出来たはずなのに、僕は素直に頷いた。それに対して司くんは「そうか」とだけ答えた。
     なんとなく気まずい空気が流れる。このまま会話の流れを断ち切るのも不自然だと思い、司くんにも似たような言葉を返した。

    「司くんもいるんだよね、好きな人。僕の知ってる人?」
    「お前は昨日の今日で、遠慮というものを知らんのか? あまり知られたくない話だったのだが……」
    「おや、人に聞いておいてそれはないだろう。それに、遠慮しなくていいと言ったのは君の方じゃないか」
    「それは演出の話だ。まあ、でもそうだな。お前もよく知っている奴だ」

     僕もよく知っている人。僕の数少ない知り合いは、だいたい司くんの知り合いでもある。
     身近だとえむくんと寧々。同じ学校だと青柳くん、東雲くん、白石くん、瑞希。咲希くんの友人達。それからアイドルの幼馴染もいたね。
     司くんの周りは素晴らしい人達で溢れている。だから彼が誰に好意を寄せていてもおかしくない。一度は薄まったはずの心の靄が段々と色濃くなっていく。
     もうこれ以上知りたくない。彼の恋路に踏み入りたくない。だというのに僕の意思に反して、口が勝手に言葉を紡いでいく。

    「へぇ。どんな所が好きなんだい?」
    「随分と掘り下げて来るな!? ……そうだな。そいつはなんというか、自分で言うのもおかしな話だが、オレのことが好き過ぎるんだ。オレのことを誰よりも知ろうとしてくれる。一番側にいてくれる。それが何というか、気恥ずかしい所もあるが、たまらなく嬉しいんだ。そこまでオレ自身に興味をもってもらえることはあまりなかったからな」
    「……ふーん」

     恋する誰かのことを語る司くんはやや気恥ずかしそうで、ごにょごにょと口籠るような話し方をしていた。君が好きな人は、こんなにも簡単に君の新たな表情を引き出すのか。それだけでも心臓を爪先でガリッと掻かれるような痛みを覚えたと言うのに、さらに彼は聞き捨てならないことを言っていた。

     ──オレのことを誰よりも知ろうとしてくれる。
     その言葉が不快感と共に耳に残った。
     ……過去に関してはどうしても咲希くんや青柳くんに遅れをとってしまうが、それでも今の司くんに関しては僕が一番側にいる存在であると自負していた。彼の全てに興味があるし、彼の全てを知りたいと思っている。その思いは誰にも負けないと思っていた。
     だけど司くんにとっては、彼の片思い相手から向けられた好意が一番らしい。僕のことなんて、きっと眼中にすらない。
     もう気分は最悪だ。聞かなければ良かったとすら思う。もう手遅れだけれど、今すぐにもこの話を終わりにしたかった。

    「早く、セカイに咲いたあの桜が満開になるといいね」

     なのに気付けば心にもない言葉を重ねていた。本当は、このまま散ってしまえばいいのにとすら思っているのに。
     この期に及んで僕は彼にいい顔を見せたいのか。白々しい。

    「それは難しいだろうな」
    「え?」
    「そいつには他に好きな人がいるようでな。オレはそいつの恋が実ってほしいと思っている。だからあの桜が満開になることはない」

     しかし返ってきたのは意外な答えだった。話を聞く限り相手は司くんに相当お熱なはずなのに、他に好きな人がいるだって?
     司くんの恋愛感情を一身に受けておいて、思わせぶりな態度をとっておいて、なのに司くんの想いには応えられない? そんな酷い話があっていいのか。
     司くんには酷な話かもしれないけど、そんな不毛な恋は早く諦めて欲しい。辛い思いをして欲しくない。そして、少しでもいい。僕からの想いを見てほしい。

    「じゃあ、その恋は諦めるんだよね?」

     これはもはや質問じゃない。誘導尋問だった。彼に、諦めるって言って欲しかった。
     もし諦めると言ってくれたら。僕は何がなんでも君の恋心を手に入れる。弱みにつけ込むような真似をするのは百も承知だ。僕なら誰よりも君に想いを届けるし、君からの想いに応えでみせる。

    「……はは。それが出来たら楽なんだろうが、まあ難しいだろうな」

     しかし司くんは首を横に振った。
     その表情は苦しいと悲鳴を上げているのに。彼はそれから解放されることをよしとしなかった。

    「どうして? 相手が振り向いてくれないのなら、想い続けても辛いだろう。不毛だろう。なら捨ててしまえばいい。もっと司くんのことを想ってくれる人を好きになった方がいいよ」
    「っ……。……類は優しいんだな。だがオレはきっと、そいつ以外に恋をすることはない。たとえこの想いが叶わずとも、ずっと好きなのだと思う。辛くてもいい。不毛でもいい。この想いを捨てたくない」

     そう言い切る彼の言葉は断首台の刃のような鋭さがあった。

     ああ、そうか。
     僕の司くんに対する想いが簡単には消せないように。
     司くんの誰かに対する想いもまた、簡単に消すことなんて出来ないんだ。
     
     僕は恋心を捨てることを選んだ。自分が傷付きたくないからだ。
     だけど司くんは、捨てないことを選んだ。例えその恋が、自身を苦しめているとしても、想い続けることを選んだ。

     司くん、君は強いね。
     他人の幸せを願うことを一番に考える君は、僕には眩しすぎるよ。
     そして、そこまで君に想われている誰かが羨ましくて、妬ましくて堪らなくなった。

    ◇◇◇

     あの日から、僕は司くんと距離をとった。

     僕以外の誰かに恋する彼を見たくない。そんな身勝手な理由で、僕は司くんから逃げた。
     昼は適当な理由を付けて断って、ショーの練習中は二人きりにならないようにして、休みの日は作業に夢中になっていたなんて言い訳をして連絡すら取らなかった。
     僕の様子がおかしいことは司くんも気付いているようで、最近ではお昼に誘われることもなくなった。自分から避け始めたというのに、それに対して追求されないことが悲しくて、そんな身勝手な自分の思考にさらに嫌気がさした。
     僕の変化に気付いたのは、当事者の司くんだけじゃない。えむくんも寧々も、何かあったことは薄々気付いているようだった。僕と司くんが二人きりにならないよう立ち回ってくれ、気を遣ってくれた。何かを聞かれることはない。きっと僕が話すまで待ってくれるつもりなのだろう。歳下の子達に気を遣わせてしまって無性に情けない気持ちになったが、その優しさに甘えていた。

     このままじゃいけないなんて自分が一番よく分かっている。だから、僕が彼への恋愛感情を葬ったら、またいつもの日常に戻ろうと決めていた。司くんへの恋心を完全に消し去ることが出来れば、またいつものように話しかけることが出来ると信じていた。
     だけれど一週間経っても、司くんへの想いは消えない。それどころか、会えない寂しさは彼への恋しさを増長させるだけだった。だから僕は八方塞がり。もうどうすればいいか分からなかった。

    「類、帰ろ」

     ショーが終わり、司くんと時間をずらして入った更衣室から出ると寧々が待っていた。司くんと居残りをしなくなってから、毎日のように一緒に帰っている。とはいえ道中会話は少ない。事務的に帰路を歩く。それだけだった。
     今日も静かな帰り道だったが、桜並木の通りに入った途端寧々は口を開いた。

    「そういえばもうすぐ桜もそろそろ見頃じゃない?」

     寧々が切り出したのは当たり障りのない話題だった。ショーや学校のこととなるとどうしても司くんの話になってしまうからあえて避けてくれているのだろう。
     桜並木はもう七割程が花を咲かせていた。

    「予測によると明後日には八分咲きになるみたいだよ」
    「ふーん。じゃあ満開はその二、三日後くらい?」
    「うん? 予測では明後日だよ」
    「え? 明後日は八分咲きなんでしょ?」

     二人の会話がいまいち噛み合わない。二人揃って疑問符を浮かべた。暫くの沈黙の後、僕は桜についてよく起こる勘違いを思い出した。

    「ああ、寧々。桜の八分咲きっていうのは満開のことを指すんだよ」
    「え、そうなの?」
    「うん。桜は全体の八割が咲く頃に、一番最初に開花したものが散り始めるんだ。だから桜に関しては、八分咲きを満開としているんだよ」
    「そうだったんだ。十分咲きが満開だと思って、た……あれ……?」

     寧々の言葉尻がだんだんと窄んでいく。そのまま立ち止まると、考え込んでしまった。
     置いていくわけにもいかないので待っていると、寧々が焦った様子で顔を上げた。

    「ね、ねぇ。聞いておきたいんだけど……類と司がギクシャクするようになったのって恋桜のせい?」
    「……!!」

     突然核心を突かれたものだから、思わず狼狽えてしまった。
     寧々と向き合えば、アメジストカラーの瞳が不安げに揺れていた。そういえば、あの桜が恋桜だと教えてくれたのは寧々だった。もしかしたら、自分が恋桜の説明をしなければよかったと責任を感じてしまっているのかもしれない。

     たしかに僕は、桜が示した結果に振り回されていた。それは事実だ。
     だけどそれは桜のせいなのかと聞かれれば……
     
    「類。あのね、恋桜のことなんだけど」
    「それは違うよ、寧々」

     そうだ。恋桜のせいじゃない。
     悪いのは、逃げようとした僕だ。
     
    「僕はしっかりと司くんへの感情と向き合うべきだった。なのに傷つくことを恐れて、身勝手に司くんを避けてしまって、彼を傷つけてしまった。えむくんや寧々にも心配をかけてしまったね。本当にごめん」
    「類……」
    「僕、司くんのところに行って来る」
    「ん。分かった。頑張って」

     寧々に背中を押されるように、僕は司くんの家に向かって駆け出した。

    「ま、いっか。言わなくても、うまくいきそうだし」

     そう呟いた寧々の言葉は、もう随分遠くへと走っていた僕の耳には届かなかった。

    ◇◇◇

     セカイにポツンと佇んでいる、一般の桜の樹木。恋の進行度合いを教えてくれるこの恋桜は、突然セカイに現れた。
     どうして現れたんだろうと皆口々に言っていたが、オレには思い当たる節はあった。


     あの日はえむと寧々と類とオレの四人で、寧々が好きな映画監督の最新作を見に行ったんだ。内容はミステリー仕立てのラブストーリー。あまり好んで恋愛物を選ばないオレでもつい引き込まれてしまう、そんな作品だった。
     映画が終わると、感想語りもそこそこにえむと類が併設されたショッピングモールの雑貨屋に向かってしまった。あいつら曰くお目当てのものがあるらしい。オレと寧々の二人は語り足りないこともあって、休憩がてらフードコートで二人を待つことにした。

    「なかなか面白かったな」
    「でしょ。あの監督の作品全部面白いからオススメ。後でイチオシの作品教えるから、よかったら天馬さんと一緒に観て」
    「助かる。さすが映画部だな」
    「名ばかりだけどね」

     謙遜しているが、寧々の映画の知識量は尊敬に値する域だ。手放しに褒めれば「大袈裟だな」と素直じゃない反応を見せた。

    「だが恋というのはよく分からんな。好きと自覚したのであれば、うじうじ悩まずに好きと伝えればいいんじゃないのか?」
    「そんなの話として面白くないじゃん。それに、みんな司みたいにバカが付くほどまっすぐでバカが付くほど怖いもの知らずってわけじゃないから難しいでしょ」
    「馬鹿って言い過ぎじゃないか!?」

     苦言を呈してみるが寧々の耳には届いていないようで、オレの言葉に触れることもせず話を続けた。

    「たとえばあんたの好きな人に、他の好きな人がいたら? もしくはあんたに対して恋愛感情がまったくないって言ってきたら? それでも好きって伝える?」
    「む……。まあ伝える分には構わないのではないか? 人からの好意が迷惑なことはないだろう?」
    「それがね、世の中には好意を迷惑と感じちゃう人がいるの。例えば鼻息荒くて清潔感のないおっさんがあんたのこと好きって言ったらどうする?」
    「? 別に好きと思ってくれている分には嬉しいが」
    「……。ああ、あんたってそういう人だった。あんたもえむも一般論の枠に収まらないというか、例え話が通じないよね」

     褒められているのかバカにされているのか分からない言葉と共にため息をつかれた。

    「なんて言うんだろう。得体の知れない好意に嫌悪感を抱く人がこの世にはいるの。理屈じゃ説明できないんだけど」
    「そういうものなのか」
    「うん。普通に友達として好きだったけど、恋愛感情を伝えられた途端なんとなく嫌になったり、実害を加えられるんじゃないかって不安になったり。そんなことがあるから、好きって言えばいいってもんじゃないの」
    「ぬぅ。恋愛というのはなかなか複雑なんだな」
    「だからこそよくお話の題材に使われるんだろうけどね」

     なるほど。ロミオとジュリエットのように、お互い好きという気持ちが通じ合っていることが大前提にあって、そこに試練や困難が待ち構えているのが恋愛だと思っていた。しかし、そもそも好きという言葉すら伝えられない恋愛もあるのか。なかなか難しい。

    「好きと伝えることがそんなにハードル高いと、みんな好意を伝えることが億劫になるのではないか?」
    「それはそう。だからせめてゲームのパラメーターみたいに、自分の恋の進行度合いが一目で分かればいいのにね」
    「パラメーター?」
    「えっと……世の中には恋愛を疑似体験出来るゲームがあるのだけど」
    「ゲームで恋愛の疑似体験だと!? もはやなんでもアリだな……」
    「うん。通称ギャルゲーとか乙女ゲーとか言うんだけど、そういうゲームは大抵どのキャラクターとどのくらい進展しているかが数字で分かるんだ」
    「つまり、相手が自分のことを好きかどうか、好きな場合告白の頃合いいつかなどの情報が分かるのだな」
    「そういうこと」

     なるほど。自分に対する相手の感情が分かってしまえば確かに難しく考える必要はない。さすがゲーマー寧々。オレには思い浮かばないような発想をする。
     そんな話をしている内に、えむと類が帰ってきた。話題は雑貨屋で何を買ってきたかに変わり、恋愛諸々の話はここで終わった。

     オレが類への恋心を自覚したのは、そんなやりとりをしてまもなくだった。

     そう、類が好きだと気付いたんだ。

     特別なきっかけなんてなかった。ぬるま湯から少しずつ火力を上げていくように、じんわりと気付かない速度で、でも確実に温度があがっていくような、そんな些細な変化だった。だから気付いた時には類が好きだという感情が止め処なく溢れていた。

     演出が上手くはまって嬉しそうに目を細める仕草も。
     傷付けられた仲間のために怒る表情も。
     弁当の交換を断ると見せるわざとらしい嘘泣きも。
     何かと思いついては真っ先にオレの元へと駆けつけるあの笑顔も。

     その全てが好きだった。理屈でなく、これが恋なのだと理解した。

     好きを自覚した所で、何かが変わることはなかった。否、変えることができなかった。
     本当は好意を言葉にして伝えたかったんだ。別に恋人になりたいとか同じ感情を向けて欲しいとかそこまで望んでいるわけじゃ……。……いや、正直なことを言うと少しばかり期待はしていたのだが。ただそこまでは叶わずとも、せめて好意だけは知ってほしかった。
     でも、出来なかった。もし類にとってオレの好意が迷惑だったらどうしようと、そんな考えに阻まれて二の足を踏んだ。
     オレは「これをすれば相手はよろこぶ」と決めつけて、相手の気持ちを考える前に行動に移してしまう癖があった。それが結果的に誤解を招いたり、相手を傷付けてしまうこともあった。ひな祭りの時なんかも、最愛の妹咲希を独りよがりな行動で傷付けてしまった前科がある。
     好意に関しても同じで、今までは伝えることで喜ばない人はいないと決めつけていた。しかし先日寧々とした恋愛の話を受けて、今までの考えを改め直したんだ。だから、類に気持ちを伝えるにしても、この想いが類にとって迷惑ではないと確信するまでは我慢するべきだと考えた。

     しかしオレは残念ながらエスパー能力なんて便利なものはもち合わせていない。類がどう思っているかなんて分かる術はない。オレのことが好きなことはしっかりと伝わっていたが、それが恋か否か判別出来るほど察しが良いわけでもない。伝えられない想いは胸の内で燻る一方だった。
     そんな時に思い出したのが、寧々が言ったあの一言だった。

    『ゲームのパラメーターみたいに、自分の恋の進行度合いが一目で分かればいいのにね』

     ああ、確かにそうだと思った。客観的な数字で分かれば、決断出来ると思った。
     伝えていいと分かればすぐにでも伝えたい。お前が好きだと。応えてもらえなくていいが、ずっと側にいたいと。
     伝えていけないと分かれば……残念だが、伝えることなくすっぱりと諦めようと思う。


     そしてそんなオレに応えるように、セカイに恋桜が現れた。

     結果? 惨憺たる有様だ。

     まず仲間達にオレが片思いをしていることが盛大にバレてしまった。未来のスターだと言うのに、咄嗟に取り繕うことが出来なかった。
     そして、この恋が一方的なものだと分かればすっぱり諦めようと思っていたが、無理だった。次の日の昼に類とランチを共にしたが、やはり楽しくて、好きは積もる一方で。類が誰かに恋をしていると知ってもなお、とても諦めることが出来るような代物ではないと気付いてしまった。
     しかし類への恋心を捨てずに待ち続けようと決意した矢先、何故か類から避けられるようになってしまった。もうなんというか、この一週間踏んだり蹴ったりだった。

     きっとバチが当たったのだと思う。
     自身の恋の進行度合いを知って、勝ち戦じゃなければ戦わずに逃げようなんて思ってしまったから裏目裏目に出てしまった。
     そもそもオレがこんな小細工じみたことをしようとしたのが間違いだったんだ。

     教えてほしい。なぜオレを避けるのか。
     教えてほしい。どうしたら、またお前と談笑する日々を取り戻せるのか。
     類と話がしたい。

     類に、会いたい。

    「司くん!!」
     
     突然背後から響いた声に身体が強張る。

    「る、類!?」
    「探、したよ……司く……家にも、ワンダーステージにも……いない、から……電話も繋がら、ないし……」

     肩で息をする言葉は途切れ途切れで、滴り落ちる汗は気にも留めていないようだった。こんな余裕のない類の姿を見るのは初めてだった。
     というか電話? スマホならセカイに来るために持ち歩いていたはずだが……。ポケットを探りスマホを立ち上げようとするが、黒い液晶が光ることはなかった。

    「……すまん。充電切れだ……」
    「何それ……セカイから帰って来れないじゃないか……」
    「まあそうしたらカイトに頼んで寧々を呼んで、モバイルバッテリーを持って来てもらうから……」
    「そっか……」
    「…………」
    「…………」

     気まずい。ここ一週間まともに会話も出来ていなかったから、どうしてもぎこちなくなる。二人を沈黙が覆った。
     何か話さなければ。何を? ぐるぐると考えている内に、先に沈黙を破ったのは類だった。

    「司くん、ずっと避けるような真似をしてごめん」
    「……ああ。やはり避けられていたのだな。何故オレのことを避けていたんだ? 何か気に障るようなことをしたか? 言ってくれなければ、何も分からん」
    「……そうだよね。言葉にしなければ何も伝わらない。僕はもう逃げないよ」
    「? どういうことだ?」

    「好きだよ、司くん」

     その瞬間。呼吸も鼓動も瞬きも、全てが止まった。セカイがまるごと停止してしまったのではないかと錯覚した。
     好きだよ、司くん……司くんって誰だ……。呼ばれ慣れた名前なのに、うまく認識できない。
     類がオレのことを好き? だってこの桜は五分咲き、つまり片思いを示しているのに? 理解が追いつかない。

    「司くんが想いを寄せている人は、随分と君のことを想っているようだけど。僕だって司くんのことは誰よりも知りたいと思っている。僕のことを好きになってとは言わないよ。だけど、君のことを一番好きなのは僕がいい。全世界全人類、セカイも含めて一番君のことを好きなのは僕でいたい。それは司くんにも知っていてほしい。もしそれでも僕の君への好意が伝わらないというなら、僕は何回でも君に伝える。好きだよ司くん。大好き。自信家な所もショーに対して全力な所も家族を何より大切にしている所も」
    「ま、まて! 類、ストップ!!」

     止まる気配のない類のマシンガントークに待ったをかける。
     ほとんど何を言っていたのか分からなかったが、好きとか大好きとかそんな言葉ばかりが鮮明に聞こえたものだから、全身が沸騰したかのように熱くなる。

     そうか。類はオレのことが好きなのか。全世界、全人類の中で一番なんて、随分と大きく出たものだ。咲希や冬弥、ミクやカイト達にも勝つなんて相当だぞ。

     ああ、でも、悔しいが、たまらなく嬉しい。

    「オレも……」
    「うん?」
    「オレも類のことが好きだ」

     瞬間。今度は類の方がフリーズしてしまった。目を見開いて、ピクリとも動かない。
     三十秒程その状態が続いたところで心配になって声をかけると、類はビクリと身体を震わせると、後ろにのけぞった。

    「え!? 君、僕じゃない誰かに片思いをしているんだろう!? だって恋桜は五分咲き……あ……」

     類につられて顔を上げる。頭上ではめいっぱいピンクが広がっていた。ハートの花びらが青空に映えて、とても綺麗だ。

    「……満開だな」
    「……満開だねぇ」

     そう。つい先程まで五分咲きだった恋桜が、満開の状態で風に揺られて舞っていたのだった。

    ◇◇◇

    「「恋桜の説明を間違えていた?」」

     恋桜が満開になった翌日。
     ショーの練習を始める前に司くんと二人で呼び出されたかと思えば、申し訳なさそうな顔をした寧々にそう打ち明けられた。

    「わたし、桜の満開は十分咲きのことだと思っていたの。だから、それを基準に十分咲きは両思い、八分咲きは両片思い、五分咲きは片思い、三分咲きが自覚なしの恋だと思っていたんだけど……」
    「ちょっと待て。話の腰を折って悪いが、両片思いってなんだ?」
    「ああ、うん。お互い相手のことが好きだけど、まだそのことをお互いが知らない状態のこと」
    「そんなに細かく分けられているものなんだね」
    「うん。両片思いの時のもどかしさを見守るのがあの作品の醍醐味だったから……じゃなくて。つまりね、前にわたしがした恋桜の説明は間違えてたの」
    「えっと、つまり……?」
    「八分咲きが両思い。そして五分咲きは、両片思い。つまり司はあの時、類と両片思いの状態だったはず」

     ああ、そうだったのか。つまり僕たちは最初からお互いを想っていたのか。
     つまり僕は司くんの話を聞いて、僕自身に嫉妬していたわけで。うん。振り返ると相当恥ずかしいことをしていたね。

    「本当にごめん。わたしが間違えたせいで、二人ともぎこちなくなっちゃったよね。余計なことをしちゃった……」
    「何を言っているんだ寧々。お前のせいなんかじゃないぞ」
    「そうだよ。勝手に拗らせたのは僕なんだ。自分を責めないでくれ」

     司くんも僕も、決してお世辞なんかではなく本心だった。けれども寧々の顔は晴れない。
     どうやってフォローするか考えあぐねていると、ぴょこんという効果音と共にえむくんが現れた。

    「寧々ちゃん。おじいちゃんが言ってたんだけどね。物語はズーーーンやドカーーーーーンがあるからこそ、ハッピーエンドのハッピーがいっぱいになるんだって」
    「えっと……?」
    「つまり試練やトラブルがあるからこそハッピーエンドがより際立つということかな?」
    「うんうん、さすが類くん♪ 司くんと類くんが悩んでいた時はたしかに二人ともモヤモヤ〜きゅうぅぅってなっていで辛そうだったけど、その分二人が両思いになった時はとーーっても幸せだったんじゃないかな? ね、司くん! 類くん!」
    「ああ、そうだな! 悩んだ時間も無駄ではなかったはずだ」
    「うん。それに、そもそも桜のことがなければ僕は想いを伝えることもなかったかもしれないし。いいきっかけだったよ」
    「ほら、だから寧々ちゃんはえっと……恋のカーペットさんだよ☆」
    「……ふふ、えむってば。それを言うならキューピッドでしょ」
    「そうそうそれそれ!」

     さすがはえむくん。あっという間に寧々を、そして僕達をも笑顔にしてしまった。しばらく談笑した後、司くんはパンッと手を叩いた。

    「よし、それでは今日もショーの練習をしようじゃないか!」
    「ああ。それなんだけど、桜が舞う演出で試したいことがあるからやってみてもいいかな?」
    「おお、さすが類だな」
    「フフッ。昨日の満開の恋桜を見てインスピレーションが浮かんだんだ。つまり司くんと僕の想いが生み出した演出だよ」
    「! ……そ、そうか」
    「ちょっと。くっついて早々見せつけないで。公私混合反対」
    「えへへ。でも寧々ちゃん、なんだかほわほわしてるよ? 本当は二人が仲良しで嬉しいんだね♪」
    「ちょっとえむ!」

     こうして春が訪れたワンダーステージでは、今日もショーの練習が始まる。
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    hukurage41

    DONE #ritk版深夜の60分一発勝負
    演目)七夕
    ※画像でもあげたのですが、なかなか見にくかったのでポイピクにも同時にあげます。

    ・遠距離恋愛ルツ
    ・息をするように年齢操作(20代半ば)
    ・かつて書いた七夕ポエムをリサイクルしようと始めたのに、書き終えたら案外違う話になった
    星空を蹴っ飛ばせ「会いたいなぁ」

     ポロリと口から転がり出てしまった。
     声に出すと更に思いが募る。言わなきゃよかったけど、出てしまったものはしょうがない。

    「会いたい、あいたい。ねえ、会いたいんだけど、司くん。」
     類は子供っぽく駄々をこねた。
     電子のカササギが僕らの声を届けてくれはするけれど、それだけでは物足りない。
     
     会いたい。

     あの鼈甲の目を見たい。目を見て会話をしたい。くるくる変わる表情を具に見ていたい。
     絹のような髪に触れたい。滑らかな肌に触れたい。柔らかい二の腕とかを揉みしだきたい。
     赤く色づく唇を味わいたい。その奥に蠢く艶かしい舌を味わいたい。粒の揃った白い歯の硬さを確かめたい。
     匂いを嗅ぎたい。彼の甘く香ばしい匂い。お日様のような、というのは多分に彼から想像するイメージに引きずられている。チョコレートのように甘ったるいのともちょっと違う、類にだけわかる、と自負している司の匂い。その匂いを肺いっぱいに吸い込みたい。
    2268

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