魏無羨の肝試し 清談会にいくという道侶を泣く泣く見送った魏無羨は、口では早く帰ってきてといいながら頭では何をしようかと考えていた。もちろん口に出したことは誓って真実だが、それはそれで切り替えが可能な男に、藍忘機が不在の時にしかできない企みがあったのだ。
ころりと泣き止んだ後はさっと立ち上がり、魏無羨専用の蔵へと向かっていった。
魏無羨は元から他愛のない悪戯が大好きで、勤めを終えて静室に戻る藍忘機をあの手この手で驚かそうとしてきた。赤い塗料まみれになって倒れ込んでいたり、悪そうなお面をつけたり、天井の梁から足から吊られてみたり、精巧な腕を作って腕が増えたと言ったり、逆に隠して減らしたり、うさぎの耳飾りを作ってうさぎになったといったりした。
なお、藍忘機は声も上げず、冷淡な顔は一寸たりとも変化しなかったが、粗雑で他愛のないうさぎの工作だけは何故か気に入ったようだ。いうまでもないが夜にも使われてしばらく遊んだ後に壊れた耳飾りを藍忘機は大事に保存していたが、魏無羨は恥ずかしくなってまた作るからと片付けてしまった。魏無羨の道侶は、素知らぬ顔でたまに物品から痴態を反芻しているということに気づいてしまったからだ。
聶懐桑なら失神間違いなしの工作も、江澄なら騒いで追いかけ回すような悪ふざけも、藍忘機は等しくため息一つと怪我がないようにと注意されるだけで期待した反応は得られない。
驚いてないわけではないらしいが、元より君子動じずが骨の髄まで叩き込まれてるせいで反応がない。現実の地獄を体感した世代に、紛い物で驚かせようとしても無理な注文だった。
とはいえ急な悪戯にはそれなりに驚きはするらしく、藍忘機からは胸の動悸は高まっていると自己申告があった。ただし、確かめようと魏無羨が張り付いて胸の鼓動を聴こうとするときに彼の胸が高まらないことがないため、残念ながら一向にわからなかった。
いつもこうなの? と聞くと、うんという応えが大層可愛らしかったので、魏無羨はもう何を聞きたかったかも忘れてただ満足してしまうのだった。藍忘機を驚かすには魏無羨が急に抱きつくのが一番らしい。
それは置いといても、とにかく藍忘機にあっと言わせたい魏無羨は、この失敗を悪戯の規模が小さいせいだと思っている。夜の日課や夜狩などにより、日中の魏無羨の稼働時間はそう長くはない。要するに仕掛けるには少々時間が足らないのだ。魏無羨に早起きという概念はあまりない。
故に、藍忘機が不在の今、久々に静室をおどろおどろしい工作で埋め尽くそうと考えたのだ。
魏無羨が過去の力作を蔵から持ち出そうとした時、うわああと雲深不知処に相応しくない大声が聞こえた。
藍景儀だった。
「そ、それはなんだ!」
隣にいた藍思追は引き攣った顔を隠さなかったが、丁寧に礼をしながら魏無羨に尋ねる。
「魏先輩、それは何かの妖邪を象ったものでしょうか?」
「え? ああ、まぁそう」
まさか藍忘機を驚かそうとして作った悪戯一式だとは言えず、魏無羨は鼻を擦って誤魔化した。確かに片手で持つと重いくらい大量になっていて、自分でも良く作ったなと思わなくもないが、捨てるには惜しいほど良くできているものある。その一つを手に取る。
「ほら阿苑、おもちゃだぞ」
思追は苦笑していた。昔も何度か食らっていた手だからバレているのだろう。
手に取った青色の鬼面から仕掛けの赤い舌をベロと飛び出して見せると、げえと呻いたのは景儀だった。小さな子供におもちゃを与えるような優しい声で、恐ろしい仕掛けを見せる魏無羨に腰が引けている。どういう神経してるんだと顔に書いてある。かわいい反応を示してくれるため、魏無羨の嗜虐心がウズウズと疼いてしまう。
「なんだ? 怖いのか? こんなの子供騙しだぞ」
「こわくなんかない!」
そう喚いた景儀の目の前で追加の目玉をぽろりと落とす仕掛けを動かすとうぁああと情けない声が上がった。
「景儀…」
魏無羨はくすくす笑って目玉を元に戻した。さすがに思追は仕掛けに気づいていたようで、良く観察できてるというと少しだけはにかむ様子が好ましい。
「少しは義城で鍛えられたかと思ったが、まだまだ足らないようだな?」
「こ、こんなの急に見せられたら誰だって驚く」
「思追は気づいたし、含光君は一切動じなかったぞ」
それはさすがですという言葉には、これを含光君にも試したのかという驚きも含んでいるようだった。意図して違う意味に置き換えながら頷いた。
「さすが含光君だよな。確か、姑蘇藍氏の子弟は心を乱さずという家訓があったはずだが…」
景儀は元気一杯に魏無羨に噛み付いた。
「それは急に驚かされても驚かないなんて家訓じゃないからな!」
「確かにそうだ。だがこんなんで驚いてたらいつまでたっても胆力が育たない。どんな恐ろしい霊や妖にあった時でも、相手に悟らせないように堪えなきゃいけない時もあるし、そもそも敵襲ってやつはいつも急だ」
最もらしいことをいう魏無羨に、一人だけ声をあげてしまったことを思うと一理あると、悔しそうに景儀は黙った。
「はい、我らはまだまだ未熟です、魏先輩」
優等生の藍思追がいうことにうむ、その通りと藍先生の真似をして、魏無羨はにっこりと太陽のように笑った。
「そうだなぁ、なら未熟なお前たちのために、これから胆力を鍛えるための特別な設備を拵えよう! 使ってない少し暗い場所にある長屋はあるか?」
正直な話、静室に色々設置すると片付けが面倒くさいと思っていたところだった。
「冬しか使わない長屋がありますが…」
「それは上出来だ!」
怖がりな子弟たちの反応を楽しみ尽くした後に、帰ってきた藍忘機を案内するのがいいと魏無羨は一瞬で計画した。静室も汚さないし、片付けは子弟たちに手伝ってもらえる。なんて賢いのだろうと魏無羨は自画自賛した。
「藍先生に言ったら怒られそうだから、沢蕪君に相談しよう、胆力を鍛えたいやつを集めて、一人ずつ、そう、肝を試すのさ!」
「しかし魏先輩、霊や屍などを使うのは許されないかと思います」
悪巧みする顔にさすがの思追が行きすぎないように釘を刺す。以前義城であった魏無羨の「指導」を思い出しているのに違いなかった。
「もちろん鬼道は使わない! おこちゃまたちにはこれで十分さ」
ずしりとした箱を揺らして見せると、思追がお持ちしますとあまりにも軽々しく荷物を取り上げられるので魏無羨は一瞬呆けたが、俺の息子は力持ちだと称えて甘んじることにした。
「やめろ! 俺は絶対嫌だからな!」
「景儀、怖いのか?」
「こわくない!」
その拍子に血塗れの手の模型がひょいと飛び出したが、今度は驚いたものの景儀は声をあげなかった。
「ほら、耐性がついたろ?」
「これは…偽物だとわかってても、なかなか…」
これなんて鬼腕っぽいだろ? とんがった爪をつつきながら、良くできたと思ってとニコニコ笑っていうと、景儀は横に一歩ずれてさっさと逃げだした。
「おいなんだよ景儀」
「先に沢蕪君に報告してくる」
なんだよあいつ逃げたな? と上機嫌な魏無羨に、恐らく先に報告して企みを阻止するつもりだろうと察されたが、まぁ魏無羨が元気なら含光君も嬉しいだろうと思追は一人納得することにした。二人が幸せそうなら思追は良いとする節がある。
「完成したら思追も参加したいです」
「いいぞ、感心感心」
魏無羨のやる気も高まるというものだ。
「この世の地獄を見尽くした夷陵老祖の一級肝試し、受けてみるといい!」
悪役のように高らかに笑う魏無羨に、確かにそうだけどと思いながら思追は息をついた。これは笑い事ではないかもしれない。こんなに明るく笑う目の前の男は、かつて確かに世に地獄を見せたという。彼が見せ、見せられた本当の地獄とやらが信じられず、そしてその底知れぬ感じが、ほんの少し怖かった。
「思追? どうした?」
「いいえ、あまりにも精巧なので、どうやって作ったのかなと思いまして」
「ああ、これはな、木を削って整えた後に楡の皮を重ねてーー」
心の鍛錬だと丸め込んだ沢蕪君の許可があっさりおりたため、魏無羨の全ての見識を詰め込み、天才的な工夫を散らした肝試しが完成した。弟子を犠牲にする前に値踏みしようとした藍啓仁でさえ思わず声をあげたと評判となり、座学の中にも組み込まれるようになるのだが、それはまた別の話。
清談会が終わり、瞬く間に戻ってきた藍忘機の前には、半泣きの弟子たちとほくそ笑んでいる道侶がいた。
「魏嬰、これは」
「何、別に悪いことはしてないさ!」
子弟たちを巻き込むと藍啓仁がと気を揉んでいると、藍先生もご存知だし、なぁ? とご機嫌に笑うので、弟子たちはなんと反応したらいいかわからない顔をしていた。数日ぶりの愛おしい道侶が、不在の間も元気にしていたことを知ると藍忘機はホッとした。
含光君の袖を引っ張り、魏無羨はニコニコと楽しい日々を話してくれた。あまり行かない物置にたどり着くと、リンゴを持って放心する弟子たちがいた。慌てて礼をとるので藍忘機は頷いた。
「さぁ最後は藍湛だけだ、行ってこい! 一番奥の部屋のリンゴを取ってきてくれ」
「部屋に仕掛けが?」
随分大掛かりなと藍忘機が片付けに想いを馳せると、藍先生がしばらく解放すると仰ってまして…と弟子たちがいうため、益々疑念は高まってしまう。叔父が認めるほどのものを用意したのはさすがとしか言えないが、ただ得意げな魏無羨が愛おしくて仕方ない藍忘機は、うんと一言で怪しげな工夫のされた建物に足を踏み入れた。
半時辰後に平然とした顔で出てきた藍忘機に魏無羨は抱きついて問うた。
「どう? 藍湛、怖かった?」
「うん」
一つも怖がってないような素振りだったが、魏無羨にとってそんなことはどうでもよかった。藍忘機の周りをくるくると回って美しいその顔を目に焼き付ける。
「そうかそうか、天下の含光君も怖かったなんて、大したものだろ」
「大したものだ」
懐かしいものがたくさんあったというので、じっくり眺めて堪能してきたのだろう。藍忘機にとって、愛しい人が作った作品はなんでも好ましく思っているのかもしれない。
ただ、魏無羨は藍忘機の考えが手に取るようにわかった。
悪趣味な悪戯の総集編とも言える部屋で彼が愛おしく思うのは、きっと魏無羨と重ねた時だったのだろう。静室で過ごした他愛のない藍忘機と魏無羨の楽しい日々が、何よりも藍忘機を楽しませたに違いなかった。
「いくらでもお前を驚かせたいよ」
ささやかな幸せをいつまでも大事に思う。藍忘機は、何もかも逃さないというようにそっと抱きしめてくる。
「なんだ? 怖かったのか?」
「…うん」
そんなことはないと知りながら、魏無羨は優しく囁いてやった。
「ずっとそばにいるよ」