「え?もう7月?早いな~」
兄がカレンダーを見ながら呟いた。確かに事故のせいで記憶喪失になってからしばらくバタバタしていたから、気が付けばあっという間に7月になった。兄は退院してからも通院をしている。まだ脳波やCTなど検査は定期的に行っている。
「あれ今日って何日?」
「今日は7月の7日・・・」
「・・・えっもう七夕?」
兄に曜日を聞かれたので答えたら、少し驚いた表情をした。
「そっか、何も覚えていないけど、なんか凄く懐かしい気分」
小指で頭をかきながら笑顔を見せる兄の顔には哀愁が漂っているように感じた。
「七夕って何?」
「知らないで言ってたんかい」
「いやカレンダーに書いてあったからさ」
私は笑いながらツッコミを入れると、兄は苦笑しながら答えてくれた。
「笹の葉に短冊っていう紙切れを付けて願い事をするんだよ」
「なるほど」
「そう言えば商店街の方で七夕祭りやってるみたいだよ」
「へぇー行ってみようかな。でもその前に髪の毛とかさなきゃ」
兄はボサボサの長髪を手で押さえて言った。
「そうだね、じゃあ私も一緒に行くよ」
「うん、ありがとう」
私は洗面所に行き、櫛を取り出して兄の後ろへと回った。
「ねぇ、何か思い出さない?」
私は髪を整えている最中、鏡越しの兄に問いかけた。
「うーんどうだろう、学校行ってもわからないし、出かけてもなんもないし、KK達とで会ってもな~って痛い」
「あ、ごめん」
絡まった髪に櫛が引っかかる。入院してから伸ばし続け退院しても切らずにそのままにしているので今じゃ腰の辺りまで伸びてしまっている。
「大丈夫、大丈夫。それより行こう」
「うん!浴衣着ていく?」
「そんなのあったっけ?」
「クローゼットに入ってるよ」
「そうか」
とは言ったものの
「そうじゃなくてこっちこっち」
「え?こっち?」
「そっち!」
兄の着付けがグダグダだった為、結局私がすることになった。
「はい出来た。どう?」
「おぉ、すごいな」
「ふふん」
初めてにしては上手くいった方だと思う。
「よし行こう」
「待って!下駄履いてないじゃん!!」
「忘れてた」
私は母の形見の浴衣を着てお互いに浴衣姿になったところで家を出発した。外に出ると生暖かい風が吹いていた。
「ちょっと暑くなりそうだね」
「そうだね」
私たちは商店街まで歩いていくことにした。
「あ、麻里ちゃん!」
「絵梨佳ちゃん!」
「KKいたんだ、てっきりこういうのには興味ないのかと思って」
「失礼だなお前、絵梨佳が行きたいって言うから仕方なく来てやったんだよ」
「あらら、相変わらず仲が良いことで」
「おい、どこがだよ」
商店街に着くとそこには絵梨佳ちゃんとKKさんと凛子さんがいた。兄は思っていたことを口に出してKKさんにツッコまれていた。
「2人とも似合ってるね」
「ありがとう、お兄ちゃんの着付けには手間取ったけど」
「あれ?暁人くん髪型変えた?」
出掛ける前に兄の髪を団子状にしてまとめたのだが、その事について凛子さんから質問された。
「はい、ちょっと麻里がやってみたくなって・・・変ですか?」
「いえ全然、むしろいいと思う」
「結構前にもヘアアイロンでウェーブにされたり三つ編みにされたり挙げ句の果てにツインテールにされて写真撮られたりしたので」
「あらま」
「お兄ちゃん、短冊に書く願い事は決まった?」
「うーんまだ決まってないな」
「じゃあ私と一緒に書こう」
「わかった」
「じゃあ後でね」
そう言って私と兄は短冊コーナーへと向かった。
「願い事かぁ・・・」
兄はペンを片手にボケーっと笹を眺めていた。笹には色んな人の願い事が吊るされていた。するとハッと何かを思い付いたのかサラサラと名前を記入した。
「何て書いたの?」
「これ」
短冊には『平凡』という二文字だけが書かれていた。
「なんで!?」
「特に何事もなく過ごせて、平和的に記憶が戻ればな~って」
「もっとあるでしょ!!」
「そんなに欲張ったら罰当たりそうじゃない?」
私は呆れながら兄が書いた願い事にツッコミを入れた。
「じゃあ麻里は何て書いたの?」
「それは秘密」
兄は不満そうな顔をしていたが、追及してくることはなかった。私も兄と同じように願い事を笹に吊るすことにした。
「願い事叶うといいね」
「うん」
〈平凡 暁人〉
〈兄の記憶が戻りますように 麻里〉
道に一つの水溜まりのような影が見える。人が入り乱れる中、道を外れて奥へと進んでいく。一目のない場所に着くと頭を出して兄妹に目を凝らすと、チャプンと音を立てて影の中に潜っていく。その瞬間、影に写っていた二人の顔が歪む。そして、息継ぎをするかのようにプクッと泡が出た。