高嶺の花 私が彼女を認識したのは幼稚園に入園した頃だったと思う。
正月とお盆の年2回、親族が一堂に会する時、私は彼女に会うことができた。
親戚に他に子供が居ないわけでは無かったが、血縁が遠くて人見知りをするのか近寄りもしなかったり、歳が大きく離れていたり性別が違うからと相手にしてもらえなかったりと中々気の合う子が居なかった。大人に構ってもらおうにも大人は大人でお酒を飲んで盛り上がっていたし、母は配膳で忙しそうにしていて、幼い私がテーブルの端でぽつんと料理を摘んでいると「おいしい?」と鈴を転がすような声の綺麗なお姉さんが隣に座って優しく微笑んでくれた。これが最も古い記憶だろう。
心細かった私はたったそれだけのことでそのお姉さん、木花さんのことが大好きになってしまった。
親族の集まりがある度に私は木花さんの姿を探したし、その視線に気付くと木花さんは近寄ってきて「久しぶり。元気だった?」と屈んで私と目線を合わせながら声を掛けてくれた。そして私か木花さんが親に声を掛けられて連れていかれるまでずっと私のお喋りに付き合ってくれた。
私の一族は個人差はあれども代々霊媒体質で、何の力も借りなければ悪いものに命を脅かされる状況にあった。そこで妖の血を引く一族の者と婚姻関係を結び、守ってもらうことで血を繋ぐという伝統があった。
私はそこまで体質が強くなかったため危険な目に遭ったことが無かったのだが、木花さんは違った。私が幼いので怖がらせないよう知らされていなかっただけで木花さんは何度も原因不明の病気になったり怪我を負ったりと悪いものの被害に遭っていたそうだ。
だから木花さんの婚約は現代の価値観からすれば異常と言えるほど早く、木花さんが16歳になると3つ上の狐の血を引くという人と約束を交わした。
最初木花さんの婚約の話を夕飯の最中に親から何気なく聞かされた時は私は目の前が真っ暗になるような思いがし、箸を落とした。大好きなお姉さんが他人に取られてしまったと思ったのだ。世間の目を気にして正式に結婚するのは木花さんが成人してからだと聞いたが、そんな情報は気休めにもならなかった。
次の正月にはその話題で持ちきりで、親族に囲まれる木花さんの隣には見知らぬ銀髪の男が寄り添っていた。私は突然現れた他所の男に木花さんの何が分かる、そんなに近くに寄って、そこは私の場所で、木花さんに笑顔を向けてもらうのは私の筈なのにと唇を噛みながら睨みつけていると、男と目が合ってしまい、私はまずい、と咄嗟に目を逸らした。
その日木花さんと男はずっと親族に囲まれて「良かった」「これで安心だ」「やっと木花ちゃんも自由に生きられる」とお祝いされていて、私は「久しぶり。元気だった?」という木花さんの言葉を聞くことができなかった。
その集まりから数日後、小学校の冬休みも終わろうかというとき、木花さんから家に電話が掛かってきた。要件は、正月に話せなかったから会ってお茶をしたいとのことだった。木花さんは私のことを忘れてなんかいなかったと知ると食い気味に了承の返事をした。憧れのお姉さんとお出かけできる、と舞い上がる私の様子が電話越しでも伝わったのか、クスクスと可愛らしい笑い声が聞こえた。
電話を切ると私は親に事情を話し、慌てて一番お気に入りの服に着替えて、身嗜みを整え、親にお茶代を貰い、そわそわと鏡の前で癖毛のはねを気にしながら木花さんの迎えを待った。
2時間程すると、玄関先から静かな足音が響いてくるのを聞きつけて私は玄関にすっ飛んでいき、チャイムが鳴らされるのと同時に扉を開けた。そこには、驚いた表情の木花さんが立っていた。
「そんなに楽しみだったの」
頬を緩めながら木花さんは屈んで指先に繊細さが宿るしなやかな手で私の頭を撫でた。木花さんは私の後に続いて出てきた私の両親に「手鞠ちゃんをお借りしますね」と丁寧に頭を下げると私の手を取り歩き出した。
「手鞠ちゃん、今日、私の旦那さんになる人を紹介してもいいかな」
家の敷地から出て、親の姿が見えなくなると木花さんが足を止めて言った。その言葉に私は一気に気分が萎えたが、嫌とは言えずに「うん……」と渋々頷く。
それを見ると木花さんは困ったように笑いながら私の手を引いて再び歩き出す。
私の家から少し歩いた所にある喫茶店の前までやってくると、あの男が立って私達を待っていた。
「この方は東狐一福さん。手鞠ちゃん、ご挨拶して」
「いいえ、ここは冷えますから、中に入ってからにしましょう」
「初めまして」と男に声を掛けられても俯いて黙っている私に木花さんは挨拶を促すが、男は私の態度に気分を害する様子は無く、喫茶店の扉を開いて私達を先に促す。
テーブル席に案内され、私は奥の方に、その隣に木花さん、木花さんの向かいに男が座った。席に着くと男が「どうぞ」と私の前にメニューを広げる。不貞腐れつつも「ありがとうございます」と一応礼を告げてそれに視線を落とすと木花さんも顔を寄せて一緒にメニューを選び始める。
私がプリンアラモードを指差して「これにする」と木花さんに言うと、「私はミルクセーキ」と言って木花さんがメニューの向きを変えて「どうぞ」と男に手渡す。男はそれを大して見もせずに店員を呼んで自分の分の紅茶を含めた全員分の注文をした。
「手鞠さん」
注文を終えてメニューを元の場所に戻すと、男が口を開いた。
「改めて、東狐一福と申します」
「……桜庭手鞠です」
「大切なお姉さんを私に奪われるとお思いなのかもしれませんが、私と結婚しても木花さんはずっとあなたのお姉さんですよ」
私の態度があからさまな自覚はあったが、一福さんには全てバレていた。心の内にあったことを言い当てられて顔が熱くなった。
「そうよ。だから一福さんのこと知りもせずに嫌わないでほしいの」
木花さんにそう言われて頭を撫でられると渋々顔を上げて一福さんを見る。私と目が合うと一福さんは優しく微笑んだ。その笑顔があの日の木花さんの笑顔と重なって、途端に今までの嫌悪感が全て溶けて消え去った。
「私はただ、木花さんの身の安全の為に付き添いで来ただけなので、今日は気にせずお二人でお話してください」
一福さんがそう言って椅子に置いた鞄の中から本を取り出すと丁度店員が注文の品を持ってきた。
最初は本当に無視していいのかとちらちら様子を窺っていたが、一福さんは時折紅茶を口にしながら自然体でゆったりと読書をしていたので、お言葉に甘えて存分に木花さんとの会話を楽しんだ。