主役になれない男の片思いそれは大学の入学オリエンテーションの時だった。偶然隣に座っていた女子に俺は一目惚れをした。
透き通るような白い肌に綺麗に切りそろえられたショートカット、やや神経質そうな知的な瞳によく似合う眼鏡。大人しめな印象に反して意外と大きさがありシャツを押し上げる胸。そのどれもがとても魅力的に見えた。
「あ、あの、君名前は?俺は佐々木優斗」
「文月千智です」
「出身は?俺は千葉から来たんだけど」
「私は地元です」
打っても響かない会話に焦りを感じるが、きっと人見知りなのだろうと好意的に解釈し、今は彼女の落ち着きある凛とした声を聞くことができたことに興奮していた。
それからも授業の度に彼女の姿を探して近くの席に座ってみたりして慣れてきた頃には彼女の隣の席に座ってみたりして声を掛けてみた。
「文月さん、久しぶり。俺の事覚えてる?」
彼女は困ったように視線を泳がせ、助けを求めるようにもう片方の隣に居た男に視線を向けた。
「オリエンテーションの時に話してた人だろ。佐々木優斗さん」
男がこう答えると彼女は此方に視線を戻して「……すまない」と一言覚えていなかったことに対する謝罪を述べたが、ホームルームの無い大学で人を覚えることが大変なことくらいは分かっているのでそう大してショックではなく、「いーよいーよ、人覚えるのって難しいよね」とフォローを入れた。それよりも話し掛けた覚えのない男の方が俺の事を覚えていた事に驚いた。
睦月智彰。つり目でやや視線が鋭く見えるが、それを補って余りある人懐っこさで男女両方からの人気を集めるイケメンだ。彼女とはどんな関係なのだろうか。
「もしかして二人って付き合ってたりするの?」
「ただの高校からの知り合いだ」
動悸のする胸を押さえながら恐る恐る聞いてみると彼女があっさりと俺の問いを否定した。
ああ、高校からの知り合い、それならいつも一緒に居るのも納得がいく。そうだよな、だっていつも見てたけど別段距離が近いわけでもなければ親しく会話をしているわけでもなくとりあえず一緒に居るだけって感じだし。だったら俺でもワンチャンあるよな。
そう思い授業の度に彼女の隣の席を確保し、こまめに話し掛けて何とか顔と名前を憶えてもらった。連絡先の交換は他人と雑談等のやりとりをしたくない、とのことで断られてしまったけれど。
そんなある日、文月さんが居ない時に睦月に話し掛けられた。
「あんた千智の事狙ってんだろ」
「ま、まぁ……友達には変わってるって言われるけど、彼女可愛いと思うし、あの硬派な感じがいい」
「ふーん、よくわかってんじゃん。あんた見る目あるね」
けん制されるのかと思ったらなんだただの恋バナかとほっと胸をなでおろしていると「でも」と彼は続けた。
「彼女が欲しいんなら千智はやめといた方がいい。あいつは恋愛が嫌いで誰にも靡かない」
3年一緒に居た俺がまだ『知り合い』扱いなんだぜ?と肩を竦めながら彼は笑った。けれどもそれはお前が彼女の好みじゃないだけなんじゃないのか、と心の中で呟いた。俺はまだ彼女を諦める気は無かった。
それから何年か経ち、彼女の後を追い続けて同じ研究室に配属になり、それなりに雑談にも付き合ってもらえるような仲になった。ああ、長い道のりだったなぁ。彼女は見ている限りでは人嫌いを拗らせたままで相変わらず友達を増やそうとせず他人とは必要以上に話さないという態度を貫いていた。だから普通に話してもらえる俺は特別なんだと思っていたし、何なら俺に気があるとも思っていた。よって告白すれば当然受け入れてもらえるんだと思っていた矢先の出来事だった。彼女が右手の薬指に指輪をつけてきた。いやでも、右手だし。左手じゃないし。と動揺しつつ「指輪なんて珍しいね、今までつけてなかったのに」と指摘すれば「智彰がつけろと言うから」と返事され、谷底に突き落とされたような心地がした。
「実験の邪魔になるし外したら?」
「私もそう言ったんだが、虫よけにと言われて」
「そんなのつけなくたって、俺が虫よけになるよ」
俺の発言に、鈍い彼女もようやく理解したらしい。そして眉間に皺を寄せ、軽蔑するような表情を浮かべたかと思うと
「今まで、下心を持って私と接していたのか」
と心底気持ち悪い、という思いが込められた低い声でゆっくりと言い放った。
それ以来彼女には口をきいてもらっていない。俺の何がいけなかったというんだ?下心を持っていたのは睦月も同じじゃないのか?とやけくそになって睦月の下へ行き掴みかかって思わず怒鳴るようにして叫んだ。
「どうしてお前なんだ!」
「あんたとは掛けてきた年数と手間暇努力の量が圧倒的に違うんだよ。そもそも千智と『恋愛』をしようってのが間違ってる。あんたはそんなのもわからない程度しか千智を見てなかったんだよ」
みっともないぜ、あんた。と言われて俺は睦月の胸倉をつかんでいた手を放し、その場で涙を流した。