秋の大祭 まだまだ昼間の日差しは強いものの、風が涼しい空気を運び、夜になれば風流な音色を奏でる虫達がやかましい蝉の季節は終わりだと言わんばかりに静かで透き通った鳴き声で秋の訪れを告げる。
そんな秋の足音を聞きながら、三芳が親から引き継いだ茶の店の閉店作業をしていると、適当な所に置いてあったスマホが軽快な音でメッセージの受信を知らせる。
仕事に関する急ぎの連絡を見落としてはいけないので、彼は店じまいの手を止めてメッセージを確認する。
『今からお祭りに行きませんか』
メッセージを送ってきたのは親友で幼馴染の侘助だった。
彼と三芳は昔から毎年一緒に近所の神社が開催するお祭りに遊びに行っていたが、歳をとるにつれて他に一緒に行きたい人ができたり、仕事の後の疲れた身体で人混みに混ざりたくないといった理由でその習慣は廃れ気味だった。
それでも二人の仲は相変わらずで、三十路を迎えても予定が空けば気軽に声を掛け合っており、今日も店を閉めてしまえば特に予定の無かった三芳は躊躇することもなく『いいよ』と返した。
「義司は一緒じゃねえの」
「大学の友人と屋台を見た後飲みに行くそうで」
三芳が支度を済ませて神社の境内の入り口までやってきて到着の連絡をすると、すぐに侘助がやってきて彼の肩を軽く叩いた。
その周辺には侘助が溺愛している、自分達より10歳下の弟の義司の姿が見えなかったのでその理由を何気なく聞くと、「もうそんな歳か」と親戚のような感想を呟く。
「おチビさん達は?」
「今日は姉貴も旦那さんも休みだから家族で祭り見て回ってる」
侘助が弟を連れ歩くように、三芳が普段連れ歩いている幼い甥と姪の姿が無い様子に後から合流でもするのかと尋ねるが、その予定は無いと三芳は首を横に振る。
「少し来ない内に、屋台の種類も随分と変わりましたね」
三芳は姉に甥と姪を預けられることがあるので何だかんだほぼ毎年祭りには来ていたが、侘助が最後に祭りに来たのは数年前だと言う。何を食べようか、同じ品でもどこの屋台が一番美味しそうかなどと品定めをしながらゆっくりと歩いている中、侘助は物珍しい名前や見た目の食べ物を見ては少年のように好奇心旺盛に様子を見に行く。
「あれ、買ったら半分食べます?」
彼が目をつけたのはたっぷりチーズの入ったアメリカンドッグのような見た目のチーズハットグだった。屋台の近くでそれを頬張っている子供が、よく伸びるチーズにはしゃいでいる様子を見て惹かれたらしい。
綺麗な顔に似合わず大食いな侘助がこれを1人で1本食べられないわけがないことを三芳は知っていたが、三十路の胃にチーズと油は重いからな、と侘助の提案の意図をすぐに理解し「ああ」と頷くのを見て侘助はいそいそと列に並び、数分で目当ての物を手に戻ってくる。
伸びるチーズと揚げた生地のサクサクとした食感を楽しみながら3、4口食べると侘助がそれを差し出してくるので受け取って三芳も残りに口をつける。
今まで他人が食べているのを見たことしかなかったが、まぁまぁ美味い。と思いながら齧っていると思いがけず土台らしきソーセージが出てきたので、これは金を出した侘助が食べるべきだろうと声を掛けて彼の口元に差し出すと彼は三芳に串を持たせたままそれに噛みついて串から外して口内に収める。
三芳は面倒見が良く、侘助は昔から家族に甘やかされて育っているので世話焼きな彼に甘えるのを当然のように思っており、側から見ればカップルのようなやり取りにも三芳は特に恥じらいも何も感じていなかった。
一通り歩いて屋台の種類を確認すると、今度は引き返しつつたこ焼きやら唐揚げやら昔から食べ慣れた定番の品を思い思いに購入し、座れそうな場所を探している最中に酒飲みの侘助が氷水で冷やされていた缶ビールを2本買ってくるので、三芳は飲む予定は無かったがまぁいいかと1本受け取り、足を休めながら濃い味付けの屋台飯をつまみ、ビールで僅かに残る暑さを和らげる。
粗方腹も膨れた頃、「神楽が始まる」と周囲の人々が移動し始めるのを見て、二人も近場のゴミ箱に空き容器を捨て、手を空けてから人の波に乗って舞台へ向かう。
舞台上には頭に煌びやかな飾りを差し、千早に身を包んだ小学校低学年〜中学年ほどの少女達が並ぶ。その中心に立つ他と同じくらいの背丈の巫女は面で顔を隠しており、一際強い存在感を放っていた。
この神社で神楽を奉納するのは、氏子の家の少女達らしい。最前列では子供の名前を呼びながらカメラを構えている大人もいた。
巫女達が静々と舞を始めると、それまでざわついていた民衆が一斉に静まり返る。音の高い神楽笛が流れを作り、そこに独特な抑揚をつけた歌が乗り、篳篥や太鼓が拍子を強調する。それに合わせて巫女が鳴らす鈴の音はどれにも掻き消されることなく一際大きく周囲に響き渡る。
巫女達はどれくらいの期間練習するのかは分からないが、普段は無邪気にその辺を駆け回っているであろう年齢とは思えない程厳粛に振る舞っている。
中でも面を着けた少女は一層の神聖さを纏い、数ヶ月やそこらの付け焼き刃ではなく、古くから身体に染み付いているという風に悠々とした動作で舞う。
神楽が終わると、侘助と三芳は手軽な串物のつまみとビールを買い足し、人混みを外れて静かな場所に移動する。
「あの仮面の巫女、まだいるんですね」
正常な人間ならば必ず歳を取るはずなので、巫女は1〜2年続投することはあれど、彼らが子供の頃から今に至るまで同じ人物が続けるということはあり得ない。
近所の人々は、仮面の巫女はその年一番よく舞える子供が選ばれ毎年入れ替わっていると思っているようだったが、半分妖の血が流れており、この世ならざるものの世界を垣間見ることができる侘助と三芳は、仮面の巫女は少なくとも自分達の知る限りずっと同じ人物が務めていることを知っていた。
「あれが普通の子供連れてこの前うちの店に来た。憑いてるもんはヤバいけど、特に悪さはしねえみたいだし、大人しかったよ」
「へえ、身元を隠す為に引き篭もっているものかと思っていました。外に出てくるんですね」
酒とつまみを平らげると、侘助は懐から煙草の箱を取り出しトントンと端を指で叩いて箱いっぱいに詰まっていた煙草を1本取り出す。それを咥えてライターを探す侘助を見て、先にライターを取り出した三芳が当たり前のように火をつけてやる。侘助が煙を吐き出す間に三芳も煙草を取り出し火をつける。
「この神社で強いご利益があると評判のいい手書きのお札、多分あの巫女が書いているんでしょうね」
「半妖の俺達が言えたことじゃねえけど、あれは一体何なんだろうな」
二人は紫煙をくゆらせながらぽつぽつと話す。
「あの混ぜ物のバランスが崩れないといいんですけど」
「俺達に危害を及ぼすとは限らねえだろ。触らぬ神に祟り無しだ。気にするのはもう良そう」
そうですね、という侘助の返事で仮面の巫女の話を終わらせ、仕事のことだとか家族のことだとか、他愛もない内容に話題を変える。
話している内に短くなった煙草の火を携帯灰皿でもみ消し、その中に収めるとお互いに考えていることは何となく分かるのであえて言葉を発するでもなくそろそろ帰ろうと二人は立ち上がる。
藤の木が建ち並ぶ参道を並んで歩いていく二人の背後遠くからはカラカラと引き戸を開ける音がした。