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    zeppei27

    @zeppei27

    カダツ(@zeppei27)のポイポイ!そのとき好きなものを思うままに書いた小説を載せています。
    過去ジャンルなど含めた全作品はこちらをご覧ください。
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    zeppei27

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    なんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。横浜でクリスマスを楽しみ、大切なことを互いに伝え合う二人のお話です。メリー・クリスマス!

    >前作:鹿爪
    https://poipiku.com/271957/11178099.html
    >まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html

    #小説
    novel
    #RONIN
    #隠し刀
    #主福

    岐路 祝祭とは、これすなわち文化だ。何を尊び何を忌むのか、各々の判断基準が自ずと現れている。日本の年の瀬はしめやかに進み、パンと大きく正月で弾ける仕組みだが、所変われば品変わるという奴で、欧米諸国では年末こそが盛大に祝う時期であるらしい。小さな開国地である横浜の外国人居留地で、福沢諭吉は色とりどりの異国の飾りをまじまじと眺めていた。
    「Christmas Market、だそうですよ。売上は生活困窮者への年越しの補助に当てるのだとか。面白い仕組みですね」
    自分も先だって教会の壁に貼られていた知らせを読んだだけだというのに、さも従前から知っていたかのようなふりをして情人を見遣る。隣で興味深そうに木彫り人形を観ていた隠し刀は、少し目を瞬かせた後に口を動かした。
    「くりすます……よくわからないが、賑やかでいいな」
    「基督教と絡められていると理解しにくいですが、要するに年越しでしょう」
    新しい単語の発音を咄嗟に真似られず、まろやかな音が伸びて行くのは愛らしい。敢えて流暢に発音した甲斐があるというものだ。優秀な生徒でもある隠し刀は耳が良く、従って外国語学習者がしばしば苦労する発音も難なくこなせてしまう。最初の頃こそ雛のように可愛らしい発音だったが、今では堂々たる鷲のように己の力で羽ばたいて行ける力があった。それを少しばかり残念に、また切なく思うのは単なる諭吉の我儘だろう。子供はいつまでも子供ではなく、戻ることはない。
     今日はクリスマス、それも夜はクリスマス・イブというものが待っているのだという。教会でクリスマスの存在を知って以来、横浜貴賓館で情報収集に勤しんだ諭吉は、今では恐らく日本一のクリスマス通になっていた。先日は同僚の西周に知識を披露したほどだ。どうやら西は異人にクリスマスの晩餐会に招待されたのだが、先方で何をすれば良いのかわからなかったらしい。祝宴は我が国のものと同じですよ、と話す諭吉はさながら長年異国に滞在していたかのように自然体だった。
     それもこれも、元は情人と楽しい時間を過ごしたいという俗な考えに端を発している。生来の好奇心に加え、実が取れるとあれば身が入るのも道理だ。今日は料理屋も軒並み屋台を出しており、温めた葡萄酒や軽食を振る舞っている。薄く焼いた大きな煎餅状のものにくるくると豚肉と乳製品を挟んだ軽食(”がれっと”なるものらしい)を手に入れて二人して食べながら、諭吉は感慨深さから長々とため息を溢した。
     ここは小さな異国、仮初の異国旅行が叶う場所だ。居留地を一歩出た先とは地続きであると信じられない風景が広がっている。教会からは厳かな合唱隊による聖歌が流れ、風琴が高らかに音を奏でる。鳴り物は良い。芝居ほど大袈裟でなく、ほどほどに賑やかで結構なことだ。自分たちと同じように、立ち入ることを許された日本人たちも束の間の開放感を味わってぶらぶら歩いている。
    「お、始まるぞ」
    不意に隠し刀が時計台を見上げた、と思うと同時にドンドーン、と激しい地鳴りが辺り一面に響いた。次いで、ピイピイと激しい口笛と拍手が鳴らされる。時刻は丁度午後五時、事前に周知された祝砲を上げる頃合いだった。続け様に空砲が打たれ、花火がないのが勿体無いと思うほどに激しくやり合う。普段鳴り物に対して然程興味を持たぬ、朴念仁の極みたる隠し刀もこれには心動かされるものがあるのか、ただ呆然と突っ立ったままで耳を傾けていた。鼓膜が震えてじんじんし、風が吹くと火薬の匂いが鼻を掠める。余韻が十分に過ぎ去った頃を見計らい、諭吉はゆっくりと口を開いた。
    「幕府が返答の礼砲をするとは思いませんでしたね」
    「ああ。少し前までは考えにくかったろう」
    本当に心底驚いたのだ。音は海からだけでなし、陸側からも唸ったことくらいは見当がつく。危うい綱渡りをする、どちらかといえば日和見主義的な動きを見せる幕府にしては景気の良い振る舞いである。あるいは変事の前触れか。諭吉としては開国の兆しであってほしい所だ。
    「いつか、諭吉と海の向こうに行けたら、楽しいだろうな」
    「ええ」
    諸外国について、隠し刀は多くを知らない。人や物が来るのだから本当に存在するのだろうが、この目で見るまでは実在さえ信じ難いという物言いをしたことさえある。この国の多くの人間が同じ感覚を持つだろう。世界の大きさを実感するには当人にとって何らかの実を持った体験がなければ難しい。一枚の葉で理解する人間もいれば、何日も海を進もうが疑いの晴れぬ人間もいる。だからこそ、啓かれる機会は多くあった方が良いというのが諭吉の考えでもあった。
    「そのことですが――」
    言うならば今か、と切り出して、諭吉は隠し刀の姿を見つけられずに困惑した。つい先程まで隣にいたにも関わらず、消え失せたことさえ気づかなかった。あるいは自分が抱える物に夢中で、注意力が散漫になっていたのだろうか。どれもあり得そうなことだ。ひょいと伸び上がって人波の中から探そうとしても見えない。子供であるまいし、はぐれてしまうとは何事か。ガレットを包んでいた紙を乱暴に畳むとぐいと懐に押し入れて、諭吉は名を呼びながら人垣の割れた場所を目指した。
    「    」
    名前を呼ぶ。自分が名付けた、自分のためだけの彼の名前だ。他の誰のものでもない特別な音が、非日常のあれこれに織り混ざって霧散する。これでは声が届きようもない。彼のことだ、勝手にはぐれたということは考えにくい。恐らく何らかの理由があって離れたのだと信じたい所だ。置いて行かれた、などという子供っぽい焦りを抱く余地はどこにもないはずだ。落ち着いて深呼吸をすると、諭吉は一つひとつ普段の行いを振り返り、己の確かさを肯定した。
    「……しかし、ならば一体どうして」
    「諭吉!」
    「わっ」
    いきなり飛び出してきた顔に驚き、思わず一歩後ずさる。どん、と他人にぶつかり、反動でもう一度別の他人にぶつかったところで、逞しい腕がはっしと諭吉の肩を掴んで引き上げた。
    「すまない。驚かせてしまったな」
    「あなたでしたか。もう、どこへ行ってしまったかと心配したんですよ」
    滑らかな動きは間違いようもなく、尋人その人だった。つい拗ねるような口振で返してしまい、己の子供っぽさに恥ずかしさが込み上げる。もう良い大人で成熟しているはずだと、そう思って振る舞っているというのに、隠し刀の前ではどうにも形無しだ。修練の成果はどこへ行ってしまったというのだろう?きっと顔が赤らんでいるに違いない。居た堪れなさに顔を俯けると、隠し刀が口早に返す。
    「声をかけたが、聞こえていたか確認が至らなかったな。親とはぐれた子供を番屋に連れて行ったんだ」
    「あなたらしいですね」
    その子供は幸運だ。親とはぐれてそのまま泣き別れ、というのは割に珍しいことではない。見るもの聞くもの、何もかも刺激的な場所に入り込んで帰ることが叶わなくなった人を、諭吉は幾人も知っている。隠し刀も心得た上で、見るに見かねて助けたのだろう。そも彼は家を失った人だった、と諭吉は後ろめたさにずんと胸が重くなった。
    「そろそろ仏海軍の船に行こうか。ジュールが招待してくれた時間だ」
    「ええ、行きましょう」
    話は、また後でも良いだろう。否、いまだ話す決心がつかない。己の狡さを甘やかして、諭吉はぎゅ、と手を握りしめた。




     仏国では、クリスマスは家族の集いだという。だがここは異国、愛しの我が家は遥か先である。洋上の家族は洋上の友、そんなこともあって今日の仏海軍の艦船はどれもが賑やかに飾られ、遠くからでもそのキラキラとした飾りやランプの灯りが昼間のように輝いて見える。ちょうど夕が夜に交代しようという頃で、紫紺の空に浮かび上がる艦船は竜宮城か宝船かのように錯覚された。
     そのうちの一つ、ジュール・ブリュネが所属する船に乗ると、酒で真っ赤に茹で上がった海兵たちが満面の笑みで出迎えてくれた。甲板の上は宴会場と化しており、一角では人々が狂ったように踊っている。卓の一つに座っていたブリュネがこちらに気づくと立ち上がり、常と変わらぬ優雅さで挨拶した。
    「Joyeux Noël!やっと来たな、隠し刀。来ないのかと心配したぞ。福沢もようこそ、我が船へ」
    「時間通りだぞ、ジュール。酔って時計を読み違えたんだろう?会えて嬉しいよ」
    「ブリュネ殿、ご招待いただきありがとうございます」
    からかいの言葉にコツンと胸板を拳で叩くと、ブリュネも笑って同じ仕草を返す。この紳士はいかにも大人びているようで、時折こうした茶目っ気を見せるのだ。諭吉が言うところの、減り張りとやらがついているのだろう。もう米国へと去ってしまったマシュー・ペリーと同じく、大海のような剛柔兼ね備えたブリュネの佇まいを隠し刀は密かに羨んでいた。自分はここ数年、特にこの数ヶ月で随分人間らしくなったとはいえ、余裕のある振る舞いができていると問われたならば、答えは否だ。
     例えば、先ほども何の気なしに諭吉に寂しい思いをさせて心配をかけてしまっている。今も、情人はどこか途方に暮れた風であった。いつか自分が円熟味を帯びたらば、彼の憂いは拭えるだろうか。瑣末な悩みを他所に、ブリュネは二人を椅子に座るよう勧め、並べられた食事をあれこれ示した。
    「スモークサーモンはどうだ?良い牡蠣を取り寄せたからな、たくさん食べると良い。この日のために仕込んだ鳥も楽しみにしておけ」
    「ふふ、美味しそうですね」
    「全くだ」
    パッと諭吉の顔が綻び、途端に胸がじんわりと温まる。ブリュネの説明はあまり良く理解できなかったものの、情人が喜ぶならば何だって構やしなかった。実際、これまでブリュネが振る舞ってくれた仏国の料理は概ね美味である。何でも、彼の国の料理は欧州随一で、露国も英国も良家は仏国人を料理人として雇うのだという。半分冗談であるとしても信じるに値する味である。今日もきっと存分に楽しめるだろう。海兵たちが卓上に杯を並べると、ブリュネは葡萄酒をなみなみと注ぎ入れた。
    「だが、まずは乾杯だ。Santé!」
    「「「乾杯!」」」
    声を揃えて杯を掲げるのは、もう慣れっこである。一口軽く含み、その味を舌で転がし、香りを広げてもう一口。取り立てて説明はないが、きっとこれもまたこの日のために取っておいた特別な酒なのだろう。牡蠣に魚に、芋に肉、多種多様な食事がどんどんと運ばれ、諭吉以外ではなかなか浮足立たない隠し刀の気分も、否応なしに盛り上がった。酒のせいもあるのか、ふわふわとして心地良い。ブリュネからクリスマスの作法や謂れなどを聞く諭吉も楽しそうだ。
     宴会全体が平和に賑わい、幸せに満ちていた。今日は無礼講なのか、珍しくも甲板の上には派手な洋装をした女性たちも混ざり、海兵と踊っている。異人の女性はそう多くないので、芸者を連れ出したのだろうか。しかしそれにしては随分逞しいようにも見える。はて、と隠し刀がぼんやり酒に浸りながら考えているうちに、女性達は一列に並んで手を組み合った。どうやら何か何か演し物が始まるらしい。
    「Allez!」
    「Courage, Oh!Hisse!」
    ヒュー!と指笛が鳴らされ、俄かに周囲の兵達が総立ちになった。同時に音楽隊が激しくドンパンドンパンと太鼓を鳴らし、忙しく提琴を弾く。女性達から一斉に野太い声が上がり――思い切り右足が高々と天に向かって掲げられた。パッと鮮やかな白いドレスのひだの下からたくましい黒靴下が覗く。下袴のようなものが短く見えるが、もしかしたらば下着かもしれない。右、左、右、左、玩具のように脚が跳ね飛び、布がひらひらと舞った。
    「えっ」
    これにはさしもの諭吉も驚いたらしく、わあ、とか、ああ、とか言いながら目を泳がせて口元に手をやっている。恥ずかしがりながらも目が離せないらしく、どうしたら良いものかと戸惑う様が初々しい。一方の隠し刀は、ここに来てようやく違和感の正体に気がつき腑に落ちた。
    「仏国の海兵は気合が入っているんだな。ジュールも昔はやっていたのか?」
    「いや、俺の時代にはcancanはなかった。だが、似たようなものは踊ったような記憶があるな」
    パチン、とブリュネが片目をつぶって葉巻を吸う。どうやらこの演し物は伝統芸能の一種らしい。
    「え、あ、それって……もしかして、この方達は全員男性なんですか!」
    「正解だ、福沢。俺の部下たちだ。Bravo!」
    早い調子で拍手が打ち鳴らされるに合わせて踊りは激しくなり、だんだんと踊り子達が身につけていた仮初の乙女がずり落ちる。かつらや化粧の類が外れた時には、さすがの諭吉もくすりと笑う余裕を取り戻していた。今日は無礼講だから、というブリュネが部下達に注ぐ眼差しは柔らかく、慈愛に満ちている。彼の部下は幸福だろうな、と隠し刀は自分と研師が並んでいた頃のことを思い返していた。
     研師と自分、そして片割れの関係は仏国海軍よりも厳しいものだったが、年に一度だけそれが和らぐ時があった。正月である。討幕に燃える黒洲藩にも正月は訪れて、ささやかながら研師から普段は口にしない逸品としておでんが振る舞われるのだ。数日間かけてじっくりと煮込まれた、大根と鶏肉のつくね、それに餅が入った簡素なものではあったのだけれども、これを食べれば正月が来たのだと片割れと黙って頷き合ったものである。
     その日は二度と来ない。可能性は幕府が、そして自分が捻り潰してしまった。代わりに別の未来は開けたものの、時折苦いものを腹の奥深くから込み上げさせる。
    「このお菓子は丸太を模しているのですか?どうしてまた……うん、ふわふわして甘い」
    「こっちは少し苦いな」
    諭吉の台詞に現実に引き戻され、慌てて目の前の皿に盛られた菓子を摘む。茶色いのでてっきり餡子の仲間だろう、と思いきや、舌先で蕩けたのは甘さと未知の苦さを含んだ初めての味わいだった。
    「おや、chocolatを食べるのは初めてだったか?クリームと一緒に食べると良い、味がまろやかになるぞ」
    「しょくらあと」
    音までもが耳慣れない。諭吉は知っていたようで、しょくらあとについてさらりと説明してくれた。ただの菓子でなし、その昔には薬効も目覚ましかったという。何の方面であるかは、ブリュネに意味ありげに微笑まれただけで判然としなかったものの、洋の東西問わず人が求めるところは大凡同じだろうと想像された。からかいを受け流して、今度はクリームとしょくらあとを共に食する。苦さと、甘さ、生命の源である乳の香り。葡萄酒にもよく合って唸らせる。素直に伝えれば、ブリュネは満足げに煙を吐いた。




     結局、話を切り出す時間をうまく作れなかった。仏国軍艦から降りた諭吉は、風の冷たさに今更気づいて首をすくめた。もう灯りを落としてしまった街は、劇が終わった舞台のように生気を失っている。情人を見失うほどいた人々はどこへ消えてしまったのだろう?一人一人、彼らにはどこか行くあてがあったのだ、という安心感と、あったのか、という驚きの両方が胸に去来する。
     自分の行くべき道、行くあて、帰る場所、酔いだけでは流しきれない想いが渦巻いて止まらない。いつかは言わねばならない。言わないままでうまくいけたら、と甘えるのをもう終わりにしなければ、生傷をいつまでも引きずるだけだ。
    「あの、」
    「うん」
    当たり前のように長屋に向かっていた隠し刀が、こちらの戸惑いに合わせるように歩速を緩める。月明かりに照らされた表情は常と少しも変わらない。月に似て、見る人によっては冷たいと感じるかもしれない無骨な顔立ちを持つ男の中身が、太陽よりも情熱的であることを知る人間はそう多くはあるまい。
    「あなたに、お話ししたいことがあります」
    音が放たれた瞬間、微かに隠し刀の瞳が揺らいだのを見てとって、諭吉は少なからず後悔した。やはり言わない方が、互いにとって優しい未来を齎すのかもしれない。秘すれば花と言うではないか。だが、少しの間を空けてからの隠し刀の反応は予想と異なるものだった。
    「……わかった。ただ、あそこに移動しても良いか?」
    あそこ、と指さされたのは英国酒場の軒下だった。まだ店は開いているのか、中からはガヤガヤと喧騒が聞こえる。確かに、長話になるようであれば腰を据えて話した方が良い。もう十分酒が入った後であっても尚酔いは足りない。否、不足しているのは酒でなしに自分の意気地、ただそれだけだった。店に入ろうと扉に手をかけると、隠し刀がくいと袖を引く。
    「店に入らないんですか?」
    「いや、ここが良い」
    あくまでも軒下をご指定らしい。今ひとつ意図は掴めぬものの、もうこの際さっさと言ってしまおうと心に決め、諭吉は素直に軒下に並んだ。
    「幕府から、米国に向けて正式な派遣団を出すことが決定しました。僕も、木村芥舟殿の従者として同行する許可が下りました。つい二日前のことです」
    そして、と続けるも舌先がもつれて言い淀む。ここからが肝心だ、初手から躓いてどうしてくれよう。己の怯懦を叱咤し、下腹に力を込める。人は覇気を出すと熱を発するものらしい。顔に浮かんだ汗が顎を伝ってぽたりと落ちた。
    「出航は遅くとも一年後、あまり準備の時間は残されていません。ですので、今後僕が自由にこちらを訪ねることも、江戸で遊ぶことも難しくなるでしょう」
    そして、二人の付き合いは取りようによって簡単に悪意の餌になってしまう。聞こえの良い言葉を並べ立てながら、どうすれば誠実さと己の欲とを両立させられるのかと諭吉は煩悶した。先日隠し刀は自分に単刀直入に話してくれた――諭吉に対しては隠し事を作らず、嘘をつかずにいたい、という願いを。諭吉自身もまた、同じ想いを抱いていた。
    「虫が良いお願いだとはわかっています。ですが、けれど、僕は!僕は、あなたと繋がっていたいんです……お願いします」
    捨てるのは自分だ。捨てるつもりがなくとも、半ば海の向こうに捨てていってしまうような真似をするのは自分だ。にも関わらず、捨てられるような気分で切々と語るのは卑怯だろう。だからと言って、この醜悪な感情の吐露は一旦始めて仕舞えば、堰を切ったように勢いを持って止められそうにない。酒場が喧しい場所で本当に幸運だった。静まり返った街に晒すには余りに悍ましい。
    「諭吉」
    そっ、と隠し刀が手拭いでこちらの頬を、目元を拭う。一度拭いて二度、三度。そうして困ったように顔を歪めて、ちゅ、と乱暴に口付けた。いきなりの行動に目を瞬かせるも、相手はとうに離れてしまっている。早業を披露した男はゆっくりと深呼吸をし、にか、と笑顔を見せた。
    「おめでとう。お前の夢が叶って、私は嬉しい。それに、そんな風に私を願ってくれたことを幸せに思う」
    言いづらかっただろう、という言葉は、夕食に出されたブッシュ・ド・ノエルよりも甘い。どうして彼はこんなにも自分の欲しい言葉をくれるのだろう。都合が良い夢を見ているようで、諭吉は渡されるまま手拭いで自分の頬を拭った。汗だとばかり思っていたのは涙で、拭いても拭いても後から後から溢れて止まらない。自分の体が自分のものではなくなったかのようで情けなかった。隠し刀が、ふと頭上を指差す。クリスマスの飾りなのか、枝を束ねたものが吊り下がっていた。
    「この枝は宿木と言って、英国ではこの木の下で接吻をした二人は祝福されるんだ」
    かのアーネスト・サトウ曰く、”良いことがある”らしい。隠し刀は、今日一緒に街を歩いている最中ずっと、どこかにありはしないかと探していたのだ、と気恥ずかしげに続けた。
    「だからその……海を渡っても、きっと祝福されたままだ。諭吉はどう思う?」
    「僕は迷信は信じません」
    あんまりにも直向きな様子に、泣きながらも笑ってしまう。大の大人が二人して並んで一体どうしたことだろう。どちらも情けなくて、剥き出しで、必死だ。
    「ですが、僕はあなたを信じます。ありがとうございます」
    「ありがとう、諭吉」
    顔をくしゃくしゃにした男に、噛み付くように口付ける。今度の接吻は塩っぱくて、ついで苦かった。こんな接吻は初めてで、思えば自分は彼くらいしかまともに向き合って来なかった。自分と隠し刀の想いとが繋がった先には、やっぱり互いしかいないだろう。そうであってほしい。
     宿木よ、と小さな白い花を咲かせる枝を見上げる。もしお前に力があるならば、祝うが良い。海の向こう、遥か先の未来、再び自分がこの地を踏み締める日の二人を。離れゆく隠し刀の後頭部を捕まえるともう一度引き寄せて、諭吉は思い切り己等を祝った。
     それがどんな味であったかは、言葉にする方が難しい。

    〆.


    *補足
    フレンチ・カンカン:実際に仏国軍艦上で行われたことで、エドゥアルド・スエンソン『江戸幕末滞在記』に書かれていました。はっちゃけ過ぎていて、英国兵士も幕府の役人もあわあわしたそうです。
    宿木:英米中心に『宿木の下で男性は女性に口付けても良い』という不可思議な風習が18世紀頃からあります。由来は謎であるものの、祝福の意味自体はあることが他文献から汲み取れたので、本作ではほんのり要素を取り入れました。隠し刀にとっては伝聞情報なので、良いとこどりを聞いていて欲しいと思います。


    *普段は自分のHPにしか載せませんが、今回は区切れ目であるため、あとがきを添えます。

    あとがき>>
     メリー・クリスマス!最初の話を書いてからこの方ずっと書きたかった、横浜でのクリスマスです。諭吉、君は留学することを話してくれないまま、気づいたらいなくなってたから、一度言って欲しかったんだな……いやそりゃ行きたいとは言ってたけど!この辺りのゲームの流れが怒涛で、気づいたら一年が吹っ飛んでいて後で振り返って驚いたことを覚えています。ようやっとここまで書き続けることができて良かった……心の底から安堵しました。横浜はここまで、次は江戸でお会いしましょう。
     最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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    Replies from the creator

    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。数年間の別離を経て、江戸で再会する隠し刀と諭吉。以前とは異なってしまった互いが、もう一度一緒に前を向くお話です。遊郭の諭吉はなんで振り返れないんですか?

    >前作:ハレノヒ
    https://poipiku.com/271957/11274517.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    答え 今年も春は鬱陶しいほどに浮かれていた。だんだんと陽が熟していくのだが、見せかけばかりでちっとも中身が伴わない。自分の中での季節は死んでしまったのだ、と隠し刀は長屋の庭に咲く蒲公英に虚な瞳を向けた。季節を感じ取れるようになったのはつい数年前だと言うのに、人並みの感覚を理解した端から既に呪わしく感じている。いっそ人間ではなく木石であれば、どんなに気が楽だったろう。
     それもこれも、縁のもつれ、自分の思い通りにならぬ執着に端を発する。三年前、たったの三年前に、隠し刀は恋に落ちた。相手は自分のような血腥い人生からは丸切り程遠い、福沢諭吉である。幕府の官吏であり、西洋というまだ見ぬ世界への強い憧れを抱く、明るい未来を宿した人だった。身綺麗で清廉潔白なようで、酒と煙草が大好物だし、愚痴もこぼす、子供っぽい甘えや悪戯っけを浴びているうちに深みに嵌ったと言って良い。彼と過ごした時間に一切恥はなく、また彼と一緒に歩んでいきたいともがく自分自身は好きだった。
    18819

    zeppei27

    DONE何となく続いている主福の現パロです。本に書下ろしで書いていた現パロ時空ですが、アシスタント×大学教授という前提だけわかっていれば無問題!単品で読める、ホワイトデーに贈る『覚悟』のお話です。
    前作VD話の続きでもあります。
    >熱くて甘い(前作)
    https://poipiku.com/271957/11413399.html
    心尽くし 日々は変わりなく過ぎていた。大学と自宅を行き来し、時に仕事で遠方に足を伸ばし、また時に行楽に赴く。時代と場所が異なるだけで、隠し刀と福沢諭吉が交わす言葉も心もあの頃のままである。暮らし向きに関して強いて変化を言うならば、共に暮らすようになってからは、言葉なくして相通じる折々の楽しみが随分増えた。例えば、大学の研究室で黙って差し出されるコーヒーであるとか、少し肌寒いと感じられる日に棚の手前に置かれた冬用の肌着だとか、生活のちょっとした心配りである。雨の長い暗い日に、黙って隣に並んでくれることから得られる安心感はかけがえのないものだ。
     隠し刀にとって、元来言葉を操ることは難しい。教え込まれた技は無骨なものであったし、道具に口は不要だ。舌が短いため、ややもすると舌足らずな印象を与えてしまう。考え考え紡いだところで、心を表す気の利いた物言いはろくろく思いつきやしない。言葉を発することが不得手であっても別段、生きていくには困らなかった。だから良いんだ、と放っておいたというのに、人生は怠惰を良しとしないらしい。運命に放り出されて浪人となった、成り行き任せの行路では舌がくたくたに疲れるほどに使い、頭が茹だる程に回転させる必要があった。
    5037

    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。前作を読んだ方がより楽しめるかもしれません。遅刻しましたが、明けましておめでとう、そして誕生日おめでとう~!会えなくなってしまった隠し刀が、諭吉の誕生日を祝う短いお話です。

    >前作:岐路
    https://poipiku.com/271957/11198248.html

    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ro
    ハレノヒ 正月を迎えた江戸は、今や一面雪景色である。銀白色が陽光を跳ね返して眩しく、子供らが面白がってザクザクと踏み、かつまた往来であることを気にもせず雪合戦に興じるものだからひどく喧しい。しかしそれがどんどんと降り積もる量が多くなってきたとなれば、正月を祝ってばかりもいられない。交通量の多い道道では、つるりと滑れば大事故に繋がる可能性が高い。
     自然、雪国ほどの大袈裟なものではないが、毎朝毎夕に雪かきをしては路肩にどんと積み上げるのが日課に組み込まれるというもので、木村芥舟の家に住み込んでいた福沢諭吉も免れることは不可能だ。寧ろ家中で一番の頼れる若手として期待され、庭に積もった雪をせっせと外に捨てる任務を命じられていた。これも米国に渡るため、芥舟の従者として咸臨丸に乗るためだと思えば安い。実際、快く引き受けた諭吉の態度は好意的に受け止められている。今日はもう雪よ降ってくれるなと願いながら庭の縁側で休んでいると、老女中がそっと茶を差し入れてくれた。
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    related works

    zeppei27

    DONE企画4本目、加糖さんよりご指名頂いた黒田で、『分け合いっこ』です。豪快さと可愛さの合わせ技、黒田君はいろんなものを何の気なしに分け合ってくれるような気がします。多分他意はないんだ……あるって言って!
     リクエストありがとうございました!
    太陽の共食い 薩摩藩上屋敷は夏真っ盛りだった。縁側をみっしりと埋め、前庭に敷いた筵一面に広がる夏の成果に、黒田清隆は目を疑った。江戸に来てから久しいが、このような異様な光景に出くわすのは初めてである。
    「西瓜……だと?」
    「その通りだ、黒田」
    朋輩たちがわらわらと興味本位で群がる様に呆然としていると、のっそりと大きな影がさした。いついかなる時も沈着冷静な人は誰であろう、大久保利通である。流石に彼ならば事情を知っているに違いない。こちらの困惑を見て取ったのだろう、利通は淡々と続けた。
    「篤姫様が、暑気払いにと御下賜されたのだ。京の都から取り寄せたらしい。……一人一つだ!欲張るでないぞ!」
    「承知しもした!」
    すかさずちょろまかそうとした輩がいたのだろう、利通の一喝ですぐさま場の空気が引き締まる。確かに、薩摩の暑さに比べれば江戸の夏など可愛らしいものだが、暑いには変わりない。西瓜のみずみずしい甘さは極上に感じられるだろう。篤姫も小粋な計らいをしてくれたものだ。
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    zeppei27

    DONE企画2本目、うさりさんよりいただいたご指名の龍馬で、『匂いを嗅ぐ』です。龍馬は湯屋に行かないのでなんというか……濃そうだな、などと具体的に想像してしまいました。香水をつけていることもあり、変化を楽しめる相手だと思います。
     リクエストありがとうございました!
    聞香 千葉道場の帰り道は常に足取りが重い。それなりに鍛えている方だが、疲労は蓄積するものなのだと隠し刀は己の限界を実感していた。所詮は人の身である。男谷道場も講武館も、秘密の忍者屋敷もすいすいとこなしたところで、回を重ねれば疲れるのも道理だ。
     が、千葉道場は中でも格別であった。理由の一つは毎度千葉佐那が突撃してくることで、一度は勝負しないと承知してくれない。そうでもなければ、「私に会いに来てくださったのではないですか」などとしおらしい物言いをされるので弱ってしまう。健気な少女を健全に支えたつもりが、妙な逆ねじを食わされている形だ。
     佐那だけならばまだ良い。性懲りもなく絡んでくる清河八郎もまあ、どうにかなる。問題は最後の一つで、佐那が坂本龍馬と自分との手合わせを観たいとせがむところにあった。彼女は元々龍馬と浅からぬ因縁があり、ずるい男は逃げ回るばかりで年貢を納めようとしない。その癖、隠し刀の太刀筋が観たいだのなんだの言いながら道場までついてくる。佐那は龍馬と手合わせできないのであれば、二人が戦う様を観たいと譲歩してくれるというのが一連の流れだ。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。諭吉が隠し刀の爪を切る話。意味があるようでないような、尤もなようで馬鹿馬鹿しいささやかな読み合いです。相手の爪を切る動作って、ちょっと良いですね……

    >前作:黄金時間
    https://poipiku.com/271957/11170821.html
    >まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    鹿爪 冬は、朝だという。かの清少納言の言は、数百年経った今でも尚十分通じる感覚だろう。福沢諭吉は湯屋の二階で窓の隙間から、そっと町が活気付いてゆく様を眺めていた。きりりと引き締まった冷たい空気に起こされ、その清涼さに浸った後、少しでも暖を取ろうとする一連の朝課に趣を感じられる。霜柱は先日踏んだ――情人である隠し刀とぱり、さく、ざく、と子供のように音の違いを楽しんで辺り一面を蹂躙した。雪は恐らく、そう遠くないうちにお目にかかるだろう。
     諭吉にとっての冬の朝の楽しみとは、朝湯に入ることだった。寒さで目覚め、冷えた体をゆるりと温める。朝湯は生まれたてのお湯が瑞々しく、体の隅々まで染み通って活きが良い。一息つくどころか何十年も若返るかのような心地にさせてくれる。特に、隠し刀が常連である湯屋は湯だけでなく様々な心尽くしがあるため、過ごしやすい。例えば今も、半ば専用の部屋のようなものが用意され、隠し刀と諭吉は二人してだらけている。
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    recommended works

    創作部部誌班

    PASTタイトル:過去作品まとめ
    作者:智紫国基
    テーマ:魔法/宇宙
    過去二年分の部誌に掲載した小説です。あえて加筆修正をせずそのままの文章を使用しています。こうして改めて並べると、文章の書き方の変化やその時に影響を受けていたものがよくわかりますね…笑
    過去作品まとめ
    智紫国基

    ・魔法存在論議 ──── 二〇一八部誌 テーマ「魔法」
    ・星降る夜に ──── 二〇一九部誌 テーマ「宇宙」



    ─・─・─・─・─・─・─・─・─・─



    二〇一八 ──── 魔法存在論議



               魔法というものは果たして、
               この世に存在するのだろうか。



     そのような事を本気で議論しようとするのであれば、誠に不本意ながら少々学の足りない人間であると思われるかもしれない。それくらいは流石の僕とて、理解している。
    しかし、誰にだって、魔法が使えれば、と思う瞬間はあるだろう。



              そう。例えば、今の僕のように。





     僕は、中学生。今日の日付は、八月三十一日。これで、大体の方には何故僕が魔法を渇望しているか、察して頂けただろうと思う。
     …そう、全くもってその通り。僕の机の上には、未だ手付かずの問題集が積み上げられている。
     大体、今は「夏季休暇」期間ではないのか。休暇であるはずなのに、何故課題なるものが存在するのか。…などという事を今更嘆いても意味はなく。魔法が使えないのであれば、 6397