隣国の王子 夏、期末テスト前。
「……あ、隣国の王子また来てる!」
窓の外に目をやり、佳奈が叫んだ。
「集中しなよ」
佳奈は随分と前から、ぼんやりと景色を眺めていた。教室に居残ってテスト勉強をしようと誘ってきたのは佳奈の方だというのに、開き癖のついた数学の問題集はさっきから1ページも進んでいない。前回のテスト赤点だったけど、大丈夫なのか。
「いやだって待って、校門のとこ見てよ」
何なんだこいつは、と渋々顔を上げて、私も佳奈の指差す方向を注視した。1-Eの教室からは校門がよく見える。
校門のところに立っているのは二人の男だった。片方は他校の制服を着ている。いずれも背が高い。
「あ、王子先輩と……誰?」
「名前は知らんけど、やばくない? かっこよすぎない?」
「うーん、言われてみればまぁ」
興奮気味な佳奈と違い、両目共に裸眼視力1.0ジャストの私には、背が高くて品の良さそうな人だな、くらいの情報しか読み取れない。あとは、制服が進学校の物だとも分かった。
「あの人、六頴館の生徒会長らしいよ」
「なんで知ってるのさ」
「王子一彰から直接聞いた」
そういえば、保健委員会で佳奈は王子先輩と接点があった。
4月は王子先輩と同じ委員会に所属した佳奈を羨ましがっていたクラスの女子も、初夏の頃にはすっかり夢から醒めていた。決して悪い人ではないのだけれど、王子先輩がこの1学期に起こした数々の事件(?)を鑑みれば、無理はない。あの人を恋愛対象として見られる女子がいたらお目にかかってみたいものだ。ちなみに、佳奈は色々あって王子先輩のことを「王子一彰」と呼んでいる。何があってそんな関係に至ったかの詳細はまだ聞いていない。
幸か不幸か、私たちの学年には烏丸くんという容姿と性格ともに完璧な男の子がいたので、イケメンに夢を見たいタイプの女子は大抵がそっちに流れていった。カトリーヌこと葉子ちゃんも烏丸くん過激派らしい。
「しっかし絵になるな」
紙パックのミルクティを細いストローで吸いながら、佳奈が呟いた。ジュッと音を立てて飲むな、行儀が悪いぞ。
「何が」
「校門の二人。王子一彰は顔だけ見れば王子だし、隣国の王子も方向性違うけど、王子様顔じゃん。プリンセス物のアニメーションに出てくるタイプのやつ」
佳奈の言うこともわからないでもない。遠目に見ても仲よさげな二人の様子は、絵本の中の1ページと言われてもまぁ納得がいくだろう。
「あぁ、それで隣国の王子ってわけか」
「そうなんだよ〜。てかあたしが隣国の王子のこと初めて見たのって、5月頃なんだけどさ、その時は間近で遭遇してるんだよね。やばかった」
「やばかった?」
「色男オーラが凄い。あの王子一彰と並んでて全く霞まないビジュアルの強さってやばない? あとすれ違った時いい匂いがした」
「気持ち悪っ」
「で、次の委員会の時、王子一彰に会った時に『紹介してくれ〜!』って頼んだんだけど」
「行動力凄いな」
「『おもしろいね……ぼくに勝てたら、きみを紹介してあげてもいいよ』って」
お前は隣国の王子の何なんだ〜! と佳奈は頭を掻きむしったそうな。それは確かにそうだけど、佳奈もそれなりにヤバい女だな、と思った。
「王子先輩に勝つ、って何したの?」
「勝負の形式は色々だったけど、今までやったのは、えっと……スポーツテスト点数勝負とか、ラップバトルとか、麻雀とか」
指を折りながら挙げる種目には、驚くほど統一性がない。
「仲良しかよ。勝てた?」
「全敗だよ」
とはいっても、健闘を讃えてとか言って、隣国の王子の好きな食べ物とか、最近読んでいた本とか、靴のサイズとか、下着の色とか、ちょっとした情報を小出しに与えられているとのこと。完全に玩具にされている。生かさず殺さず、という言葉が頭に浮かぶ。
「でさ〜、次の勝負が数学のテストの点数なんだよ〜」
「前回赤点だったね」
「そう。ひどくない? あたしに不利過ぎる勝負で腹立つんよ。くっそーーー!」
窓の外を親の仇でも見るかのように睨みつける佳奈。視線の先には、六頴館の生徒会長と談笑する王子先輩。
傍から見ている分には面白い。
佳奈の熱視線が届いたのか、ふと王子先輩の顔がこちらを向く。私たちが見ていることに気付いた先輩は、優雅な所作で手を振ってくる。見た目どおり、ちょっと貴族っぽいお手振りだ。
「うわ、気付かれた」
うげぇと顔をしかめる佳奈。
「手、振られてるけど返さないの?」
「嫌です」
「でも隣国の王子も一緒だよ。無視したら印象悪くならん?」
「くっ……確かに」
背に腹は代えらんねぇ! と観念した佳奈は、手をブンブンと振り返した。激しい動きだ。机に置かれたミルクティの紙パックを倒さないように、注意しておこう。
私が紙パックを掴んだちょうどその時、佳奈の動きがピタッと止まった。
「え、何」
「……れた」
「は?」
「隣国の王子に会釈された。認知された!」
感激した佳奈は、若干涙ぐんでいる。アイドルのファンサを直に浴びたようなリアクションだ。いや、会釈くらい誰でもするだろう、と内心思ったけれど言わないでおいてやる。
私が黙っていると、佳奈はおもむろに数学のテキストに向き直り、猛烈な勢いで大学ノートの空白を埋め始めた。さっきまでのやる気の無さが嘘のようだ。
──佳奈は、こういうやつなのだ。
集中力が散漫で常にやる気に乏しいやつだけど、スイッチが入った時の爆発力はものすごい。
思い返してみれば、佳奈のスポーツテストの結果はなかなかのものだった。ハンドボール投げを除いた全種目で8点以上のスコアを記録して、学年に数人しかいないA判定を取っていた。それでも点数では王子先輩に負けたということだから、先輩の運動神経の高さが伺える。そういえば王子先輩、この前の体育祭でもクラス対抗リレーでアンカーをやってたな。2着にだいぶ差をつけての1着だった。
果たして王子先輩は、佳奈の爆発力を知っているのだろうか。知っていて、佳奈の潜在能力を引き出す実験をしているようにも見えるし、ただ単におもしろい後輩をからかって遊んでいるだけにも取れる。どっちなんだろうか。
わからないけど、結果的に誰も損をしていないので、追求する必要はないだろう。
ちなみに、後日返却された数学のテストで、佳奈は私よりも高い点数を取っていた。王子先輩には負けていたけど。あの人、頭も良いんかい。