『 前略 藤堂葵様
このように手紙を書くのは初めてのことですね。別に手紙を書かずともSNSでやりとりできますし、それなりに会って話す機会もあります。年賀状すら送っていないというのに、わざわざ便箋を買ってまで筆を執ることになるとは……筆とか言ってボールペンじゃねーかとか言わないでくださいね、慣用句ですから。慣用句って分かりますか?笑
さて、藤堂君との思い出でも語りましょうか。高校三年生で進路志望の提出用紙が配られた時、俺はてっきり藤堂君は清峰君と同じようにプロ野球選手と書くのかと思っていました。しかし違いましたね。君はスポーツ推薦での進学を志望しました。プロになりたいという気持ちはある。ただ、小手指のみんなやシニアの先輩達とやる野球が楽しいのであって、果たしてプロ選手として自分がやっていけるのか、このような心持ちではプロなど務まらないのではないか、もうちょっと自分を鍛えたいのだ、というようなことを君は言っていました。それも本音でしょう。君は気持ちに左右されるところがありますし。でも、ご家族のためもあったのでしょうね。同じ寮暮らしでも地方の球団よりは都内の大学の方が融通が利きます。
とにかく君は4年間、大きな怪我もなく、それどころか1年から試合に出て、3年、4年には日本代表にも選ばれて、4年では常にスタメン起用でした。華々しい活躍の藤堂君は当然ドラフトでも一番人気……と言いたいところですが同世代の投手が強すぎましたね。でも君は希望の球団からの指名を無事に受けることができました。素晴らしいことです。
別の大学にいた俺は藤堂君の活躍を元チームメイトとして誇らしく思うと同時に』
ここまで書いてあって続きがない。藤堂葵は一応便箋を裏返してみたが、やはり書いていなかった。テーブルの下に続きが落ちていないかも確認してみたが、見当たらない。何故途中までなのか、これを書いた千早瞬平はどこへ行ってしまったのか。
藤堂は昨日のことを思い出す。昨夜は久しぶりに元小手指高校野球部の、藤堂、千早、清峰、要、山田の五人が揃った。それなりに有名な野球選手がいるのでなかなか外でハメを外すことはできない。そこで藤堂の住むマンションに集まることになったのだ。退寮した藤堂の部屋を見てみたいという野次馬的思いもあっただろう。とにかく、藤堂の手料理とみんなが持ち寄った酒類を思う存分食べて呑んで、適当なところでお開きになって……千早は残った。
『前に約束したろ、覚えてるよな』
『えぇー…そんな約束してましたっけ』
『その顔は覚えてる顔だろ!』
みんなが帰った後の会話である。それから寝て、目が覚めると日が昇っていた。千早はまだ眠っていたので、起こさないように身支度し、日課の走り込みへ行った。
そしてダイニングのテーブルに置かれた手紙を見つけたのだ。寝室にもトイレにも洗面所にもバスルームにも千早はいない。帰ってしまったのか。
汗も拭かずに藤堂は何度も手紙を読み返す。千早の筆跡は高校時代によく見たが、最近はとんと見ない。千早らしい字だ。藤堂葵と書かれたところを指で辿る。なんとなくいつもよりかっこいい名前に思える。
ガチャリと玄関の戸が開く音がした。
◯◯◯◯
約束を果たそうと手紙を認めてはいたのだ。でも途中で書けなくなった。今なら書けると思っていたのに。高校、大学、社会人。その間ずっと藤堂に対して抱いていた感情は友愛だけではなかった。彼の苦しみも努力も知っている。彼が掴んだ栄光も積み上げてきた実績によるもので、それは天性の体格やセンスだけでは得られない。それでも手の届かぬ舞台に立つ藤堂葵を遠くから観るしかできなかった頃のことを、綺羅綺羅しい褒め言葉だけを贈ることはできなかった。嘘つきの自覚はあるけれど、つきたくない嘘だってある。
未完成の手紙をテーブルに置いて外へ出たのは賭けだった。藤堂が戻る前に俺が帰れたら手紙は無かったことにする。藤堂が先に帰ったら……
◯◯◯◯
「書き置きもなしにどこ行ってたんだよ」
「先に俺を置いてったのはそっちじゃないですか」
「俺が走りに行ってるのは知ってるだろうが」
「見たら分かるでしょう、パン買ってきたんです。藤堂君も食べます? 朝ごはんにしましょう」
「飯くらいあんだけど」
「今日はパンの気分なんです。あ、でもベーコンエッグが食べたいです」
「お前さあ……いいよ、焼いてやるよ。それより先にこれ、」
「ああ、藤堂君があんまりしつこいから頑張ったんですよ、でもお腹空いたし手も疲れたし飽きちゃったんですよね」
「飽きてんじゃねーよ! 続き書け! 書かんと卵は焼かん!」
「しょうがないですねえ」
『俺がプロになったら俺がチームを優勝に導くので、藤堂君は精々俺と同じチームになれるといいですねって思ってました。なっちゃいましたね。藤堂君が凡打でもちゃんとホームに還りますので安心してくださいね笑』
「前半のノリと全然違うじゃねえか! 真面目にやれよ!」
「書いてもらっておいて文句言うのは酷くないですか?」
「そ、れはそうだけどさあ〜」
「ほらほら卵焼いてくださいね」
社会人チームに所属していた千早がドラフト指名を受けたのが先日。藤堂と同じ球団というのはでき過ぎだった。昨夜の祝いの席でも散々、主に要が絡んできた。最強最愛の二遊間じゃん強すぎ、負けられないね、はるちゃん、負けない、俺が一番強い。は? 俺らが勝つっつーの。当然です。まあまあ、僕はどっちも応援してるよ。
◯◯◯◯
高校大学社会人と交際を続けている恋人同士が同じ球団に所属する確率はどれくらいだろう。それでも藤堂は勝ったのだ。千早は昔の賭けを思い出す。
「清峰君宛のラブレターを預かっただけなんですけど。何度も言ってるじゃないですか。いい加減その腑抜けた顔やめてください」
「分かってるけどよ……見た目のインパクトが忘れられん。夢に見そう。今日俺悪夢確定じゃん……」
「とっとと忘れてください」
「無理だろ……恋人が他の野郎にラブレター渡してんだぞ……俺貰ったことないのに……」
「言っておきますけど書きませんよ、面倒なんで」
「なんでだよ、書けよ。俺も書くから」
「いりませんよ、そんな恥ずかしいもの」
いらないというのは照れ隠しだと伝わっただろうか。どうにも俺は気持ちを隠そうとして言い過ぎたり、揶揄い過ぎたりしてしまう。藤堂はそれを許すこともあれば咎めることもあり、甘やかすだけではないから二人の交際は続いている。ショックを受けてるらしい恋人を慰めてやるくらいは千早もしなければならない。
「……そうですね、もし俺と藤堂君がまた同じチームになったら書いてあげてもいいですよ」
「言ったな? 十二分の一か……お前どこ狙い?」
「それを言ったらつまらないでしょう、それに希望通りとは限らないじゃないですか」
あの時点で二人の志望校は違っていたし、千早はプロ志望と口にも態度にも出していたし、それなりの自信を取り戻していても、心の底には不安があった。でも藤堂にとっては二人ともプロになることは当然の未来が見えていた。それが嬉しかった。その後華々しい活躍をする藤堂を羨むことも、それが情けなくて恥ずかしくて、藤堂には知られたくないことも。プロの舞台で二遊間を組めることになるなんて、本当は泣きたいくらいに嬉しいことも。手紙に書くことはできない。嘘も秘密も多い千早瞬平を恋人に選んだのは藤堂葵だ。
藤堂がベーコンエッグを焼いている間に千早はボールペンで追記する。
『p.s.晩ご飯はデミグラスハンバーグがいいです』