鼓動が限界(ある夏の日に) 初めてギノと口づけをした時、心臓が痛すぎて病気になったと思った。不恰好にも手の汗がびしょびしょだったし、それで嫌われやしないかまた心臓の鼓動が早くなった。何回も歯磨きした、歯磨きしすぎて血が出るくらい歯磨きした。ガムも噛んだしミント味のラムネも食べた。そうして俺はやっとギノと先送りにしていたキスをして、恥ずかしそうに笑う彼にもう一度キスがしたくなった。でももう鼓動が限界だ! これ以上キスしたら死んでしまうかもしれない。死因、キスをしたこと、愛する人とキスをしたこと、少しロマンチックだけれど、もっとしたいことがたくさんある。海に行きたい、山に行きたい、俺が好きなところ全てにギノを連れて行きたい。廃棄区画にある古本屋とか、やっぱり廃棄区画にあるジャンキーなハンバーガーショップとか、そんなところにギノを連れて行きたい。ギノは嫌がるだろうな。でも俺を知って欲しいんだ。俺はまだ童貞でデートの仕方も知らなくて、だから自分の好きなものを教えるくらいしか思いつかない。でもそれだって充分だろう? 俺の好きなものは、俺を構成するものなんだから。それを差し出すってことは、俺を差し出すってことなんだから。
「なんか、どきどきするな……」
「馬鹿、こんなの、唇をくっつけてるだけだろ。これくらいお前が見せてくれた映画の中でも……」
「キス以上も、見た、よな……」
ギノが顔を赤くする。今は発禁になってる昔の映画にはそういうシーンも多くて、俺はわざとそんな台詞を口にした。そうしたら彼が許してくれるかもしれないと思って。でも頭の中はぐるぐるどうしよう、どうしようって言葉が回って、心臓の鼓動は限界で、俺はもう何もできない馬鹿みたいな子どもだった。
「あれは、映画だろ、そういうことするなら厚生省推薦の……」
ギノが墓穴を掘る。俺は笑う。そうして俺たちは小さな部屋の中で、先生から鍵をくすねた国語準備室の中で、もう一度キスをした。どちらからともなく、約束をしたわけでもなく、ただ、そうするのが映画みたいだったし、本みたいだったし、ずっと昔から続いている決まりのように思えた。俺たちはキスをした。暑い夏の日に、二度とない夏の日に。