魏嬰特製カクテルがノンアルコールなのは当然です!「歓迎光臨(いらっしゃいませ)。ようこそ、バー蓮花塢へ」
魏嬰は呼び鈴の音を聞きつけ、店の入り口のほうへ明るく声を掛けた。
まず若い女性が二人。その後ろから背の高い男が入ってくる。その男を見て驚いた。
「藍湛! 本当に来てくれたんだ!」
魏嬰は急いで濡れた手を拭くと、カウンターから出て三人のほうへ向かった。
十代の頃からの親友へ近づき「デートか?」と耳打ちすると、藍湛は一瞬動きを止め、それから魏嬰をまじまじと見つめた。だがしばらく待っても返答がないので、魏嬰は諦めて二人の女性のほうへ顔を向けた。
二人とも、魏嬰や藍湛と同じく大学生のように見えた。店内を見回していた彼女たちが、店を褒めているのが耳に入ったので、魏嬰はニッコリと微笑みかけた。
「ありがとうね。ここは俺のおじさんの店なんだよ」
まだ開店間もない時間のため客もまばらだ。魏嬰は新らしい客をカウンターへと先導する。
よく磨かれたオーク材のカウンターの前にはスツールが八個並び、真ん中には一人先客がいてタブレットを操作している。
魏嬰が女性二人を右端へ案内すると、藍湛はさっさと左端へ行って座ってしまった。これには彼女たちも言葉を失ったようだ。
魏嬰は内心で苦笑しつつ、「あいつ、昔から恥ずかしがり屋だから」ととりなして注文を聞くと、シェイカーを二つ並べ、酒とジュースを注いでアイスを入れた。
「今日は藍湛のおごりだから、楽しんでいってね」
と適当なことを言い、シェイカーの蓋を締めると、二つともを空中高くに放った。
女性たちが目を丸くする。
魏嬰は、場をなごませるための一発芸をいろいろ持っていたが、ジャグリングはレパートリーの一つだ。
シェイカーの銀色の表面が、温かな色の照明を反射して光る。白いシャツ、黒のジレにネクタイというシックな制服姿の魏嬰を中心に、それが四周五周と回った後、魏嬰はくるりと身を翻して客に背を向け、後ろ手でシェイカー二つをキャッチして見せた。
そしてシェイカーをよく振ってから中身をグラスへ空けると、女性の片方から、結局ふつうに振るんですねと指摘が入る。
「ジャグリングじゃ、中身はしっかり混ざらないんだよね」
そのやり取りが聞こえたらしく、カウンターの真ん中にいた男が顔をあげてクスクス笑い出した。
「あーあ、魏兄、カッコつかないですね」
藍忘機もカウンターの端から魏嬰を見つめていたので、男の声を聞き、先客が聶懐桑だと気づいたようだ。礼儀正しく彼に会釈する。
「魏兄、僕にももう一杯ください」
魏嬰は女性たちにカクテルを出したあと、聶懐桑の前に水のグラスを置いた。
「それ、五十元な」
聶懐桑のブーイングを無視して、魏嬰はカウンターの中を藍湛の前まで移動した。
「お待たせ。酒飲めないのに来てくれたんだな」
「蓮花塢へ来いと言ったのはきみだ」
魏嬰は微笑むと、グラスを取り出した。
「どうぜメニュー見てもわからないだろ。適当に作るけど、いいよな」
そう言うとグラスにカットした苺をいくつか入れてレモンを絞り、ペストルで果肉をつぶし始めた。
「おまえが来たときのために、ノンアルコールのレシピも研究してたんだぞ」
シロップを注ぎ、小さめに砕いたアイスを入れてソーダを静かに注ぐと、背の高いグラスの中には、深くなるほど赤く色づくグラデーションが現れた。
藍忘機の視線は、バーテンダーの真剣な眼差しと、器用に動く手元のあいだを行ったり来たりしている。
続いて魏嬰は真っ白な綿飴を出すと、丸めた上で長い耳を二本伸ばし、ウサギの形に整えた。グラスに乗せ、シルバーのストローをさす。
「はい、できあがり。写真撮ってもいいぞ」
半分冗談だったが、藍湛は生真面目にうなずいた。スマートフォンで綿飴のウサギを撮影している彼に、魏嬰がふいに顔を近づける。
「おまえさ、これ飲んだらあの子たちの隣の席へ行けよ」
「なぜ?」
「あの子たちと話さないと」
「特に話すことはない」
「おまえの連れだろ?」
「いや。店を案内しただけだ」
「え?」
魏嬰が状況の理解に努めていると、ドリンクを片手に女性二人がやって来て、藍湛のそばに立った。
(ほら見ろ、女の子たちはは藍湛と話したいんじゃないか!)
だが藍湛は気にするふうもなく、ストローでカクテルを飲みはじめた。
仕方なく魏嬰から話しかけたところ、彼女たちが授業の後、「どこかオシャレなバーを知りませんか?」と藍湛へ声を掛け、バー蓮花塢へ来る約束を取り付けたことがわかった。
(だから藍湛は、店を案内して終わりだと思ってたのか。この子たちは、藍湛と飲みに行きたいって意味で言ったのに!)
魏嬰が見たところ、青いワンピースを着たほうが藍湛に気があって、もうひとりは付き添いのようだ。
浮いた話のない親友が、珍しく女性と接点を持ったのだから、彼の株が上がるような話でもしよう。魏嬰はそう思いつき、藍湛の頭越しにさらに彼女たちへ話しかけた。
「藍湛が勉強ができるのは知ってると思うけど、ほかにもいろいろ習い事をしててさ。チェロもなかなかの腕なんだよ」青いワンピースが感嘆のため息を漏らす。「今度、聞かせてもらうといいよ。ほんと藍湛は真面目ちゃんだよなあ。あれだけ勉強もして、楽器の練習までしちゃうなんて」
「あれは君が、君のフルートと合奏しようと言ったからだ」
藍湛が淡々と言う。
「ああ、二重奏を何曲かやったよな。クリスマスのコンサートとか、盛り上がったなあ」
「うん」
魏嬰は女性たちのために、二杯目のカクテルを作りながら続けた。
「あとはそう、藍湛は語学も達者なんだよ。俺のおじさんが――あ、ここのオーナーバーテンダーのおじさんね。仕事のついでに、俺と藍湛をニューヨークに連れて行ってくれたことがあったんだけど……あれ、藍湛、なんであのとき江澄いなかったんだっけ?」
「彼は受験があったから、君が替わりに私を誘ったんだ」
「ああ、そうか。でね、もう藍湛は機内から、乗務員と普通に英語で話してて」
「あれはきみが何か月も前から、旅先で困らないよう練習しておこうと言ったんだ」
「そうだっけ? まあ、俺もあの時は、観光楽しみだったからさあ。とにかく、江おじさんもビックリしてたよ。ね、藍湛は無表情だけど、いいヤツだから、これからもよろしくね」
精一杯、宣伝したつもりだったが、魏嬰が話すほどに青いワンピースの彼女は青ざめていくように見えた。隣の付き添いの女性が「ね、言ったでしょ。藍湛にバーに連れてきてもらったっていうだけで、クラスのみんなには自慢できるから、それだけで満足したほうがいいよ」と耳打ちしている。やがて二人はカウンターの反対側、元の席へと戻ってしまった。
「え……俺、なんか滑った?」
魏嬰がポツリとつぶやくと、聶懐桑があり得ないものを見たという顔で言った。
「滑りましたね」
「なんで?」
聶懐桑が女性たちに顔を背けながら小声で返した。
「魏兄、ものすごいのろ気っぷりでしたよ」
「へ?」
「わからないんですか? 魏兄の今の話は、ただの彼氏自慢でした。ああ、いたいけな彼女に同情します」
「……」
バー蓮花塢の店内には、一日の仕事を終えた客たちが次々にやって来て、魏嬰も友人たちの相手ばかりしていられなくなった。
藍湛は懐桑に倣い、スマートフォンで本でも読みだしたようだった。だが魏嬰が仕事のあいまに彼のほうを見やると、藍湛と何度も目があったので、どうやら魏嬰の仕事ぶりを観察しているのかもしれない。
例の女性たちは、先輩のバーテンダーが話し相手をしてくれているようだ。
座席のほとんどが埋まり、藍湛の分も含めて何十杯もドリンクを作り、またそれ以上の数のグラスを下げて洗い終わったころ、また魏嬰は藍湛の前に立った。
「悪いな、あんまり相手できなくて」
「いや、こんなに話せると思っていなかった」
「そうか?」
あの後しばらくして、女性たちは藍湛にごちそうになった礼を言って帰っていった。聶懐桑は兄を待つあいだの時間潰しで来ていたらしく、聶明玦が来ると連れ立って行ってしまった。
カウンターのなかでは、店のスタッフたちが忙しく立ち働いている。
「君は私と話していていいのか?」
「ああ、俺はそろそろ上がりだよ。江おじさんが、学生は夜更かしするなってさ。その代わり、授業が終わったら早く来て掃除してる」
「そうか」
「あのさ、あいかわらずダブルスクールしてんの?」
「ああ、通っている」
藍湛は彼の兄共々、家業を継ぐことを求められている。そのため彼は、大学の講義のほかにスクールへも通っていた。
ほどほどにしておけとか、無理をするなとか言っても、どうせ彼が真面目に勉強に取り組むことはわかっているから、魏嬰はこう伝えた。
「また飲みに来いよ」
藍湛がうなずき、あの無表情がふっとゆるんだように見えた。つられて心がとろけるような心地がして、魏嬰は続けて尋ねた。
「今日って歩き?」
「うん」
「じゃあ送っていくよ。店の入り口で待ってて」
ロッカールームで私服に着替え、大学の教科書やラップトップでふくらんだバッグを持つと、バイクの停めてある駐車場へ向かった。バイクのエンジンをかけながら、ふと藍湛の実家がいまだに門限に厳しいことを思い出し、彼に兄に宛てスマートフォンに文字を打ち込んだ。
――藍湛がデートでうちの店に来てくれました。門限までに送り届けますから、心配しないでください。
藍湛は、魏嬰のバイクの後ろに乗せられ、夜の都会から住宅街へと運ばれていた。
初夏の夜風のなか、ジャケットを通して魏嬰の背の温度が伝わってくる。
自宅の門の前でヘルメットを返すと、魏嬰が言った。
「気をつけてな」
「自分の家の敷地で気をつけるのか?」
「そうだよ。おまえんち、門から玄関が遠いからな」
挨拶をして別れ、藍湛が門からの道を歩いて玄関の戸を開けると、兄のニコニコした顔が彼を出迎えた。
「魏嬰君から連絡があったよ。今日はデートだったんだって?」
藍湛は驚き、思わず目を伏せた。
「魏嬰がそんなことを? そうですか。彼のバイト先を訪ねることもデートに含まれるんですね」