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    巨大な石の顔

    2022.6.1 Pixivから移転しました。魔道祖師の同人作品をあげていきます。

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    巨大な石の顔

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    サンサーラシリーズ第一章。江澄はすごく心配しているけれど兄上には伝わらない話。

    #魔道祖師
    GrandmasterOfDemonicCultivation
    #藍曦臣
    lanXichen
    #江澄
    lakeshore

    天人五衰(二) 白木蓮こと藍曦臣は金麟台へ到着したその日から蓮池の写生に取りかかった。
    金麟台の蓮池の蓮は、金凌の父親である金子軒が妻江厭離のために特別に品種改良したもので早朝から夜半まで花開くとかつて金光瑶が教えてくれた。藍曦臣はしかし陽が沈む前には町で取っている宿へ戻るつもりだった。
     絵師の格好をしてはみたものの、手元にある色彩は墨だけで色を付ける気は今のところちっとも起きなかった。
     阿瑶に何度か通されたことのある四阿に腰かけ、寒室に残っていた上等の紙に墨一色で濃淡をつけて蓮池を再現していく。
     青々とした立ち葉と立ち葉の隙間から、蓮は茎をのばしてぽつぽつと咲き始めたが満開はまだ当分先になるだろう。池の底にある汚泥を映したかのような黒い水面にアメンボが波紋を描いている。まるで雨が降っているかのようだ。
     この池の蓮の花がすべて散ったらまた雲深不知処へ戻ろうと藍曦臣は思っていた。
     かつて弟は「茎付きの花托は、茎がついていない花托より美味だそうです」と言っていたが、蓮の種が熟すまで居座るつもりはなかった。
     それで寒室で首を掻き切ろうと思っていた。
     かつて金麟台で眺めたこの世の極楽浄土を――まさにひとときの仮初でしかなかったがーー今一度拝んでから阿瑶の元へ旅立ってもそう悪くないと思って、我が子ほど年の離れた金宗主に無茶を言って藍曦臣はここに来た。
     阿瑶はあちらでおそらく藍曦臣のことを拒むだろう。彼を信じきれず刺した藍曦臣を憎んでいるだろうから。
    裏切った藍曦臣を憎んだから、あのとき金光瑶は彼を道連れにするのを、ともに死ぬのをやめたのではないか、今わの際まで彼とともにあることを拒んだのではないかと長い閉関のさなか藍曦臣は考えた――そうとしかもはや思いつかなかった。
     それでも、いやだからこそあちらでもう一度会いたかった。会えるのは涅槃なのか針の山や血の池の地獄かどこかはわからないが、「私が悪かった」と一言詫びたかった。
    「雲深不知処が焼き討ちにあって温氏に追われていたときからお前はずっと私を助けてくれたのに、私が愚かだったからお前を救ってやれなかった」と。
     それでもそうして謝ったところで、藍曦臣が金光瑶に手ひどく裏切られた悲しみが消えるわけでもなく、彼の悪事が原因なりきっかけなりで亡くなった人たちがよみがえることはない。


     蓮池の花が五分咲きになったときだ。
     朝から小雨が降っている蓮池を前にして、藍曦臣は筆をとることもなくぼうっとそれを眺めていた。
     糸のような雨が降り注ぎながら池の表面ではうっすら靄が流れている。雲の中の庭園にいるかのような幽玄の趣であった。
     今日は筆をとらずに景色を眺めるだけにした。本当は絵師ではないのだし、美しい景色を愛でるだけの日もあっていいだろう。
     藍曦臣はしかし弾かれたように蓮池から顔をあげた。皮膚がひりりとするような強い視線を感じたからだ。
     射抜くような鋭い瞳が、斜向かいの回廊から藍曦臣をみつめている。
     回廊に立つ青年は、背は高く屈強で堂々としているだけでなく、触れると火傷させられるような苛烈な気を放っている。冷酷にもみえるとても整った美貌が彼を一層近寄りがたくさせていた。
     雲夢江氏宗主江晩吟である。紫の長い髪紐をひるがえし高く沓音を鳴らしながらこちらへ向かってくる。
     彼にまみえるのはたしかあの観音廟のとき以来だろうか。あのとき、常から気が強く矜持も高い彼が魏公子を前にしてまるで仮面がはがれたように泣きじゃくっていた姿が強烈な印象を持って藍曦臣の心に残っている。
     四阿に現れた江宗主に、白木蓮は立ち上がって拱手した。
     よいと鷹揚に何度か手を振って、大世家の宗主は彼の向かいにどかりと腰かけた。
    「あなたが噂の白木蓮殿か。ずいぶんと趣味のいいわかりやすい雅号だな」
     江宗主はにやりとしながら言った。白々しい言い回しである。立ったままの絵師に座れと大世家の宗主は顎をしゃくった。
     金凌に手紙を送った時点で彼にも手紙が行ったも同然だ。それを承知で藍曦臣も金凌へ手紙を送った。金麟台への出入りは許可するが大ごとにしたくないので絵師に身をやつしてもらいたいという提案もおそらく彼が一緒に考えてくれたのだろう。
     そう思えば甥に会いに金麟台へやってきた江宗主がここに立ち寄るのも何ら驚くことはない。
    「あなたが金凌にくれてやった水墨画、私も拝見したが見事な出来栄えだ。甥は姉上の部屋に屏風にして飾ると喜んでいた。さすが懐兄推薦の絵師殿だな」
    「おほめに預かり恐悦至極に存じます」
     絵師として出入りさせてもらっているからには、描いた蓮池の墨絵を一枚金宗主へ贈った。
    金凌は顔を真っ赤にさせて口を魚のようにぱくぱくさせると、「あ、ありがとうございます」と深々と何度も頭を下げた。
     亡き母親の部屋に屏風にして飾るほど気に入ってくれたならそれは贈ったかいがあったことだ。
    「蓮がお好きなら、来年の蓮の季節には雲夢に来るのはどうであろう。ご存知かと思うが雲夢にはここの池よりもずっと広い蓮花湖がある。盛りの時期になれば湖一面に蓮が咲いている。まさに極楽浄土だ。俺が船を漕いであなたを連れて行ってやろう」
    「これはまことにありがたいお申し出です。痛み入ります」
     思ってもいないことをぺらぺら言う江宗主に謝意を示すために拱手した。
     すると年下の男はうっすら笑った。彼は藍曦臣のことを目下として扱える今の状況を楽しもうとしているようだ。
    「江宗主は、今日は金宗主へ会いにいらっしゃったのですか?」
    「ああそうだ。夜狩りにきたのよ。ついでに噂の絵師殿の顔も拝んでやろうと思ってな。あなたはずいぶんとしけた面をしているな。棺桶からでてきた凶屍みたいだ」
     相変わらず口が悪い。だが容赦のない手厳しさは不快ではなかった。彼は誰に対しても公平に毒づくのだ。
     それからなぜかしきりに藍曦臣が好きな食べ物や食べたいものの話をしてきた。好き嫌いはとくになく今は食欲がわかないのだと藍曦臣は答えた。
     かえって江宗主のほうの好みを問うと、西瓜の皮をいためたものが案外好きだと少し恥ずかしそうに言う。
     食べてみるか?と聞かれて遠慮しておきますと藍曦臣は苦笑いで答えた。よく知っているのに得体のしれない未知のもののように感じたからだ。
    「そういえば茎付きの花托は美味しいのですか?」
     藍曦臣の問いに江宗主は虚をつかれた表情を浮かべた。座学時代の少年がそこにいてひそかに頬が緩んだ。
    「特にそう思ったことはないが、誰があなたにそんなことを言ったんだ?」
    「あなたが私の実家のある山奥から雲夢に帰った後ぐらいに弟が言っていました。誰があの子に吹き込んだのかはあなたならわかるでしょう?」
     江宗主は苦々しそうに唇をゆがませた。彼と弟の道侶の間にあるわだかまりは未だほぐれる兆しは依然としてないようだ。
     その昔弟の藍忘機が下山してどこからか茎付きの花托を採ってきたことがある。あまりにも嬉しそうな表情で食べたと言っていたので、自分も食べてみようと思って藍曦臣は手を伸ばしたがやめた。忘機はその花托を亡き母がいた部屋に飾っていたからだ。弟は冒険の成果を母に捧げたのだろうと兄は思った。
     それで気付いたのだが、藍曦臣は当時の弟のように、ごく一部を除いて叔父をはじめとした藍家の人々に行き先を伝えることなく自分の意志で雲深不知処から外へ飛び出したのは、今回が初めてかもしれない。もう四十近いというのにとんだ箱入りだと心の中で羞恥した。金光瑶に手玉にとられるのも当たり前だ。
     二人の体にあたる風が強さを増し始めた。雨脚は弱まることなくさらに強まりそうであった。
    「今夜の夜狩りは中止した方がよさそうだ。延期だな」
     暗雲が立ち込め始めた空をちらりとみやって江宗主は言った。
    「――私のいる宿に人をつけさせているのはあなたから金宗主への指示ですか?」
     宿を行き来するときあからさまに尾行がある。敵意はない。金家の監視かと思えば、むしろ町中を歩いているとき牛車が往来で暴れたときは道脇に突き飛ばされ、今朝なども部屋の前に傘が置いてあったりするので、これは監視というより護衛であるとさすがに藍曦臣は気付いた。
     藍家が他家の領地で人知れず宗主を護衛するなんてそんな器用な真似はできるはずもない。懐桑もこちらの動向を探ることはあっても護衛まではしないだろう。
     おまけに宿からでてくる食事も他の客に出すものとちがって毎食消化しやすく滋養に良いものばかりだ。断っても断ってもずっとでてくる。
     雲深不知処の食事時間通りに供される食事を素通りして金麟台へいくわけにもいかず、藍曦臣はやがて根負けして宿の卓についた。昼餉もいらないと金家に固辞したが毎日必ず金宗主と同じ食卓につかされる。
     ぎこちない所作で、少年は薬膳湯(スープ)が入った大鉢からレンゲで小椀に取り分けてくれる。その後ろに誰が腕を組んで立っているか明白だった。
     食欲がわかないので宿の食事はいつもほんの数口だけしか取ってはいないが、健気に叔父の言いつけを守っている金凌が少しかわいそうになって取り分けてくれた汁物だけは飲んでいる。
     また蘭陵金氏に滞在するようになってからなぜか母や金光瑶の夢も見なくなり、よく眠れるようになった。
     おかげで鏡にうつる血色はここに来たばかりのときよりもよくなった。
     自死を前にしてそんなこと望んでいないのだけれど、ひそやかに示される赤の他人からの厚意は長いこと空っぽで乾き切っていた藍曦臣の心と臓腑を少しばかり潤した。
    『あなたに生きていてほしいのだ』
     そう囁いてもらっているようなそんな錯覚すら覚えた。
     けれど、私が愚かだったせいで大切な人たちを失ったのにあなたにそんな風に気遣われる価値はない、と鏡の前でゆるく首を振る。
    「さてなんのことやら。なぜ一介の絵師ごときのために俺が金凌に言って人を回さねばならんのだ。あなたの勘違いだろう」
     人の悪い笑顔を浮かべながらそう言うなり、江宗主は何か気が変わったようにツンと顎をそらした。頬杖をついて白い靄に包まれる亡き姉の形見をみやる。
     そのきりりと引き締まった横顔を目の当たりにして、藍曦臣は背筋に一瞬ぞくりとしびれが走った。
     江宗主の顎から首筋、鎖骨にかけての男らしい太く力強い線からむせかえるような生気が放たれていたのだ。
     雨の気だるさをふきとばすような鮮烈な気が彼の内側から放たれている。
     さっきも遠目に彼の放っている刺々しい黒い気を感じたが、あれはおそらく鎧であってこちらが彼の本性のようにみえた。不意打ちをくらって藍曦臣は思わずくらりとめまいがした。
    「どうかしたのか?」
    「いや、なんでもありません」
     弟と同世代の男がごく自然と放つ朝陽のようにまばゆい生気に藍曦臣は圧倒された。
     体調が閉関前だったらおそらくこんなことは気付きもしなかっただろう。修為が高けれども実際の霊力が弱まっている今の藍曦臣だからこそ彼の強い生気にあてられたのだ。
     雲深不知処の座学へ来ていた少年時代から知っているが、いい男になったとうっすら耳を赤くしながら藍曦臣は感慨深く思った。
     義兄である魏公子が金子軒と問題を起こして帰ったあと、かつての江宗主は少し寂しげだったが藍曦臣の母が住んでいた小屋の近くでこっそり剣の鍛錬を積んでいた。
     いつも一緒にいた義兄が去れば心細いだろうにそれでも蓮の花芽が上へ上へ伸びようとしているようで、その姿を好ましく美しいと当時清心音の練習に小屋へ訪れたとき思ったものだ。
     当時はまだ小さな固い花芽のようだった少年は、幾度の激しい嵐にも耐えて今やすっかり己という大輪の華を咲かせている。
     それでいて今のように他者への厚意も声高に名乗りあげない。皮肉屋ではあるが、大きな立ち葉のように冷たい雨に打たれるカエルに雨宿りさせるような心根は言葉の端々ににじみでている。
     金丹が魏無羨から譲られたものだという驚愕の事実が明るみになっても藍曦臣のように閉関せず政務を怠らず、甥の面倒も見てこうして知人の世話も焼きに来る。
     彼に比べて己のなんと矮小なこと、なんと自分勝手な人間かと思うが、もう少しだけこのままでいさせてほしい――花が散ったらいなくなるから。
    「今日は何も描かないのか?」
     藍曦臣がぶしつけに見つめてくることに気づいたのか、江宗主は戸惑ったように視線をそらしながら何も描かれていない彼の手元をさして言った。
    「ええ、雨のせいで視界もよくありませんでしたからね」
     嵐になりそうだったので今日はこれで宿へ引き上げることにした。先に失礼することを江宗主に伝える。
    「――おい、ここで変な気は起こすなよ」
     後ろから凄みを利かせた声をかけられた。つがえた鋭い矢を向けられているようでそれはまちがいなく警告だった。江晩吟に考えていることを見透かされていそうで藍曦臣は胸が一瞬ざわついた。
     絵師の白木蓮は体ごと振り返って、拱手して江宗主に深々と頭を下げた。
     長い回廊を歩きながらはたと気付く。
     ああそうか。ここで藍曦臣に死なれでもしたらたしかに金凌の迷惑になるだろう。江宗主は藍曦臣のためではなくかわいい甥のために己を生かそうとしているのだ。
     それがわかって、私はやはり単純だなと落ち込む一方で彼はかなり気が軽くなった。
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