手がかりとなったのは、彼の白い手袋だった。
闇夜に翼をはためかせる、白装束の男。降谷が管轄外の怪盗を追いかけるはめになったのは、披露した手品を馬鹿にされた、そんな些細なことがきっかけ。
その後、逃げ遂せようとする彼を手錠で捕まえようと試みたが、彼はするりとその枷を抜け、月を背景に空へと羽ばたいてしまった。
たったひとつ、妙な「感じ」を降谷に残して。
その後、怪盗キッドが現場に物証を残したという情報が入ったのは、偶然だった。
ビルの地面に落ちた手袋。そばで血を流して倒れていた窃盗事件の容疑者は、脳挫傷による死亡――ビルの屋上から飛び降りて亡くなったという所見だった。容疑者を助けようとしたキッドの手から、手袋だけ抜けていったのだろう。
降谷はその物証を手に入れた。毛利探偵の事務所に忍びこんだ日のように。目深にフードを被り、キッドを追っている、捜査二課に侵入して。
ミステリートレインでの貨物車爆破後、半径一キロメートルの地点で発見していた、バーボンが捉え損ねた「彼女」が身につけていたパーカー。その証拠物と、手袋に付着した指紋を照合する。
「やはり、怪盗キッドか――」
フードの下から、バーボンの目が光った。パスリングを嵌める宮野志保の動画を発見した日のように。
「――絶対に、捉えてみせる」
*
指紋について、終生不変のエンブレムと言ったのは誰だっただろう。たとえ幼児化したとしても、その文様が変わることは一生ない。組織から逃げた日から、削り取ってしまえばよかったのに。
灰原哀は、後悔した。だが、全てが遅かったのだ。
うかつに入ってしまった喫茶ポアロ。人気店員の口車により、客も、マスターも、彼の同僚店員も、哀の仲間達も、全て店の外に追い出され、いつのまにか店内で彼と二人きりで対峙していた。
「組織のデータベースに合致していたんですよ」
彼――安室透は、カウンターにことりとコップを置いた。
数日前、哀が、探偵団と共に訪れた時に注文した、アイスコーヒーが入っていたそれ。
「灰原哀ちゃん。いや、シェリー……」
安室透は、笑顔を崩さずに言った。
蛇のように伸ばされた手が、哀の小さな手をぎゅうと握った。掴まれた手が、潰されてしまうのではないかと思った。
「さあ、今度こそ僕と来てもらいます」
*
哀は幼児化したまま監禁され、組織に戻された。APTX4869の研究を続けるために。時計もない、牢獄のような部屋で。
どのくらいの月日、歳月が経ったのだろう。ある日、一生開けられることのないと思っていたラボの扉が、ついに解放された。哀の知らない男の手によって。
くたびれたグレーのスーツを着た彼が、デスクに張り付いていた哀にふらりと近寄る。
彼は哀のかさついた手に、自身の大きな手を被せ引き寄せた。まるで体温を反芻するように。初めて握った日を、思い出すように。混乱する哀に向かって、沢山の言葉を浴びせる。組織がなくなったこと、迎えに来たこと、哀が望んでいたこと、全て。
「待って、あなたは誰?」
手を離さない男に向かって、哀は視線を迷わせる。
「僕の名前は、降谷零です」
知らない名を名乗った男は、シェリーを血眼に探していたバーボンでもない、人の良い笑顔を貼り付けた安室透でもない、少年のような笑顔を湛えた。
「宮野志保さん。これから、よろしく」