二人次第/閑話休題 渋谷の繁華街近くにあるカジュアルなカフェ。その窓際に座る二人の女性の姿に、丹恒は遅刻してしまったかと焦りドアを潜る。スタッフにアイスラテをオーダーして、二人のテーブルに向かった。
「来たきた、丹恒くーん!」
「すまない、遅くなった」
「まだ約束の一〇分前だ。案ずるな」
銀髪の美女が微笑むと、向かいのふんわりとした印象の美少女も手をひらひらさせて笑った。
その朗らかな様子に丹恒も微笑んで小さく手を振る。彼女たちとは正月以来、約半年ぶりに顔を合わせた。学生の丹恒と違って、社会人は忙しいのだ。
「相変わらず真面目ですね、丹恒くんは」
「不真面目より良かろう」
「ほら、座って座って!」
美少女――白珠――が隣の席を指す。そこに座ると、すぐアイスラテも目の前に届けられた。シロップは入れずそのままストローを口にする。梅雨の終わり、外はすっかり真夏の顔をしていた。冷たいラテを一口飲んで、丹恒は落ち着いたように一呼吸ついた。
「涼しい……」
店の空調が汗ばむ肌にちょうどいい。目を閉じて心地よい肌寒さを堪能していると、二人からクスクスと笑い声が聞こえた。気を抜きすぎた。恥ずかしい。
「ゆっくり涼みな~、お姉さんたちも今日は時間ありますからね~」
パタパタとハンカチで仰いでくれる白珠に苦笑して、丹恒は居住まいを正した。
「鏡流先生、白珠さんも、突然外に呼び出してすまない」
周囲に目立たない程度に頭を下げて、二人に改めて挨拶する。
「構わん」
「こないだの遊園地、一緒に行けなかったかもんね。丹恒くんの顔が見れて嬉しいですよ」
歳上の女性二人にそう微笑まれ、丹恒も照れたようにもう一度軽くペコリと頭を下げる。二人とも、応星と同じ丹楓の幼なじみで、それこそ物心着く前から丹恒のことを知っている人達だ。鏡流は剣術士として国内でも有数の人物で、彼女の実家の剣道場で師範として生徒たち剣を教えている。丹恒にとって兄とまた別の、もう一人の師だ。
白珠は民間の小型航空機のパイロットだ。この細腕で航空機はもちろん、ヘリも操縦する。丹恒も何度か乗せてもらったが、空を飛ぶ爽快感は何物にも変え難いものだった。
「それで? 今回はどうした」
可愛らしいパフェが盛っていたと思われる器を横にして、さっそく鏡流が切り出した。白珠も酒麹の美味さが売りのスイーツを口に、興味深げに目を光らせる。
「その……なんと言えば」
二人の注目を浴びて目線をさ迷わせる。何から話したらいいか、ここに来る道中も考えていたがどうにも纏まらなかった。
丹恒のはっきりとしない姿が珍しく、すぐに二人は目を合わせて驚いた。幼い頃から知っている丹恒は表情や口数こそ少ないものの、はっきりと物を話す賢く凛々しい少年だった。こんなに話すことに迷う姿なんて、それこそ三歳くらいでよく喋る年頃になった時くらいだ。
白珠はピンと来たように隣でまごつく丹恒に迫った。
「これは……恋の相談ですね?」
少年の肩がビクリと跳ねた。
鏡流が一つため息を着くと「なにがあったかと心配したではないか」と、追加で来たチョコレートケーキにフォークを入れた。
「いや! そんな、恋、とかでは……」
尻窄みになる丹恒を「はいはい」と流して白珠が会話を取り仕切る。半分まで飲んで水と分離してしまったアイスラテを掻き混ぜながら丹恒は二人に顔をあげられず体を小さくしていた。兄の友人の中でも、この二人には口も剣術も逆らえないのだ。普段この二人を平気で相手にしている応星に心の中で思わず助けを求めてしまう。
「で? で? お相手はどんな子なのかな? 私たちが知ってる子?」
「いつも一緒にいる二人か?」
「二人はただの友人で……そもそも今日も恋愛の話ではない、です」
取り敢えず嘘をつくが、これも簡単に見透かされているのだろうな、と思う。だがはっきり全てを話すには勇気が足りなく、結局そのまま嘘を突き通すことにした。
「兄の友人の……景元、という人について知りたくて」
その名前を口にして、一旦アイスラテを飲み干して丹恒はようやく顔を上げた。
『突然挨拶にやってきた兄の友人』について、二人は快く話してくれた。
猫を助けたこと、告白された上に指にキスまでされたことは伏せておく。あくまで突然知らない大人が丹楓を尋ねてきたことに不信感を抱いている、という体で相談した。
ふむふむと話を聞いてくれた二人は、丹恒が話終わる頃には力を抜いて笑顔で景元のことを語り出した。
「だからね、景元はちょっと天然さんかな。私たちも久しぶりにあったのが高校の時なんだけど、いきなり頬っぺにキスしてきたんです。思わず引っぱたいちゃうとこでした」
「私は投げ飛ばした」
「あー、あれは綺麗な一本背負いでしたぁ」
白珠が懐かしむように遠い目をする。丹恒もその様子がありありと想像出来て、少し吹き出した。
「今でもフランス帰りの癖が抜けないんですよね。パーソナルスペースが狭いんです」
「あれでも大分マシになってきたがな」
「だから丹恒くんもちょっと不安なとこがあったんじゃないですかね。でも大丈夫。景元は好青年ってやつですよ」
猫を助けている時の彼の姿が思い浮かぶ。お礼に来てくれた時も、お茶を飲む綺麗な姿勢も、まだ丹恒の記憶の中に新しい。
そしてずっと憧れていた微笑みと、甘い声――。
丹恒の中の景元の姿に、抜け落ちたピースが少しずつカチッ、カチッ、と穴を塞いでいく。幼い頃からの理想とは違った、少し歪なパズルの形。それは完璧なものではないけれど、現実味をもって丹恒の心にハマっていった。
暖かいコーヒーが三つ、ふわりと冷えたテーブルを温めていく。
「本当はね、景元はフランスに行く予定は無かったんです。でもお爺さんの体調が悪化して、ご両親が向こうに行く時どうしてもって着いて行った。それからも何度か景元だけでも日本に戻ってくる切っ掛けがあったのに、家族のことが心配だからってあちらに残ったんです。ずっと日本でやりたいことがあったのにね」
白珠は目を少し閉じて、思い出すように頷いて言った。
「うんうん。景元は良い人ですよ。親友として太鼓判を押します」
「白珠さん……」
「あの人、本当に一途ですもん。家族や仕事に関しても」
沁みるような口調に、嘘や揶揄いはないと感じる。
「お姉さんはね、丹恒くんを応援してますからね」
鏡流もそれに頷き、コーヒーカップを置いた。
「丹恒、お前の見る目は確かだ。思うままに行くが良いだろう」
「……はい」
力強い師の言葉に、丹恒も背筋を正す。
「もし年齢が気になるならね、それこそ考えなくていいです。恋は一〇歳からでも出来ますから……」
ね? と言われ、丹恒はそれを自分の記憶が裏付けたのにようやく気づく。
さきに好きになったのは、少年の方だった。何が事案だ。凝り固まった常識に囚われて、自分の想いを棚上げして。
コーヒーカップをカチャッと鳴らして、丹恒は二人に強く頷いた。
まずは今までの無作法を詫びよう。許してくれないかもしれないけれど、あの人なら笑ってくれるような気がするのは甘えだろうか。
ところですっかり会話は景元の魅力を多少誇張しつつ丹恒に言い聞かせる流れになり、今後定期的に行われるこの集まりに、「丹恒の恋を応援する会」という名前が付いていたのは、当の本人は長いこと気づかなかった。
外ではいつの間にかしとしとと、ささやかな雨が街ゆく人々を濡らしていた。
もうきっとこの間のが最後の雨だろう。
今日も外れた天気予報に、結局使わず仕舞いだった傘を持ち、学校からの帰路に着く。
スーパーで少し買い物をしたエコバックを肩に下げて家の前に着くと、ちょうど中から白露と、最近すっかり見慣れた青年の姿が出てきた。二人とも楽しそうに話しながら、門の前の丹恒に気づく。
傘の柄をキュッと掴む。明るいトパーズと目が合った。
ふわりと垂れた泣きぼくろの目が綻ぶ。
「おかえり、丹恒」
「……ただいま」
丹恒は僅かに微笑んで、景元に帰宅の挨拶をした。