【アロスヴェ】その感情は執着「今日は強い嵐が来るから、決して家から出てはいけないよ」
薄暗い部屋の中、重たい布団をかけられながら、スヴェンはこくりと頷いた。
村で一番の占い師が、今夜の嵐は死人が出ると言ったらしい。村中の大人たちが、今も外で嵐に備えている。
「私に何かできることはありますか?」
「お前は家にいなさい。窓も扉も、開けてはいけない。夜が明ける頃には嵐も去るらしいから、それまでの辛抱だよ」
そう言うと、父は大きなぬいぐるみをスヴェンに手渡した。スヴェンが幼い頃に抱いて寝ていたものだ。
「父上、私はもう子供ではありません」
「私にとっては大切な子供だ。……良い子にしているんだよ」
そう言うと、父はスヴェンの部屋から立ち去り、間もなくがちゃりと重い音が響いた。どうやら鍵をかけられたらしい。
スヴェンは仕方なくベッドに体を沈めたまま、天井を見上げた。すると、突然外から大きな雷の音が聞こえた。
「嵐が……もう?」
スヴェンは思わず体を震わせた。大きな音だった。遠雷すらも聞こえなかった。よほど近くに落ちたのだろう。
窓から外を見たい衝動に駆られたが、父の言葉を思い出した。窓を開けてはならない。ならば、カーテンの隙間から見るくらいならば許されるだろうか。
スヴェンがベッドを抜け出し窓に近付くと、外から人の悲鳴が聞こえてきた。それも一人二人ではない。村中の人が叫んでいるのではないかというくらい、沢山の悲鳴だった。
雷の音、何かが壊れる音、そして人の悲鳴。
それは鳴りやむことなく響き続ける。
おかしい。ただの嵐で、こんなことになるはずが。
スヴェンは恐る恐る、カーテンを掴み、ゆっくりと、外を覗き込んだ。
窓の向こうの暗闇に、男の顔が浮かんでいた。
「ひっ!?」
スヴェンは思わず腰を抜かして、床に座り込んだ。
今のは誰だ。知らない。怖い。
変わらず外では雷の音。スヴェンは震える手足を動かして、少しずつ後ずさる。手にふれた布団を引き寄せると、一緒にぬいぐるみが落ちてきた。思わずそれを抱きしめる。何かにすがっていなければ耐えられなかった。
ぱりん、と窓の割れる音が聞こえた。カーテンが風になびいてバサバサと音を立てている。
「邪魔だ」
カーテンが破られ、外の景色がスヴェンの視界に入る。
空を埋め尽くす雷と、それに照らされた大男。彼が「嵐」なのだと、すぐに理解した。
「スヴェン!」
外から父の声が聞こえた。助かった、そう思った瞬間に、男の手から雷が放たれた。
男の背後にいた父は、雷に撃たれ、一言も発することなく動かなくなってしまった。
「ち、父上!」
「お前、スヴェンって言うのか」
窓から侵入してきた大男は、そう言うとにやりと笑った。人を殺すことに何の躊躇もない。虫を払うような気軽さで、この男は父を殺してしまった。
「く、来るな!」
スヴェンは渾身の力を込めて魔術を使った。渦を巻く水が男を飲み込む。が、一瞬にして弾かれてしまった。にやにやと笑う男は、一歩ずつスヴェンに近寄り、容赦なく顎を鷲掴みにした。
(殺される)
スヴェンは、強く目を閉じた。目じりにたまっていた涙が、頬をつたうのを感じた。
*****
「っ……!」
急に意識が浮上した。幾度か瞬きをすると、白んだ空が目に入った。
小刻みに繰り返される呼吸は、自分のものだった。嫌な汗もかいている。
悪夢を見ていたのだとわかった。
「夢……」
スヴェンは、震える呼吸を整えようと、大きく息を吸って、吐いた。
「どうした、スヴェン」
「あっ……」
耳元に注ぎ込まれるような低い声は、自身を抱いて寝ていたアロルドのものだった。
「起こしてしまいましたね。申し訳ありません、アロルドさん」
「別に構わねえさ。どうした、嫌な夢でも見たのか」
「ええ……はい」
スヴェンは、今見た夢をぽつりぽつりと話しはじめた。
「……そして、父は殺され、……私も……」
「そいつはよくねえな」
アロルドはそう言うとスヴェンに跨り、スヴェンの額に指を置いた。
「悪夢を退けるまじないをかけてやる。目を閉じろ」
「……はい」
スヴェンは抵抗することなく、瞼を下ろした。アロルドが小声で何かを言いながら、スヴェンの額を撫でる。その瞬間、スヴェンは束の間意識を途切れさせた。
「……どうだ、まだ覚えているか、夢の内容を」
そうアロルドに問われ、スヴェンは思い出そうとするが、頭の中に靄がかかったようで少しも思い出すことはできなかった。
「いえ、全く。私はどんな夢を、見ていたのでしょうか」
「思い出す必要のないことだ」
アロルドはそう言うと、スヴェンの唇を貪り始めた。長い指がスヴェンの脇腹を滑る。
「あっ、アロルドさん……明るいですから、誰かに見られてしまうかも、しれません」
「こんなところ誰も通らねえさ」
スヴェンのベルトからシャツを抜き、ズボンに手をかけ、そのままずり下ろした。まだ何の反応も示していないそれに目もくれず、戸惑いがちに開かれたスヴェンの口に自身の指を入れる。
「舐めろ」
「ふぁ……い」
念入りに、時間をかけて、指を舐めさせる。時折喉を撫でてやると、苦しそうに体を震わせ、顔を歪めるのがたまらない。
そうして根元まで唾液に濡れた指を抜くと、そのままスヴェンの後ろへとあてがった。
「可愛く鳴けよ、スヴェン」
「はっ……はい、アロルドさんの、……お望みのままに……」
スヴェンはふたたび、強く目を閉じた。
*****
「お前、またきたのか!」
「よう、久しぶりだな。退屈しのぎに俺と遊んでくれるかい?」
そう言って軽口を叩く相手は、いつかの事件で手を組み、結果的に二人を牢から出した、フィンだった。
「お前ともう一人の分の牢は空けてあるから、気が済んだらさっさと戻れ」
「つれないねえ」
そう言ったところでアロルド自ら牢に戻るはずがないし、強引に連れ戻そうとしたところで力でも敵わないとわかっているらしいフィンは、アロルドを無視して自分の仕事に取り掛かりはじめた。
アロルドとスヴェンは、建物の上からフィンの仕事ぶりを眺めている。アロルドは上機嫌だが、普段より少し空気がぴりついているのがわかる。
(アロルドさん……最近なんだか様子がおかしい)
先日この街を目指して歩いていた時も、アロルドは急に道の迂回を提案してきた。
(真っ直ぐこの先の山を越えれば近道になるのに)
そう思うが、アロルドも考えがあってのことなのだろう。
「……まあ、確かにその先は天気が荒れやすいですものね」
思い至った考えについてそっとスヴェンが呟くと、アロルドの目付きが鋭くなった。
「何故この先の天気が荒れやすいことを知っている?」
アロルドは、スヴェンのうなじに手を差し込んではそう問い詰めた。その手の力は強く、首の皮と髪を掴み、じわりじわりとスヴェンに痛みを与えてくる。
「前、通ったときに、嵐に巻き込まれたと……記憶しておりますが」
痛みに表情を歪ませたスヴェンがそのように答えると、アロルドは少し考え込み、「そうだったか……そういえば、あの時お前もいたか」と呟き、すっと手を下ろした。
痛みから解放されたスヴェンは思わずほっと息を吐いた。
(アロルドさんがおかしくなったのは……あの、悪夢を見た日から……)
しかし、その夢の内容はアロルドのまじないによって忘れてしまった。今となっては、何が原因だったのか、察することすらできない。
はあ……とスヴェンが深く息を吐くと、気付けば傍にフィンがたたずんでいた。
「フィンさん?」
思わず気の抜けた声が出てしまった。先程まで下の方で聞き取り調査をしていたのに、いったいどうしたのか。
「まったく……なぜあいつは俺に会いに来るんだ?目的はなんだ」
「あいつとは、アロルドさんのことですか?」
スヴェンがアロルドを探すが、その場にアロルドはいなかった。スヴェンが考えごとをしているうちに置いていかれてしまったらしい。珍しいことではない。いずれ戻ってくるなり、呼び出しがかかるなりする。スヴェンは深く息を吐くと、フィンの質問に答えることにした。
「……アロルドさんは、退屈がお嫌いなのです。私では、あの方の退屈を埋めることはできませんから……」
そう言いながら、スヴェンの表情は曇っていく。わかってはいるが、これだけ近くにいて力になれないのは、もどかしく思う。
「俺はおもちゃじゃないんだぞ……」
そう苦々しく呟くフィンは、浮かない表情のスヴェンに問いかける。
「なあ、スヴェン。聞きたいんだが……なぜあんな奴に従っているんだ。あんな横暴で、自分勝手で、野蛮な奴に」
弱みでも握られているのか?と尋ねるフィンは、純粋に疑問に思っているのはもちろんだが、どこかスヴェンを心配しているようにも見える。
「……私には、アロルドさんしか、いませんので」
「どういうことだ?家族は?故郷はどこなんだ?まさか、捨て子だったのをあいつに拾われた、とか言わないよな」
「それは……」
家族。故郷。そんなもの、考えたこともなかった。
捨て子だった?そんな記憶もない。ただあるのは、アロルドと過ごしてきた日々だけだ。
「何も……私には……」
「……スヴェン?」
フィンが俯いてしまったスヴェンの顔を覗き込もうと一歩踏み出す。その時だった。
「余計なことを言うな」
凍り付くように冷たく、それでいて地の底から響くような低い声が、フィンの頭上に響いた。
どこかへ行っていたアロルドが、知らぬ間にその場にいた。フィンだけでなく、スヴェンも気がつかなかった。
「アロルドさん?どちらへ……」
「余計なことって、なんだよ」
そう二人から問われても答える素振りを見せず、アロルドはスヴェンの手を引いて歩きだした。
「気が変わった。南へ行く」
「え、まだ来たばかりなのに……」
「何か文句でもあるか?」
「いえ、何も……」
鋭い眼光に睨まれ、スヴェンの顔には微かに困惑の色が浮かんでいた。
フィンは呆気にとられたまま、二人が街を出ていこうとするのを見ていた。しかしこのままではいけない、そう思ったフィンは、思わずスヴェンに呼びかけた。
「スヴェン!もし困ったら、俺のところへ来い!どこまで力になれるかはわからないが……!」
声が届いたか、そうでないかはわからないが、スヴェンはそっと振り向き、微かに微笑んだ。
その表情に思わず見惚れてしまったフィンは、数秒後「俺は犯罪者に何を……」と困惑の声を漏らした。
街の物陰、建物と建物の間に体を滑り込ませたアロルドは、壁にスヴェンの体を強く押し付け、強引にその唇を奪った。
「んっ……アロルド、さん?」
「お前はただ、俺のそばにいれば良い。余計なことは考えるな。誰の話も聞くな。……良いな?」
そう言うと、アロルドは再びスヴェンの口に自らの舌を滑り込ませ、外套の内側に手を伸ばし、背中をするりと撫で挙げた。ぴくり、とスヴェンの体が跳ねる。絡み合う舌が、くちゅくちゅと音をたて、唾液が口の端から零れ落ちる。
ぷは、と息をついたスヴェンは、アロルドの顔を見上げると、にっこりと、それは幸せそうに笑った。
「アロルドさんのご命令とあれば」
おわり