「……あ、間違えました」
呆然とする雨彦の目の前で、クリスは平然とした口調でそう言ってのけた。
時刻は夕飯時。今日はいい魚が手に入ったから自分が夕食を作るのだ、と張り切った様子のクリスは、徐に席を立った。
ダイニングテーブルの向かいでそんなクリスに頷いた雨彦は次の瞬間、クリスの挙動に手にしていたマグカップを取り落としかける。そのままキッチンに向かうと思っていたクリスが、目の前で身に着けていたセーターを脱ごうとし始めたのだ。
料理をすると言ったはずの恋人が、突然目の前で衣服を脱ぎ始めたら、動揺してしまうのも無理はないだろう。取り繕う余裕もなく驚いた表情を浮かべた雨彦に、クリスは少し不思議そうに首を傾げ、数秒後に合点がいったというような顔をする。そうして出てきた一言が「間違えた」だった。
「古論……」
「いけませんね、今日はウェットスーツではないのでした」
普通であればありえない間違いだが、クリスであれば起こってしまう。
クリスは度々ウェットスーツ姿でエプロンを身に着け、料理をすることがあった。アイドルとしてファッションに気を配るようになる前は、常にコートの中にウェットスーツを着込んでいた男だ。聞けば、海帰りの自分の身なりよりも、獲ってきた魚などの調理を優先するあまり、自然とコートなど簡単に脱げるものだけを脱ぎ捨ててエプロンを身に着けるスタイルになったのだという。
その癖が抜けていないせいで、うっかり料理を始める前に服を脱ぐ動作が入ってしまった、といったところだろうか。
「衣服を身に着けていない状態での調理は危険ですからね」
「そういう問題じゃないが、そうだな。あまり心臓に悪いことをしないでくれ……」
衣服の合間から覗く素肌は、普段だって目にすることはある。とはいえ目の前で起こった突然の脱衣は、シチュエーションも相まって、クリスへ劣情を抱く雨彦にとっては刺激が強かった。
「……なるほど。そうですね、裸エプロンとやらになってしまうところでした」
雨彦の動揺ぶりから何かを察した様子のクリスは、そう言って頷く。その口から飛び出した言葉に、そんなものどこで覚えたんだという気持ちになるが、クリスとて成人男性だ。見聞きすることくらい普通にあるだろうと思い直す。
一気に疲労感が増した様子の雨彦に、クリスはにっこりと笑みを浮かべた。
「雨彦も、そういったものはお好きですか?」
そう尋ねられて、咄嗟に想像しない方が難しいだろう。
愛用の魚のイラストがプリントされたエプロンのみに身を包むクリスが、魅力的でないはずがない。そんな姿のクリスを前にしたら、理性なんてどこかへ飛んでいってしまうのは明白だった。
「あー、いや、そうだな……」
動揺を隠せないまま、珍しく煮え切らない様子を見せる雨彦に、クリスは楽しくなってきたのだろう。キッチンへ向かうはずだった足で雨彦の元に近寄ってきて、耳元に顔を寄せる。
「雨彦になら、見せてもいいですよ」
そう囁いたクリスは、悪戯に成功したような顔で笑ってみせた。