もう離せない手を「……あれ」
気が付くと、少年は上に行く階段と下に行く階段、その二つの階段の前に立っていた。
少年は呆然と自身の掌を見つめ、そして地面に立つ足を不思議そうに見る。
しばし考えこんだ後に、──そうか、自分はもう死んだのだと気付いた。
そうでなければ、事故で千切れてしまった手足がこうして戻った理由が付かない。
(それを言い出すと、まずは吹き飛んだ生首が平然と体に付いている所から疑問に思わなければならないのだが)
「最期は、随分とあっけなかったな」
何の感慨もなく、そう呟く。まさか相手が赤ん坊になって自分達が空けた弾道の穴を潜り抜けてくるなどという芸当に出ると思わなかった少年──司令は、その化け物忍者に首を落とされて死んだ。
同時に、自身の手足であり、唯一無二の存在である攻手も。
あの化け物忍者は、最期に離れ離れに息絶えようとしていた自分達を目の前まで連れて行ってくれた。……司令の生首を蹴り飛ばすという、およそ最悪な方法で。
それでも、最期に自分の思いを伝えて笑顔で逝けたのは彼女(?)のおかげである。
(でも次に遭遇ったら絶対に殺す)
未だに衰えない殺意をどうにか抑え、司令は再び自身の目の前にある階段を見た。
上に向かう階段は、僅かに光が差している。
下へ向かう階段は、深い闇に吸い込まれて底が見えない。
「……もしかして、選んで、いいのか……?」
自分の予想が正しければ、これは天国か地獄かの分かれ目だ。
上の方が天国、下の方が地獄に続いているに違いない。……しかし。
「なんで……?」
そんな疑問が過ぎる。地獄行きになるのはまだ分かる。
何しろ自分達は多くの人を殺してきた。自分達の両親を始めとして、数多くの人間を。
むしろこれで地獄行きにならない方がおかしい。……そう、今の状況は明らかにおかしいのだ。
今の彼に、天国への道が開ける理由がない。
戸惑っていると、「あ……!」と誰かの──とても聞き覚えのある──声が聞こえた。
「っ……司令!!」
「攻手……!!」
すぐさま駆け寄る。足は自然に動いてくれた。
──もう、『自分の足で移動する』という感覚は久しく忘れていたはずなのに。
攻手の目には涙と、光があった。
間違いない。見えている。自分が手足を取り戻したように、彼もまた視力を──
それが嬉しくて、二人は何も言わずに抱き合って泣いた。
「良かったな司令……良かったなァ……!!」
「うん……! 攻手も……!!」
ひとしきり泣いた後、二人は階段を見る。
上に行く階段も、下に行く階段も、相変わらずそこにあった。
「なあ、司令。これって……」
「ああ、天国と地獄行きの階段……だと、思う。でも……」
「オレ達、選べるのか……?」
二人の戸惑いに答えるように、どこからともなく一枚の紙が落ちてきた。
その紙は司令の手にすっぽりと収まる。
「手紙?」
「何て書いてあんだ?」
「えっと……」
文面はこうだった。
貴方達は今まで多くの人間を殺めてきました。
その罪は償わなければなりません。
しかし、貴方達の境遇を鑑みて一つだけチャンスを与える事にしました。
どちらか一人だけ、天国行きを許可します。
どうか、後悔しない選択を。
「──だって」
「……どっちか一人だけ、か……」
二人は互いを見て、
「攻手、お前が行くべきだ」
「司令、お前が天国に行ってこい」
同じ結論を出し、
『……え?』
同時に聞き返した。
「ここは攻手が天国に行くべきだろ。お前はずっと、オレの指示通りに動いていただけなんだし……」
「それならよォ、尚更司令が天国に行かなくちゃ駄目だろうが! 司令は手を汚してねぇ。お前が天国に行けない理由が……」
「だけど──」
「でも──」
そんな不毛な言い争いが、永遠に思えるほど続いた。
互いも一歩も譲らなかった。……思えば、ここまで激しく喧嘩したのもいつぶりか。
いや、思い返せばこんな喧嘩自体が初めてだったかもしれない。
司令も、攻手も、それぞれを支えにして生きてきた。
司令が怨嗟の幻聴に苦しむ時は、攻手がその大きな手で耳を塞いで安心させた。
攻手が取り残される恐怖に苛まれる時は、司令がその小さな体を寄せて温もりと存在を知らせた。
互いが自分にとってなくてはならない存在で、だからこそ天国に行ってほしかった。
天国ならば、きっと幸せになれる。そう信じるからこそ──
『オレだけ天国に行っても意味がない!! お前が一緒じゃないと──』
気付けば、彼らは一字一句同じ言葉を言っていた。
そして、気付く。自分達の本当の幸せの在り方を。
「魂がここにいたい」と、叫ぶ場所を。
「……ったく、仕方ないな」
「ああ、全くだぜ」
二人は笑い合うと、手を繋いだ。
「行くぜ、司令。足元気を付けろよ」
「分かってる。でも、大丈夫だろ」
「そうだな」
そのまま、一歩ずつ階段を下りていく。
だって、二人はもう知っているのだ。
どんな暗がりでも照らしてくれる輝きを。
どんな絶望でも二人なら乗り越えられると。
例え、その道が地獄に繋がるのだとしても。
もう離せない手を繋いだのだから。