揺籃はシングルベッド「……ドクター」
「待って、あとすこし」
このやり取りも既に五回目。
時計の針はとっくに一周して、新しい日付けを刻んでいる。
しかし未だにドクターの頭脳は働く事を止めないようで、何度も目覚めては枕元にある端末に思い付いた事や戦略をメモしたり、果てには先の仕事の確認までしていた。
ディスプレイの光に照らされ闇に浮かぶドクターの横顔を眺めながら、リーは心中で嘆息する。
ドクターとリーの交際が始まってから幾月か。
翌日が休日で、なおかつ互いに予定がない時にという条件付きでならば、共寝を許されるくらいには心を開いてもらえた。
……はずなのだが、先程からこの有様である。
一度二度ならば寝た振りで見過ごせたが、流石に寝息より端末を睨みながらの唸り声の方が多くなってくると、声のひとつでもかけたくなる。
そんなリーからの声かけに、ドクターが素直に寝る姿勢を見せたのは最初だけ。
どうしても眠れないのか、五分も経てばこそこそと端末に手を伸ばしていた。
リーとしては「そういう事を繰り返しているせいで眠れないのでは?」と思うのだが、ドクターがそれを改める様子はついぞ見られない。
「いつもこうなんですか?」
背後から声をかけると、「まあね」と返事が返ってきた。レスポンスが速くて短いのは、端末に集中しすぎて返事に思考を裂けないせいだろう。
その集中力は称賛に値するが、少なくともこんな時に使うものではない。
ドクターは、『生き急ぐ』という言葉の擬人化のような人物だ。
毎日仕事ばかりで、休憩時間やたまの休日には何をしていいのかと途方に暮れていて。
戦場とデスクの上にいる時が一番役に立つと愚直に信じ、それ以外の自分には価値が無いと思い込んでいる。
自分以外にも、ドクターを心から想う者は周囲に溢れているというのに。
その自信の無さは、もしかすると本人の記憶喪失が関係しているのかもしれない。
記憶が戻り自我が安定すれば、あるいは──
だが、今はどうでもいい。
いつか時が、あるいは誰かが、もしくは本人の力で解決できるであろう事は、その当人達に任せるべきである。
少なくともリーはそう考えている。彼が大切に思うのは今のドクターであって、喪失した過去にまで執着していない。
だからこそ今のドクターを守るために、リーはひょいと端末を取り上げた。
さっさと電源を切って、ドクターの手が届かない場所へと放る。
「あ……ちょっと、何す」
抗議の声が、額に落とされた口付けと共に途切れる。
背後のリーに振り返ったままフリーズしてしまったドクターを優しくベッドに寝かしつけて、普段は隠された瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ドクター。──そんなに眠れないのなら、今からおれと『イイこと』、しませんか?」
意味深な笑顔をひとつ。
再起動と共に言葉の意味を理解したドクターの顔が、暗い部屋の中ですらありありと分かるほどに赤くなる。
「し、しないっ。寝るよ、寝ればいいんだろう!? おやすみ!」
照れ隠しからか、ドクターは横抱きにした枕に顔を埋めてしまった。
小動物が体を縮めて守るような仕草が何故だかたまらなく愛しく感じ、尾を使って全身でその小さな体躯を包めば、「うひゃあっ」と色気のない悲鳴が上がる。
しばらく軽い抵抗や羞恥からくる心身の震えと格闘していたドクターだったが、それらが規則正しい寝息に変わるのにそう時間はかからなかった。
「これでいい」と今度は安堵から来るため息を吐いて、リーもそろそろ眠気に逆らえなくなっていた目蓋を閉じた。
二人の寝姿はまるで、仲睦まじい親子のようにも、己の中に宝を仕舞い込んで離さない龍のようでもあった。