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    乙麻呂

    @otomaro777

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    乙麻呂

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    学生AU(大学生軸)の风情が“酔った勢いで○○する話”です。全体的にギャグですが、一応真面目にやっております。Twitter連載中に見守って頂いた方、ありがとうございました🙏🙏

    #风情
    flavor

    勢いと本音と酔い心 最初に覚えたのは、眩暈のような浮遊感だった。

     あまり心地良いとは言えない目覚めに顔を顰めながら、慕情はゆっくりと瞬きをした。
    もうすっかり日が昇る時分らしく、閉め切ったカーテン越しに白い光が差し込んで部屋全体を薄明るくしていた。
    目の前にあるのはどう見ても自宅のアパートの天井で、背中に感じるマットレスの感触も間違いなく自分の布団の物だ。
    「……………」
     しかし、何故か違和感がある。ぼんやりと考えるが、昨夜帰宅した覚えも寝た覚えも無い。
    ごろりと寝返りをうつ。
    そこに風信はおらず、ただ空の布団があるだけだった。
    掛け布団もシーツも乱れに乱れていて、着ていただろうシャツまで脱ぎ捨ててある。
    それに苦笑とも呆れともつかない顔をしていると、向こうから物音とTVの音がした。
    どうやら既に起きているようだ。
    昨日は遅かっただろうに、随分寝起きの良い事だ。それとも自分が起きるのが相当遅かったのだろうか。
     「………………ッ!」
     そこでようやく思い出した。
    昨日は大学の打ち上げで、何人かで飲みに行ったのだ。
    酒を飲んだ後の記憶はいつも通り曖昧で、風信に「いい加減にしろ」と何度か怒られ不快だった事だけは何となく覚えている。
    と言う事は、慕情を抱えて無事に帰宅させ、着替えさせて布団に放り込んだのも風信なのだろう。

     しかし、記憶を無くす程飲んだ後は普段なら割れそうな頭の痛みと起き上がれない程の吐き気があるのだが。
    だるさはあるが、いつものそれと比べると全く大した事は無い。
    起き上がっても眩暈は無く、腹の底からせり上がるような不快感も無い。
     (これは………もしかして体がアルコールに慣れたのか?)
    その可能性に、思わず目を見開いた。


     慕情にとって、風信にたった一つどうしても引けを取る………………いや、それ所か借りまで作っているのが、酒の弱さだった。
     記憶が無いのだから認めたくは無いが、どうやら慕情は酒にとても弱く、しかも少しばかり酒癖が悪いらしい。
     どうして記憶が無いのに認めたかと言うと、かつて飲み会の後に風信の頬と腹に覚えのない痣が出来ていたのだ。
    風信は怒った様子も無く、しかし笑うでも無く、淡々と「お前がやった」と告げた。
     慕情は全く記憶に無かったので言い掛かりだと思ったが、しかしその痣は大きさ、角度、そこから推し計れる殴る強さ。どれをとっても申し分ない立派なもので、どう考えても慕情の仕業だった。
    伊達に風信と長年殴り合っていない。
    それに、人に罪をなすりつける事を嫌悪する風信が、他人の所業を………しかも怪我の部類を慕情の仕業にする事はしないだろう。
    そもそも、風信がそこらの素人にあんな間抜けに顔面や腹を殴らせるとは思えない。
    風信の隙をついて素早く的確に拳や踵を落とせるのは、自分しかいない。

    そこまで考えた頃には、もう、慕情が酔って風信に変な絡み方をした事は認めないわけにはいかなくなっていた。
     風信は慕情に「自分の前以外で酒を飲むな」と固く言い聞かせ、慕情は頷くしか無かった。
    実に癪だ。
    しかし、風信は慕情に酒を飲む事自体は禁じなかった。
    慕情はアルコールが嫌いでは無い。
    人付き合いは煩わしいが、大学生らしくたまには飲み会だって参加したい。
    それに“必ず風信が同伴する”と言う制約を課された事は癪だが、結局、風信が同伴する事自体はそんなに悪い条件では無いのだ。
    慕情がまともに長時間会話が出来る相手など、風信か謝憐くらいである。
    風信がいれば、大体の相手とは適度な距離感で会話が出来る。
    だから、風信は慕情の円滑な人間関係の為の緩衝材として居てくれた方が何かと都合が良いのだ。
    慕情が正気を失う程酔った時の世話係としても。


     慕情に酔っている間の記憶は無いが、目が覚めた時の不調…………つまり二日酔いは免れない。
    つまり自分がどれだけ飲んだかの判断は、起きた時の気分の悪さが基準となる。

    しかし、今はそれが殆ど無かった。

    酒を飲み始めて二年近く。こんな事は初めてだ。慕情は気分が昂揚するのを感じた。
    ほら見たことか、やっぱり飲んでれば体がアルコールに慣れるのだ。
    散々好き勝手言ってくれた風信にそれを言ってやる為、慕情は布団から飛び起きると居間に飛び込んだ。
    風信は居間を片付けながら…………………何故散らかっているかは気付かなかった事にする………やはり機嫌が良さそうだった。
    風信は慕情を見ると、片眉を上げて労わるように言った。
    「気分は大丈夫か?」
    「ふん、何の事だか。むしろ好調だよ。そういつも二日酔いになるわけないだろう?まぁあの程度、大した事量でも無かったしな」
    実際自分がどの程度飲んだかなんて、全く分からないのだが。
    大袈裟に肩を竦めて軽笑する慕情を見て苦笑し、風信は雑談のついでのように言った。
    「ああ、そうだ。週末には届くそうだ」
    「ハ?何がだよ」
    脈絡の無い言葉に眉を顰めると、風信は呆れ半分の“だろうな”とでも言いたげな表情を浮かべた。
    「昨日、お前と選んだだろう。指輪だよ」
    「……………………………ゆびわ?」
    一瞬妙な寒気に囚われゾクリとしたが、世の中には指輪なんていくらでもある。
    そうだ。洒落っ気など皆無な風信が言うから意味深に思えるが、世の中、意味も無い指輪などいくらでもある。
    慕情の頭には“この世で一番意味が深い指輪”が過ぎったが、まさかそんな筈がない。
    風信は黙って慕情を見返した。
    その目は、慕情が本当に分からないのか、それともとぼけているだけか測るようだった。
    慕情が本当に目を白黒させているのを見て取ると、その目に微かな落胆と納得が過ぎったようだった。
    風信はやけに勿体ぶって……………と言うより、どう言って良いか迷うように言った。
    その頬が、慕情になら判別出来る程度に微かに赤く染まり、緩んでいる。
    つまり、どうやら、照れている。

    「まぁ……………………安物だけど………………一応、婚約指輪って言うのか?」

    そう言って風信が見せたスマホ画面には、リングが二つ並んでいた。
    見た目は酷くシンプルな細いシルバーだが、内側にそれぞれ風信を思わせる赤い石と慕情を思わせる青い石がはまっている。
    そして、内側にシンプルな刻印がされていた。

    【F to M】
    【M to F】

    「……………………」
    慕情はその画面を見たまま硬直した。
    『大して酔わなかった』と得意になっていた数分前までの自分を殴れば良いのか。
    どうやらとんでも無い事態を引き起こしたらしい酔った自分に冷水をぶっかければ良かったのか。
    それとも、大学の打ち上げに参加などしなければ良かったのか。
    しかし、過去には戻れない。
    現実的に出来るとすれば、この事態の一部始終を知っているだろう風信を混乱のままにブン殴る事くらいだが………

    「………………嫌だったか?」
    伺うようにじっと見られ、慕情は言葉を詰まらせる。
    「………………………嫌…………では無い…………けど……………」
    何とか言葉を絞り出せば、風信はあからさまにホッとした顔をした。
    こんなに慕情の反応を気にすると言う事は、この指輪に込めた思いは冗談では無いと言う事だ。
    慕情だって、満更では無いのだ。だが、本気だからこそ。



    酔った勢いでどうにかする物じゃないだろう!!?


    ◆◇◆◇


    風信は特になんの驚きも無く、淡々とジョッキを空けていた。
    安い居酒屋のレモンサワーは安いなりの味なのだが、酸味と炭酸の刺激が喉に心地良く、飲み慣れた味は安心感がある。
    アルコールが程良く入った頭で辺りを見回せば、既に宴会の参加者である数十人は殆どが出来上がっていた。
    笑い転げている奴、テーブルに突っ伏してピクリとも動かない奴、別の女子社員の飲み会に紛れに行った奴、ひたすら教授のハゲについて力説する奴………………
    皆自分の世界に入り込んでおり、飲み会らしい無秩序でカオスな空間が広がっていた。
    程良く酔いの回った頭でそんな取り留めのない事を考えていたら、風信の左手がガシリと掴まれた。
    犯人は隣にいる慕情しかいない。慕情は宴会の開始30分と経たずに酔いが回り、風信の口をおしぼりで拭き始めたり、後れ毛の立ち具合が気に食わないと髪の毛を抜こうとしたり、肩を組んで風信の耳元で延々と愚痴を垂れたりしていた。
    それでも酒を飲もうとするので止めてやったら、「煩い馬鹿」と暴れられた。

    その時に拳が当たった頬と膝を入れられた腹の痛みと苛立ちは、今も風信の全身を侵している。
    レモンサワーはそれを忘れ…………させてはくれないが、柔らげる手助けにはなっていた。

    まぁ、そんな事の連続なので、今更手を掴まれた位では顔も向ける気にならない。
    気にせず酒を口にしていたら、慕情は風信の手首をおしぼりの様に絞り始めた。
    風信は無表情で横を見た。
    「痛いんだが」
    「お前、手ェかたい」
    悪びれる所か、今ここで風信の手首を捻挫させるんだと言わんばかりにより強く手首を捻りながら慕情が文句を言った。
    「アタマがかたいと、手までかたくなるんだな」
    「手が硬い…………………?」
    風信は訝しげに眉を寄せた。
    その時、慕情とは反対側の肩に手が置かれた。
    「はは、随分と執心じゃないか。手に興味を持つと言う事は、少なからず君自身に好意を抱いていると言う事だ。私が言うんだから間違い無い」
    慕情とは真逆の軽薄さを持った声の主は、確認するまでも無い。
    裴茗だ。
    涼しい顔をしているが、その頬はほんのりと染まっている。
    裴茗も風信と同様に酒豪では無いがセーブして飲むのが上手いので、正気は失っていない。
    しかし、酔いのせいかいつもよりも饒舌なようだ。
    まぁ、元から世の中の事象全てを恋愛に結び付けるような奴なので、その軽口には特に反応せず、風信は眉を寄せた。
    「そのまま戻らないかと思ったが」
    風信にとっては視界に入れたくも無い女子社員の飲み会のテーブルを指せば、裴茗は軽い動作で肩を竦めて見せた。
    キザっぽくてわざとらしい仕草だが、不思議と裴茗がすると違和感が無い。
    「勿論、そのつもりだったさ。だが、私が最も運命を感じた女性の指には既に誰かの所有の証がはめられていた。私がその心を奪ってしまっては可哀想だから、こうして退散したわけさ。残念ながら、私達の運命は交差しない定めだったのさ」

    間違えた。“常時正気を失っている”の間違いだった。

    寒気がするような物言いだが、つまり目を付けた女には既に男がいて、二股になっては面倒だから逃げて来たと言っている。
    言っている事は最悪なのだが、裴茗が言うとやたらとそれっぽく聞こえる。
    風信は裴茗の色事情など微塵も聞きたく無いので、「へぇ」と心にも無い相槌を打って流した。
    “お前の話など一ミリも興味は無いし、会話を続ける気も無い”と言外に告げる平坦な相槌だったが、そこで空気を読む気が無いのが裴茗だ。
    自分が絡まない恋路に興味など無いくせにやたらと鋭く、かつそれを秘める意味が分からないと言う大変オープンな思考をしている。
    「風信、君だって女性に手を握られたら……………ああ、失礼。そんな化け物に蹂躙されたような顔をするなよ」
    風信の顔を見て裴茗が眉を上げた。

    …………化け物はぶちのめせば良いが、女は殴る訳にもいかない。
    なのに、時にやたらと腹の底が捩れそうな焦ったくて勿体ぶった触り方をする。
    風信にとって、女は化け物よりも厄介な相手だった。
    ちなみに大学で引っ張っていかれた合コンにいた、名前も知らないやたらと馴れ馴れしい女の話だが。大学の奴に騙されて連れて行かれたのだが、もう二度と行くものか。


    風信の青い顔に配慮するような事も無く、裴茗はふふんとなんとも勿体ぶった笑みを浮かべた。
    「たかが手を握られただけ、と思うかも知れないが、触れ合いは少なからず愛を育む。そんなに熱心に握られれば尚更だ」
    「熱心…… 」
    熱心に風信の手を捻っているんだが??
    好意など感じない。むしろ害意を感じる。
    「ふん」
    会話を聞いているのか、慕情が心底煩わしげな目で裴茗を見た。
    その目を見て裴茗が一瞬鼻白む。
    「…まぁ、人の心を当人の前で憶測することはあまり礼儀正しいとは言えないな。私は退散するよ」
    裴茗は早口で捲し立てて首を振ると、そそくさと立ち去った。
    「………?」
    裴茗がわざわざ礼儀など気にするとは思えない。風信は訝しげに眉を寄せたが、すぐに裴茗の事は頭から消えた。
    慕情が、今度は風信の指を引っ抜こうとし始めたのだ。
    「お前は何をしてるんだ?」
    風信が唸るが、慕情はそれを聞いてもおらず、爆弾でも解体するような眼差しで風信の指を一本一本引っ張っていく。
    やがて選び出された一本の指に、今度はそこら辺に転がっていた割り箸の袋を巻きつけ始めた。
    「…………」
    言いたい事はあったが、酔ったコイツの奇行にいちいち突っ込むのも疲れるので、とりあえず放置する事にした。
    手首を捻られたり指を引っこ抜こうとされるのに比べれば無害だ。
    割り箸の袋は気に入らなかったらしく、今度はストローの袋を指に巻き始める。しかし、それは指に結ぶ前にぶちっと切れてしまった。
    「チッ」
    慕情は舌打ちし、何かを探すように辺りを見回し始めた。
    その後も、風信の指に誰かのイヤホンを巻きつけたり、イカリングをはめてみたりと慕情はとても自由だった。
    しかし、どれも難しい顔をしてすぐに放り捨ててしまう。まともな目的があるとは思って無いので、風信はただレモンサワーを片手に見るともなくそれを見ていた。
    少しして慕情が見つけたのは、誰かが落とした赤い紐だった。
    それを幾重にも風信の指に巻き付け縛り上げ、ようやく慕情はやり遂げたと言わんばかりに口元を引き上げた。
    「できたぞ」
    「……何がだ?」
    話しかけて来たので、仕方なく答えてやる。慕情は風信の目の前に紐を結んだ指を押し付けながら言った。
    「見ればわかるだろ」
    「見ても分からないから聞いてるんだが??」
    慕情は眉を上げて呆れた顔をした。というか馬鹿にした。
    「おまえ、こんな事も分からないのか?」
    「知るか」
    怒鳴るのは何とか堪えて吐き捨てると、慕情は風信の手を掴んでふふんと笑った。

    「ゆびわ」

    ごきゅんと喉が鳴った。
    風信の苛つきはレモンサワーと一緒に喉奥に流れていき、後には困惑だけが残った。
    やけに心臓が強く打ったのは、飲みすぎたせいだろうか。
    「え?ゆ………?何だっって?」
    「ゆびわだよ。おれと、お前の」
    そう言いながら慕情は風信の指をそっと撫でた。


    ◆◇◆◇



     それから飲み会は自然とお開きになった。
    と言うより、酔い潰れていない奴らが集まって二次会に行く事になったのだ。
     風信は二次会には興味が無いし、何より酔いが回った慕情を抱えていたのでさっさと慕情の分まで代金を払って帰路に付いた。
     まだまだ金が足りない学生の身なので、タクシーは使わずに慕情を背負って暗い道を歩く。
     慕情は最初は風信の髪の毛を掴んで笑い転げてたが、揺られてるうちに眠くなったのか風信の首に腕を回して額を風信の後頭部にぐりぐりと押し付け始めた。
     「眠いなら寝てろ」
     むしろ、寝てくれと思いを込めて声をかけると、慕情がピシャリと言った。
     「ねむくない」
     だろうな、と内心思った。眠くても眠いとは言わないのが慕情であり、酔っ払いだ。
     まぁ、大人しく負ぶわれていてくれるなら、どちらでも良い。
     風信は黙ってゆっくりとアパートへと向かった。
     慕情はやけに上機嫌で、風信の耳元で微かに鼻唄を歌っているようだった。
     慕情が実は歌が上手い事は、きっとごく僅かな人間…………コイツの母親と謝憐、それに自分くらいしか知らないだろう。
     何の歌だろうか。流行りの曲ではなく、しかしどこかで聞いた事があるメロディがひと気の無い路地にそっと流れた。





     それからアパートに辿り着く頃には、慕情は少しは正気に戻ったようだった。
     風信の背中から降りると自分の足で階段を登り、風信を置き去りにしてスタスタと中に入っていく。
     何とも現金と言うか、自分勝手と言うか。
     わりと早く復活したのも、頑張って慕情から酒を遠ざけ、水を飲ませた自分の努力の賜物だろう。殴られた甲斐があったと言う事にしておくか。
     風信はやれやれと頭を振りながら、玄関に風信と慕情の鞄を放った。
     そしてリビングへ向かうと、慕情があらゆる物を床に放り投げていた。
    例えば、風信が脱ぎ捨てたままだったシャツ。
    例えば、風信が出しっぱなしにしていたティッシュボックス。
    例えば、風信が畳まずにソファに置いておいた洗濯物。
    例えば、風信が床に積み重ねていた雑誌やプリント。
    「…………………」
     どうやら、まだまだ正気には程遠いようだ。風信の努力の甲斐あって酔いが浅いのか気分は悪くないようだが余計にタチが悪い気がする。
    まぁ、片付けをしてなかったのは自分だ。
    風信は眉間を揉んだ。
    しかし、怒ったのかは知らないが、床に散乱させる事は無いだろうに。
    慕情は一通り床に投げ捨てると、今度は台所へ向かった。
     そして、戻ってきたその両手には、風信が冷蔵庫に入れていた銀色の缶が一本ずつ握られていた。
     「…………」
     まだ飲む気か??
    絶句するばかりの風信の前で、慕情はにこにこと笑みを浮かべてソファに座った。
     「……………」
     「ほら」
     慕情がご機嫌にソファの座面を叩いた。
     「……………………なんでだ」
     何でこんなに散らかすのか。
     何でまた飲もうとしているのか。そして、何で風信のビールを引っ張り出して来たのか。
     あらゆる思いを込めて呟けば、慕情はふふんと笑い、手を差し出してきた。
     「ほら」
     「ハ?」
     「はやく、むすんで」
     良く見れば、慕情の手には黒い紐が掴まれていた。どこから出てきたのだろうと考え、ふと気付いた。
    風信が脱ぎ散らかしていたハーフパンツの紐だ。
    どうやら引っこ抜いてくれたらしい。
    絶対に慕情自身に直させてやると心に決めながら、風信は仕方なく紐を受け取った。
     「………紐を探す為にこんなに散らかしたのか?」
     呆れ半分に尋ねると、慕情は心外と言わんばかりに眉を上げた。
     「さいしょにちらかしたのはお前だろう」
     「お前のした事に比べれば可愛いもんだ!!」
    しかし、慕情は聞く気が無いようで、ビールを風信に押し付け始めた。
     「今度は何だ!?」
     「しゅくはい」
     「祝杯??何のだ?」
     「ハ、お前はダメだな」
     慕情は鼻で笑い、さっきより強くソファを叩いた。
     早く座れと無言の圧を感じ、風信は嘆息しながら慕情の隣に腰掛ける。
     慕情は風信の肩に頭をもたれさせ、機嫌良さそうに口の端を引き上げた。
     「これにきまってるだろ」
     慕情の手が風信の左の手を掴む。
    そこには、まだ赤いヒモがぐるぐる巻きにされていた。
    慕情の面倒を見るのに手一杯で、解くどころか存在すら忘れていた。
    しかも固結びされている事に今更気付いた。
     「……………………で、これが何だって?」
     とりあえず聞いてやると、慕情の指先が風信の指を撫でながら言った。
     「むしよけ」
     「ハァ?今、虫が出るような季節か?」
     まだ春には少し遠い。
    慕情は是とも否とも言わず、風信の頬にぐいぐいとビールを押し付けてきた。
     「ほら、しゅくはい」
     「だから何のだ」
     キンキンに冷えたビールを慕情の手から回収しながら、さっきと同じ質問をする。
     堂々巡りになるかと思ったが、慕情はアッサリと言った。
     「こんやく」
     「…………ッッゴホ、ゲホ、ゴホ、な、何だって!?誰と誰のだ??」
     ビールを飲んでたら、今頃盛大に噴いていただろう。
     目を白黒させる風信に、慕情は風信の指に指を絡めながら言った。
     「おれと、おまえのに、きまってるだろ」
     「………………」
     思わず無言になったのは、呆れたからでは無い。
     風信はスゥと酔いが醒めるのを感じた。
     改めて慕情を見つめる。
     慕情はとろんとした顔で、風信の指をじっと見ていた。
    風信は静かに言った。
     「…………お前は、指輪なんて馬鹿げてると言うと思っていた」

     考えた事が無い事は無いのだ。慕情との関係は、風信なりに本気だ。
    老後と言うものがあるなら、面倒を見てやるくらいには思っている。
    しかし、それは風信のエゴで、あまりに重い感情だった。
    慕情はそこまで未来は考えないのかも知れない。指輪など、揃えた所で虚しいだけだと嘲笑うのかも知れない。
    そもそも…………………

    「婚約って言うのは、その………結婚をする約束をするって事だぞ」
    恐る恐る言えば、慕情はちょっと口を尖らせた。
    「ばかにするな」
     しってるよ、と慕情が囁く。
     酔っていなければ、絶対に口にはしなかっただろう。
     酔ってポロリと出てくるくらいに、慕情も風信との関係の『形』を欲しがっていたのかと思うと、それだけでどうにかなりそうだった。
     しかし…………

    「結婚は出来ないぞ」

    これはもう風信の努力とか、慕情の気持ちとか、そう言う物でどうにか出来る問題ではないのだ。
    国を出れば………そうでなくても、国内でもごく僅かな“同性婚を認めて”いる土地に移れば、あるいは可能かも知れない。

     だが、風信は数年後には謝憐の補佐役に就く事が約束されている。

     大手企業の重約束と言うポストや金に目が眩んだわけでは無い。その程度の理由なら、いくらでも捨てて貧乏暮らしでも何でもしてやる。
     そうでは無くて、風信にとっては謝憐も大事な幼馴染だ。
    やや容量の悪い彼が若くして社を任されるなら、それを側で支えて行きたい。会社が倒産するなら一緒に金策に奔走し、なんなら夜逃げをしても良い。
     慕情と籍を入れると言う事は、謝憐の側を離れなければならなくなるだろう。それだけは………謝憐を裏切ることだけは出来ない。
     だから、一生共にいるとしても、それを形にする約束はするわけにいかなかった。
     慕情がゆるりと顔を上げた。
    淡い茶色の目は、酔いの為かいつもよりも潤んで煌めいている。
    「しってる」
     慕情はポツリと呟いた。
     慕情もまた、風信の隣で謝憐を支える為の道を歩んで来たし、これからも歩もうとしている。
    風信の立場も、慕情自身の立場も、謝憐の立場も、十分過ぎる程に理解している筈だ。
    慕情は風信の指に自分の指を絡めながら呟いた。

    「やくそくだけで、良いから」

    静寂が訪れた。
    風信は慕情の言葉を頭の中で反芻しながら、慕情の表情と繋がれた手を見つめ、不意に頷いた。
    「……………………………よし。買おう」
     慕情の目がぱちりと瞬く。その不思議そうな表情を覗き込み、風信は繋がれた手を目の前に掲げた。
     風信の手が下にあり、慕情の手が上に重ねられているその格好は、風信が慕情の手を取ったようにも見えた。
     「慕情、指輪を作ろう。“婚約”でも“ただの記念”でも何でもいい。俺との関係を形にさせてくれ」
     酔っ払って正気かも怪しい奴に何を言ってるんだと思ったが、お互いに正気だったら絶対に言えなかっただろう。
    慕情は風信の目を見返すと、そっと目を細めた。
    「ああ」


     それから、二人で肩を並べてスマホを覗き込み、指輪を選んだ。
    これはゴツい、これはセンスが悪い。こっちはお前には合わなそうだ。
    そんな軽口を叩きながら選ぶのは、予想以上に楽しかった。
    数千円の玩具みたいな指輪から、何百万もするようなゴテゴテに宝石が埋め込まれた物まで片っ端から見た。
     貴金属に興味の無い男らしい、率直で身も蓋も無い感想を言ってはゲラゲラと笑い、慕情に呆れられ、かと思えば慕情が皮肉を言う。
    これならお前が作った方がマシだ。金なんてお前に扱えるか。金メッキで十分だ。
     元々お互いにプラチナやらダイヤやらに拘る性格でも無いので、結局目を付けたのは、無難な指輪になった。
     大学生が払える程度のリーズナブルな銀の細い指輪だが、形や刻印、装飾と細かく選んでオリジナルの指輪を作れるのが売りのサイトで、慕情はやたらと熱心に選んでいた。
     それでも、裏側に互いを思わせる赤と青の宝石をはめ、刻印を添えれば充分過ぎる物が出来上がった。指輪の完成イメージ画像を、慕情はご機嫌に眺めていた。
     “注文完了”の文字を二人で見届けると、妙な緊張と達成感があった。
     慕情の目がキラキラと輝いて随分と嬉しそうに見えるのは、風信の目の錯覚だろうか。
     風信は立ち上がり、冷蔵庫に缶ビールを片付けると代わりに別の缶を二本取り出した。
     「ほら、祝杯あげるんだろ」
     差し出すと、慕情はそれを両手で受け止った。
     「おまえにしてはきがきくな」
     「いいから、乾杯するぞ」
     風信が缶を開けると、葡萄の香りがふわりと漂った。
     慕情も同じように開けたのを見て、風信は缶を差し出した。
    「じゃあ…………婚約を祝って」
     口にすると緊張したが、慕情は気楽な様子で缶を掲げた。
    「かんぱぁい」
     缶がぶつかり合う軽い音がする。
     アルコールは入っていない紛い物の赤ワインだが、慕情はそれを美味しそうに飲み始めた。
    風信も赤ワインもどきを飲みながら、機嫌の良い慕情を見て苦笑する。
    「……………お前、どうせ忘れるんだろうけどな」
     慕情が酔っている間の記憶を翌朝に持ち越した試しなど無い。きっと、この事もあと数時間後には忘れてるんだろう。
     起きて身に覚えの無い指輪があったら、嬉しいと言うよりもホラーだろうし、慕情が喜ぶかは分からなかった。少なくとも良い顔はしないだろう。
     それでも、酔った慕情の言葉に乗せられたのは、風信も酔って気が大きくなっていたせいだ。
     慕情は風信の顔を見て、ふふんと笑った。
     「わすれたなら、わすれる程度のプロポーズしかできないお前のせいだ」
     「お前なぁ…………!」
     「次は」
     口調を荒げようとした風信の口に指を当て、慕情がほくそ笑む。
     「きおくがとばない時にしろ」
     「おま………………お前がそれを言うか!?」
     ハァと項垂れる風信に、ケラケラと慕情が楽しげに笑った。

     「なぁ、ふぉんしん」
    風信の肩にもたれながら、慕情がふと呟いた。
     「おれは、べつにお前と………………………」


    ◆◇◆◇


     そしてそのままぐっすりと寝入った慕情は、案の定何も覚えていなかった。
     珍しく狼狽した表情を見れた事は面白いが、忘れられた事はやはり面白くは無い。
     だが、このまま無かった事にするつもりは無かった。覚えてなかろうが、風信の背を押したのは他でも無い慕情なのだから。
     風信は、スマホを握りしめて絶句している慕情の手を取った。
    風信の指には、もう赤い紐は結ばれていない。しかし、紐を結んでいた痕はまだ鬱血痕として残っていた。まるで指輪のように。
     慕情の目がその指に落ち、恐る恐る風信を見上げる。
     「おい、なぁ、コレ……………まさか昨日緊縛とか…………してな………」
     「慕情」
     そっと呼ぶと、慕情はぴくりと肩を揺らし、そのまま黙り込んだ。
     風信は慕情の目を覗き込み、真摯に言う。
     「お前に『結婚する』と約束は出来ない。それでも一緒にいてくれ。何年先もずっと……………いや………」
     風信の指先に力が入る。

    「一緒の墓に入ってくれ。慕情」

     ほんの僅かで、長い時間にも思える沈黙が訪れた。沈黙を破ったのは、慕情の吹き出す声だった。
     「………っふ…お前は………いきなり死ぬ前提か?縁起でも無い」
     慕情の呆れ顔に、風信は一気に頭が沸騰し混乱した。
     「なっ………ちが……………そうだけどそうじゃなくて!!」 
     「何が違うんだ?」
     風信の手を慕情が握り返す。左の指に付いた“指輪の痕”を指先で撫で、慕情はふふんと笑った。
     「お前は長生きしそうだな。墓まで付き合うのは大変そうだ」
     「おい、俺は真面目に…」
     「どうせ何十年もの付き合いになるんだ。墓までだって大差無い」
     なんて事無い口調で言ってのけ、慕情は口の端を引き上げた。悪戯じみた目が風信を見上げる。


     「“やくそく”だ」

     覚えてなど無いくせに。
     酔っている時と同じ目と声で同じ事を言われれば、風信にそれ以上上手い言葉など浮かばない。
     「ああ、クソッ」
     代わりに、風信は慕情を無理矢理抱きしめた。
     「だから何でお前はそう偉そうなんだ!?」
     そして、一生敵いそうに無い慕情の不遜な唇を唇で塞ぐ。
     慕情は喉の奥で一度笑うと、風信の首に手を回して大人しくそれに応じた。




     それから一週間後。二人の左手には、ひっそりと揃いのシルバーリングが光っていた。
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