悪魔は意外にも子煩悩なのか(センパイのつわりが重い……)
自室のベッドで卵を抱え、うずくまるようにして座り込むメフィストの腰を、俺は何度も手のひらでさすった。隣りに腰掛けて顔を覗くと額には汗が滲んでいた。
「メフィスト、大丈夫?」
俺はポケットからハンカチを出して軽く押し付けるようにして汗を拭いてやった。人間界にいた頃はハンカチなんて持ったことは無かったが、魔界に来てからは常に制服のポケットに入っている。RADの紳士教育とルシファーの躾の賜物だ。まさか、こんな時に役に立つとは思わなかった。
「ふぅ……」
メフィストは息をするのも苦しそうだ。
「なんか、ごめんね。俺が卵を一緒に育てようなんて言わなければ……」
議場で殿下から卵を預かった後、俺はメフィストにも見せてあげようと思い、彼の邸宅へと向かった。
メフィストは最初は新聞部員として、この珍しい卵を上から下から興味深そうに観察していた。しかし、話が次第に先程の出来事……殿下からの依頼内容の部分にさしかかると、七兄弟や天使たちは呼ばれたのに、自分に卵の割当てが無かったことに対して不服そうな顔を見せ始めた。
それで、俺は「俺の卵を一緒に育ててもらえないか」と申し入れたのだった。
「何も問題はない。私は誰よりも立派にこの卵を孵化させてみせよう」
青白い顔でふるふると唇を震わせながら、メフィストが言う。全身に力が入っているのが分かるが、卵は決して締め付けないように優しく抱いている。
「分かったけど、無理はしないでよね」
きっと自己暗示の一種なのだろうが、メフィストは卵を持った途端、突然つわりのような症状に襲われてしまった。真面目なメフィストが孵化に真剣に向き合った結果なのかもしれない。いつも誰よりも幻術にかかりやすいメフィストは、おそらく誰よりも真っ直ぐで素直なんだろうな、と苦笑しつつ、俺はまた背中をさする。
「メフィストはさ、どんな子が産まれて欲しい? やっぱり、名家にふさわしい立派な子?」
症状から気を逸らそうと、話題を変えて話しかける。貴族であるメフィストのことだから、きっと顔も頭も良くて何でもこなすスーパーエリートが欲しいと言うに違いない。
自分がそうであったように幼い頃から英才教育を受けさせ、厳しく育てるイメージがリアルに思い浮かぶ。まぁ、相手は魔獣の赤ちゃんなんだけど。
「……元……気に、元気に産まれてくれればそれで、いい」
「え?」
思わず耳を疑って聞き返した。
「それだけ?」
兄弟たちでも天使たちでも、卵に対して何かしらの願望があった。どんな子が欲しい、どんな風に育って欲しいと、口々に夢を語っていた。ルシファーなんか、世界一有能な魔獣に育って欲しいと言っていたのに?
「ちょっと意外。スーパーエリートで完璧じゃないとダメって言うのかと思ってた」
メフィストはいたって真面目に答える。
「完璧じゃなくてもいい、無事に産まれてくれれば十分だ。病弱でも、うちで大切に育てるから問題なない」
「メフィスト……」
声を絞り出すようにそう語るメフィストの肩を思わず抱き寄せた。
何不自由なく愛情を注がれて育ったからなのか、それとも、年の離れた弟に愛情を注ぐうちに母性本能が育って行ったのか。メフィストの意外な内面を知り、俺は少々目頭を熱くした。
パリッ。
その時、卵の殻に小さくヒビが入る音がした。
「あっ、産まれそう!」
一筋入ったヒビはどんどん広がっていき、ついには殻が破れて、中から元気な魔獣が小さな顔を覗かせた。
「おぉ……」
メフィストが産まれたての魔獣をじっと見つめる。俺も顔を寄せて一緒に覗き込む。
「これは、お猿さんなのかな?」
卵の中から出てきたのは、紫色の毛並みに丸い目をした尻尾の長い猿のような魔獣だった。背中はには小さな翼も生えている。
「俺たちの、子供だね……?」
「その言い方はやめてくれないか」
魔獣は不思議そうに俺たちの顔を交互に見つめて小さく鳴き声を上げた。
「あ、そうだ。孵化した魔獣を殿下に見せに行かないと」
「殿下に!?」
産まれたての魔獣を前に、目を細めていたメフィストが、殿下という単語にピクリと反応して動きを止めた。そして、ビシッと魔獣を指差して高らかに宣言した。
「殿下に会わせるなら失礼の無いようにしっかり教育を施さないといけないな。我が家名を汚すようなことがあってはならない。ビシバシ厳しくエリートの教育を受けさせなければならないな! アデル、期待しているぞ! ルシファーには決して負けるな!」
(うわー、急な手のひら返し……)
はっはっはと急に元気になって高笑いをするメフィストはとても逞しかった。