悪魔のキスは特別なのか 放課後の図書館で新聞部の資料を集めている。
果てしなく背の高い本棚を見上げると、翼を持った悪魔が羨ましくなる。背伸びをして手を伸ばし、ギリギリで届いた背表紙に指を引っ掛かけ、目当ての本を手元に引き寄せる。何とか無事に取り出せた。
(ふぅ……)
本を手に、俺は獲物を獲った猫のように得意げに後ろを振り向いた。しかし、そこで成果を見ているとばかり思っていたその人は、退屈そうに閲覧コーナーの椅子に腰掛け、白い手袋の指先を遊ばせていた。
「セーンパーイ」
俺が呼びかけると、メフィストはめんどくさそうに顔を上げた。
「終わったか?」
「終わったよ」
メフィストの目の前に集めた資料をドンと積み上げる。メフィストは一冊一冊タイトルを確認し頷いた。
「よし、いいだろう。頑張ったな」
何とか認められたようで嬉しくて胸を張る。こういうとき、兄弟たちなら何と言うだろう。座っているメフィストの横顔を斜め上から見下ろしながら考える。
鼻筋が通った彫りの深い横顔に、アイラインを引いたような濃い睫毛。パーツの一つ一つは大きくて、ルシファーやアスモに比べると男性的な顔をしている。唇はキュッと水平に固く結ばれているが、その唇が見た目の割には柔らかいことを俺は知っている。
「キスしてもいい?」
兄弟たちなら、きっとこう言うと思う。俺もそう思う。
メフィストの肩に手をかけ、返事を待たずに顔を傾けて唇を重ねた。
チュッと軽いリップ音が小さく響く。
魔界に来てから俺がキスをしたのはメフィストが初めてだ。
閉じていた目を開けて、メフィストの顔を見つめる。メフィストは何も言わない。
「ねぇ、悪魔にとって、人間とのキスは特別なことじゃないの?」
気がつけば思わずそんなことを口走っていた。
「はぁ?」
寝耳に水だというようにメフィストが頓狂な声を出す。
「突然何を言い出すんだ」
呆れた顔で俺を見上げながらため息をつく。
「いや……、俺は人間だから、キスって結構特別なものだと思っているんだけど、もしかしたら悪魔にとっては少し違うのかもしれないなって」
兄弟たちはよくキスをして欲しそうな素振りをみせる。嬉しかったり、得意げだったりするとき、それから、まったりとじゃれ合って過ごしているとき。それが好意からくるものなのは明らかだが、もしかすると、人間が思っているキスとは全く別のものなのかもしれない。
兄弟たちとは実際にキスをしたことはないが、それが文化や価値観の違いというのなら、正しく理解することも留学生として必要なことなのかもしれないと思っていた。
「ねぇ、実際どうなっ……うわあっ」
ふわりと風に煽られたように突然体が宙に浮いた。そう思った次の瞬間、俺はメフィストによって、本棚を背に両手を押さえつけられていた。
「えっ……」
メフィストが無言で俺を見つめる。メフィストと俺は頭ひとつ分の身長差があるので、見下されるとなかなか迫力がある。真剣な顔だったので睨まれているのかと思ったが、その後すぐに重ねられた唇は驚くほど優しかった。俺の唇を啄み、押しつけ、重ね合わせる。
「んっ」
ペロリと下唇を舐められ、そのままメフィストの舌が口の中に入ってきた。
歯列をなぞり舌を絡め、深く口づけられる。ちゅぷちゅぷと絡む唾液の音が聞こえるたびに俺の胸はドキドキと締め付けられて吐息が漏れる。メフィストの普段とは違う繊細な舌の動きが無性に気持ち良くて、俺は必死に舌を伸ばし、懇願するようにメフィストに唇を押しつけ返す。
「はっ……あ、はっ……」
濡れた唇に最後にもう一度ちゅっと口づけてから俺の舌を押し戻し、メフィストは唇を離した。
「はぁ……」
俺は息が上がったまま、メフィストの胸に倒れ込み、顔を埋めた。
「どうかな?「特別」だったかな?」
ニヤリと勝ち誇ったようなメフィストの声。そんなことを言われたら、もう収まるわけがない。俺はメフィストにぴたりとくっついたまま、こっそりと呪文を唱えた。
(望む場所へと我等を……)
次の瞬間、二人の姿は図書館から消え、俺は自分のベッドでメフィストを押し倒していた。
「なっ……⁉︎ 転移魔法か⁉︎」
先程の余裕はどこへ行ったのか、俺の体の下で焦った顔をして狼狽えるメフィスト。頬を撫で、覆い被さるようにメフィストの体を抱きしめた俺は、その耳元で挑発的に囁いた。
「センパイの「特別」……もっと、教えて?」