「近界民をちゃんと殺すにはコンディションを維持しないといけないからな」
殺す、と口にした時、僅かばかりでも殺意や害意というトゲがあれば、むしろ米屋は安心しただろう。だが、その声にも表情にも、感情という波は一切伺えず。
例えるなら、まるで死んだ沼のような凪。
ぞわり、とかすかに米屋はうなじのあたりの産毛が逆立つような感じすら受けた。だから。
「だったらちゃんと三食食えよ。サプリメントとクラッカーとかエナジーバーとかじゃなくて。腹がふくれたって、ろくに食ったって満足感はねーだろ」
掌で三輪の腹を軽く叩いてやる。
「それに、幾ら必要なカロリーとか取れてる気でも、体の末端からダメージが出るんだよ」
「……」
「……あの頃さ、俺は、爪が割れてきたんだ」
はっと目を見開いた三輪の前で、懐かしそうに米屋は、握って手の内側にある指の先を見つめた。
「足の指、それから手の指の爪もこう剥がれるみたいになって薄くなって、そのうち割れてきてあちこちにひっかかってしょちゅう血がにじんでた。おかしなことにそれが気持いいんだよ。ああ、俺、生きてんだなって感じがして」
米屋自身は大規模侵攻で直接的な被害は受けなかった。家族や住居は無事で、だが、この街で生きている以上何も影響がなかったわけではなかった。友人や知人、その知り合いまで辿れば死者も行方不明もいた。ボランティアとして駆け回る日々が一段落して気づいたのは、瓦礫に埋もれ、いずれは廃墟になるであろう見慣れた場所やその周囲に置かれた花などの御供え物という潰えた命の象徴の目眩がするくらいの多さだった。学校は長く閉鎖され、テレビに映る今回の被害について声高に叫ぶレポーターの姿だけぼんやりと見つめている日々が続いた。
毎食ではないが、何かのきっかけでしょっちゅうもどしたし、二日や三日は水だけ飲んでやり過ごすしかないこともあった。頭の冷静な部分は、自分の心のバランスがおかしくなっているのだと自覚はしていた。
ボーダーに入隊することを決めたのはその頃だった。
荒療治、との覚悟はなかったけれど、自分を蝕んだこの「現象」の根本的なものと向き合って、抗い、牙を立てる。そうしなければ、自分はこのままゆるゆると朽ちていくのではないかと思った。
近界民と闘う才能には恵まれていないということは、早くに言われた。けれど、まったくの無ではない。自分にはささやかであっても奴らに抗う爪も牙もある。なら。
なんとかする。吐いたものの中で這いずり回ることになろうとも。
(まったく)
今にして思えば、ずいぶんと悲壮な覚悟で、笑ってしまいそうになる。
けれど、その中で米屋は三輪と会った。中学の時に一度同じクラスになっただけの、十余年の人生の中ですれ違っただけの同い年の少年。
A級トップ東隊の、攻撃手(当時)として。