高専5×人魚7【あらすじ】本家の敷地を歩いていると、離れのひとつから聞き慣れない水音がした。
雑多なものの詰まった、いわゆる倉庫だったはずのそこから聞こえるのには、水音など不可解である。
いぶかしんで中を覗くも、やはりガラクタとしか思えぬ物がひしめき合っているだけ。その奥から、微かな水音が続いている。
音源を求め辿り着いた最奥には、区切りとして明らかにおかしい、襖が設えてあった。ただの倉庫としていたはずの倉の奥に、襖とはこれいかに。
そっと開けると、中には大きな水槽が鎮座していた。
たっぷりとした水中には、ひとりの男が全身を沈めて浮かんでいる。
死んで居るのか。
人形か。
誇る慧眼で見ずとも、どうやら後者だと分かった。
なにせ男の下半身は、腰からゆるゆると鱗に覆われた魚になっていたから。これは、人魚を模した人形だ。
分かって近づき。そういえば、襖を開ける瞬間まで水音がしていたのを、はて、と五条は訝しむ。
中身が人形なら、水音を立てていた人間が誰かほかにいるはずだ。調査のため、水槽の周りをぐるりと歩いて回ることにした。
その間、水槽の中身に五条の目は釘付けだった。
水中に揺蕩うのは金の髪。日本にも人魚伝説はあるが、これは異国の生き物として作られたらしい。そのうえ、上半身は鍛え抜かれた男の姿。色や格好が物珍しく、じいっと魅入っていれば。
ぱちり。
「は?」
髪色と同じ、金の睫毛を持つ瞼が揺らぎ。瞳が開かれる。
きょろ…と目と鼻先を右に振ってこちらを向いたのは、足音に反応してのことらしい。
白い鱗と対照的に、瞳は色鮮やか。翠と蒼を混ぜ込んだ、異国の色。
こぽぽ、こぽ。ごぽ……。
『ゴジョウサン』
名前を囁かれた気がして驚く。この人形は喋るのか。
混乱する五条の目の前で、透き通る尾びれがまったり揺らぎ。人形だったはずの人魚が生きた動きで水面より顔をだす。
「おまえ……は?なに?生き、てんの?」
「キュアア、キュ、キュォ」
「マジか。何言ってんのかさっぱりだけど、さすが本家。やべーの飼ってんな」
「キュッ!」
強い語気と共に、器用な尾びれが、じゃぱっと水をかけてくる。どうやら五条は彼の逆鱗に触れたらしい。
濡れた服を払い、サングラスを省いてよっくと人魚を見つめた。目は口程に物を言う。
「飼われてる、っつったのを怒ってんの?」
分かったなら良し。
ツンとした態度に、いつもなら苛ついているところを。今日この時ばかりは、なんだよ怒るなよ、と思うだけ。ごめん。と謝罪が口をつく。
「そんで、オマエなんなの?なんでこんなところにいんの?外でたくねぇの?つか、本物の人魚?それとも、なんかの術式?俺の六眼でも見極めきれねぇって、なに?」
矢継ぎ早の質問に、人魚は複雑な表情を浮かべる。
懐かしいものを見る目。
困惑した喉。
今にも泣きそうな眉間の皺。
色々と言いたいことがあるのだろう、口がはくり、と開閉し。
「キュー……」
か細い声をあげたかと思うと、五条の手が取られた。心地よい、しっとり濡れた頬が寄せられた。白い肌が吸いついてくる。
「なんでそんな泣きそうなんだよ。最強の俺が見つけたんだ。こっから出してやるよ」
海に返せば気は済むだろうか。
彼の求めている願いは、それとは違う気がして胸がざわつく。
今あったばかりで、彼の何をも知らなくて他に願いがあると思う自分は、どうかしている。
なぜ、頼まれてもいないのに、この人魚を助けてやりたいのか。自分で自分の言動に驚くばかりだ。
この人魚は、俺を待っていた。
そう感じるのはなぜだろう。
浮いて来た下半身。艶めく鱗を撫でて、彼が魚と人の間であることを認め。
不意に触れた五条の手を、熱がる彼にまた素直な謝罪がこぼれる。金魚と一緒。人の体温は彼ら人魚にとって熱すぎるのだろう。
「頭、触っていい?」
「キュ……」
人の部分である上半身なら、人肌も平気か。
金の髪が、濡れて額を隠しているのが気になっていた。ぐいと近寄る額から、手のひらで後ろへ撫でつけたところ。なにか電流じみた衝撃が走って頭が痛くなる。
「ほんと……オマエなんなんだよ」
頭を掻きむしっていると、筋肉質な腕に迎えられ、強く抱き締められてしまう。濡れる、と言いかけた文句が喉奥につまる。それだけ締め付けられているのだ。
「キュゥ、ァオ」
『ずっと、待っていました』
低い男の声が頭に甦る。いや、甦る、という言い方はおかしい。聞いたことのない声なのだから。しかし人魚の彼が人の言葉でしゃべるなら、きっとこの声だろうと頭から湧いてきた音だった。
「ずっと、待ってた……俺を?」
なぜわかった。
と言わんばかりの顔に、してやったり。
金の髪を振って、青緑の瞳を潤ませ。人魚は今にも泣き出しそうな顔で、五条の肩口に鼻筋を埋めるのだった。