面倒 おれはオオサカに行ったことがない。花園さんが、オオサカに行ったことがないように。どうして、エセ・オオサカベンをしゃべるんですか。そう訊いたら「面倒が減るからや」と花園さんは答えた。花園さんの大きな背中で流しが見にくくて、暖かい、カレーの匂いが部屋中に篭って、だから眠いのに寝るのを我慢しようと、くすぐったくなるような気持ちだった。
花園さんが、布団で横になっているおれのほうを向いた。手にはカレーの箱を持っている。
「コレと一緒や。作り方は裏に書いてあるさかい、付け焼き刃でもゴマかしはきくんや。エセ・オオサカベンなら、イナカがどことか、わざわざ訊いてくる奴おらんやろ?」
イナカは、生まれたところ、または、育ったところの意味らしい。人間界に来たおれのイナカを知られると、いろいろ面倒らしい。ここはあくまで潜伏先。身元を知られてはならない。
面倒じゃないようにならなければ。飯を食わせてくれて、暖かいところで眠れるのならば。だから、面倒な客でもそれなりにこなした。最初のうちはとまどうことも多かったが、次第に慣れた。花園さんがイナカに帰るのを諦めたより少し後に、おれも仕事から足を洗った。
そのはずだった。
いつからか、仕事でやっていたことを、自分から好きこのんでやるようになっていた。最初のうちは我慢しようとしたが、誰も止めなかったので、やがてそれも忘れた。その時の最中から次のことを考えるような飢えにつき動かされた日々を過ごした。
夭聖たちの面倒を見ろと仰せつかったのは、素行を改めろと釘をさされたのかもしれない。でもやめられなかった。
「また、おでかけ?」
皆が眠ったところを見計らって抜け出そうと身を起こしたとき、横になったままの樹果に声をかけられた。
「面白そうだからついて行きたいけど、きっと怒られるよね」
そんなこと、できるわけがない。
「当たり前やろ。ワイは面倒は苦手なんや」
「あーややこし。今の、夢ってことにしておくから、いってら…」
また、深い寝息になった。扉を静かに閉めようとドアノブに手をかけた時、
「ややこしって、面倒って意味って、学校できいた」
樹果のふにゃふにゃの声がして、また途切れた。