ねむる蓮 僕と似たあの子のことを、時々思い出す。
放課後に絵筆を握っているときや、下校中にあの子と同じ学校のセーラー服を見かけたときに。恋慕からではない。報われない相手に愛情を向け、描き手としての絵の話をできるのはあの子とだけだった、ただそれだけだ。深追いなどという醜い真似をする気もないが、何かを失ってしまったような感覚がつきまとう。
今日も陽のひかりが強い。描きかけの池と草花の絵を描くのは丁度いい。
イーゼルを立てると、花壇に水をやっている樹果を見つけた。
「うるう!」
こちらを見つけた樹果がジョウロを取り落としそうになり、水玉が日光に反射してきらめいた。水を頭から被らずにすんだのは僕の力だと、樹果は気づいていないだろう。
僕には兄弟はいないが、小さい子の面倒を見るのは嫌いではない。そう考えながら犬の子みたいに全速力で駆け寄ってくる樹果に笑いかける。
「手伝おうか?」
「ダメだよ、うるう絵描いてるじゃん。それくらい俺にもわかるよ」
「今から描こうとしていただけだ」
「悪いよ」
樹果はいったん俯いて、何か思いついたように顔をあげた。
「あ、そうだ。顧問の先生に何か植える植物選んでいいって言われてた。うるう、何がいい? 描きたいの選んじゃえば?」
考えたこともなかった。ただ、目の前にあるものを描くことが正しいと考えていたから。
「そうだな……」
時間稼ぎの相槌を打ちながら考える。曇った水面と濁った色を思い出す。
「うるうが選ぶんだったら、水の近くにある花がいいよね。ホテイアオイは面倒だしなあ……蓮とか? 睡蓮とか?」
「どう違うんだ? 陸岡のほうが詳しいんじゃないのか」
「ちょっと待って」
制服のポケットからスマホを取り出し、何やら調べているようだ。
「知ってるけど、嘘教えちちゃいけないからさ…茎が水の上まで伸びてるのが蓮で、葉っぱや花が水の上に浮かんでるみたいに見えるのが睡蓮だってさ」
あの花に親しみを覚えた理由がわかった気がした。
いままで当然だと思っていた水の中から顔だけ出してようやく息をして、足元を泥濘に絡めとられているくせに頑張って涼しげな顔をして、耐えている。
「やっぱり、睦岡に任せるよ」
不審げに首を傾げる樹果に笑いかける。睡蓮のことを、美梨香を、おかあさまとあの男のことを、忘れたらいいのか、覚えておくべきなのか、僕にもわからない。だから眠ったふりをするように、判断を保留する。