空に誓い6 家まで送りとどけられ、寝室に入っても、悟は憂太の腕の中でぐっすりと眠っていた。
かなり強力な麻酔らしいが、それでも三十分程度しか効果はないと教えてくれたのは夏油だ。それほどまでに、悟は強く特別な獣人なのだという。
(……あと、五分)
夏油が麻酔銃を撃ってから、まもなく三十分が経つ。
窓の外はすっかり夜で、カーテンの隙間から十六夜の月明かりが寝室に差し込んでいた。昨夜が満月で、今日はその翌日。だから、昨日よりは悟もマシな状態だ、と教えてくれたのも夏油だ。
(僕は、なにも知らなかったんだ……)
ゆっくりと悟の大きな身体をベッドに下ろし、その毛並みを優しく撫でる。狼、なんて想像の中でしか知らないが、両腕でやっと抱えられるほどの大きな体躯と、鋭くも凛々しい顔立ちは、まさに想像の中の狼の姿だ。
「ずっと、僕を守ってくれてたんだね……」
獣人とパートナーになることを望んだ人だけが、獣人の狂暴化とそれを抑える方法を知る決まりらしい。その説明は、獣人からパートナー候補者に直接伝えることが義務付けられているという。
それでも、悟はそのことを憂太に話さなかった。
――乙骨さんの恋人のこともあるでしょうが、それ以前に悟は狂暴化を君が抑えられなかったとしても、君をパートナーに決めた。そういうことだと思いますよ
悟に愛されてますね、なんて夏油は笑って言ったが、憂太は笑えなかった。自分が覚悟を決めるまで、悟は何度でも自ら檻に入ったのかもしれない。そうさせたのは、他でもない自分だ。
(里香ちゃん……)
悟の身体を撫でる左手の薬指と小指には、寄り添うように指輪がある。
狂暴化を抑えるために、これからなにをしなければいけないのか。それはもう分かっている。でも、その行為をなんと呼べばいいのか分からない。
里香を愛している。それはそれからも、一生変わらない。でも、愛は一つでなくていいのだと、そう思わせてくれたのは悟だ。
(僕の純愛は、生涯里香ちゃんに捧げるよ。でも、それ以外は、僕を助けてくれた悟にあげたい)
それが親愛なのか友愛なのか、分からない。でも、今自分がこうして前を向いて生きていられるのは、悟のおかげだ。
「悟。早く起きてよ。起きて、僕をパートナーにして」
そう呟きながら、牙が覗く悟の口元に唇を寄せた。すると、ピクリと悟の身体が震えた。
「悟?」
もう一度名前を呼ぶと、パチリと悟の目が開いた。宝石のような青い瞳に自分の姿が映ったかと思うと、グァゥと吠えた悟に服を噛まれ、引きずられる。
「うわっ⁈」
強い力に逆らうこともできず、ベッドの上に引っ張り上げられた。そのまま身体の上に乗り上げてきた大きな獣に、鋭い目で見下ろされる。
「「グゥゥゥゥゥ」」
低く唸る声。大きな口からは牙が覗き、まるで飢えているかのように、溢れた唾液が肌に滴り落ちた。今にもその牙で襲い掛かってきそうなほどの迫力を感じる。それなのに、悟はなにかを耐えるように剣呑に眉を寄せたまま、動こうとはしない。
(……そんなに、辛そうなのに)
衝動を必死に堪えている。そんな姿の悟に、憂太はそっと手を伸ばした。
「我慢、しなくていいよ」
「「ウウゥゥ」」
「僕は、悟のパートナーになりたいんだ」
求められたからではなく、自らの意思で悟の隣に在りたいと、心から願う。
「里香ちゃんへの愛以外、全部悟にあげる。だから、悟の全部も、僕にちょうだい?」
そう告げて抱き寄せるように両腕を広げると、悟はもう一度苦し気に唸り声をあげたので、自ら抱き寄せてその鼻先にキスをした。
■■ Rシーンは獣姦表現が含まれるので、本のみでの掲載となります ■■
眩しい。
白い光に起こされるように目を開けると、カーテンの隙間から差し込む光だけでも、寝室内は十分すぎるほど明るかった。その眩しさから逃げるようにベッドの上で寝返りを打つと、身体のあちこちが悲鳴を上げるように痛みはじめる。
(今日が、休みで、よかった……)
そんな考えが一番に浮かんだ。悟を探して夏油に会った日が金曜日で、今日は日曜日だ。
土曜日の記憶は、ほとんどない。トイレ以外でベッドから離れることを許されず、食べ物や飲み物は何度か悟が寝室に持ってきてくれた。
一度だけ、どろどろになった身体を抱きかかえて、風呂に連れていかれたことは覚えている。でも、そこでも声が枯れるまで抱かれたので、記憶は朧気だ。
(体力、つけなくちゃなぁ……)
そんなことをぼんやりと考えていると、ぎゅう、と背後から抱きしめられた。
「起きた?」
「う、……っ」
うん、とただ一言頷こうとしただけなのに、カサカサの喉に声が引っかかって出てこない。軽く咳きこむと、背後から抱きしめる悟の力が強くなる。
ごめん、なんて謝られたりはしない。パートナーなのだから謝る必要はないのだと、そう話したのはすでに何度か抱かれた後のこと。その言葉を守って、謝罪を口にしない代わりに、心配してくれていることが伝わる力で抱きしめられる。
「……悟は、落ち着いた?」
がさがさの掠れた声で聞くと、背中越しに悟が頷いたのが分かった。振り返って正面から悟の身体を抱きしめると、しっとりとした肌の感触が手のひらから伝わってくる。
頭を撫でると、そこには大きな銀色の耳があるし、尻尾も憂太の太腿あたりを包み込んでいる。それでも、全身を覆うような毛並みが消えただけで、いつもの悟が戻ってきたような気がして、憂太はふっと笑う。
「毎月、ああなる?」
「満月が近づくと、二、三日はね」
「そっか。会社にも伝えておかないとね」
多少休日出勤をすれば、毎月満月の時期に休みを取ることぐらいできるだろう。そんなことを考えながら悟の頭を撫でていると、肩口に顔を埋めた悟が、ぐりぐりと鼻を擦りつけてくる。
「くすぐったいよ」
「憂太から、僕の匂いがする」
「そう、なの?」
「うん。憂太が、ちゃんと僕のになった匂いだ」
一度お風呂に入ったとはいえ、その中でも、その後も、何度となく悟に抱かれて汗をかいているので、こんな風に匂いを嗅がれるのは恥ずかしい。それでも、悟が嬉しそうに鼻を鳴らしているのが可愛くて好きにさせていると、顔を上げた悟にぺろりと唇を嘗められた。
「僕も、憂太が仕事の日はなるべく回数は減らす様にするよ」
「え? 満月が近くても、そういうことってできるの?」
「満月の日は、まあ無理だけど。もしかして、満月の日しかセックスしないって思ってる?」
え、と首を傾けると「冗談でしょ」と悟は笑う。
「せっかく憂太からのOKが出たのに、おあずけとかさせないでよ」
「え、えっと……、え?」
なにが言われているのか分からない、と瞬きを繰り返していると、急に抱き上げらえた。
「悟⁈」
「とりあえず、お風呂行こうか。その後はご飯ね。ちゃんと食べて寝てってメモ残したのに、ちゃんと食べてなかったでしょ」
軽くなってる、と咎めるように首筋に甘噛みされた。ふと自分の身体を見ると、無数の赤い鬱血痕や歯形が残っていて、思わず苦笑する。
「ちゃんと食べて、寝て、憂太が回復したら、またいっぱいセックスしようね」
「…………」
憂太の身体を軽々と抱き上げて浴室に向かいながら、悟の大きな尻尾はぶんぶんと大きく揺れていた。そんなご機嫌な悟の顔を見上げて、憂太は苦笑を深める。
(もしかして、待て、を覚えさせた方がいいのかな……)
そんなことを考えながら、憂太は一生共に在ると誓ったぬくもりを、両腕で抱きしめた。