アンコール インターカムも警備システムも素通りして“彼”が戸口に現れたとき、ケリーは思わずゾッとした。姿を見なくなってしばらく経つ。アラサカタワーの事件はテレビやスクリームシートで嫌というほど目にしてきた。だがその結末は? マスメディアの言うことなど当てにならない。噂では死んだともアングラでうまくやっているのだとも聞いた。けれど真相は誰も知らない。ならばとナイトシティ屈指の情報通、フィクサーでありジョニーの元カノ、ローグにもたずねてみた。返事は一言、「あいつは伝説になったんだ」。金なら出すと言ってはみたが、返されたのは立てた中指の絵文字だけだった。
Vはいいやつだ。彼のおかげで――奇妙な形ではあったが――ジョニーと再会を果たすことができた。それに人として、ミュージシャンとして立ち直ることができた。もし彼がいなければもう一度、そして今度こそ自らの頭に銃弾をぶち込んでいただろう。大げさに言わずとも命を救われたのだ。だから生きていてほしいと願っていた。一方で、心のどこかでは諦めてもいたのだ。自分とて真面目に生きてきたとは言い難いが、重ねた年月は伊達ではない。起こらないことを奇跡と呼ぶのであって、人がどれほどあっけなく散ってしまうかも目の当たりにしてきた。Vの生き様はエッジー以外の何物でもない。もうそろそろ、読まれることのないメッセージを送るのも、留守番電話へ切り替わるとわかっていて呼び出し音を数えるのもやめにしようかと思っていた。だからその姿を目にしたとき、とうとう耄碌したかと落胆すらしかけた。
けれどその男がかけていたサングラスを外し、ばつの悪いような面持ちで肩をすくめたとき、ケリーはすぐに理解した。そこにいるのはVではなく、彼の姿をしたジョニーだということを。
ケリーは年若い友人を想い、深く息をついた。
「そうなると思ってた。Vはまったくしょうがねえやつだよ」
ケリーはカウチの上で腰をずらし、隣を叩いてジョニーに座るよう促した。ジョニーは重い足取りで入ってくると、出されたアルコールに手を付けることもせず、粛々とことの顛末を語った。アラサカタワーへ単身乗り込み、アダム・スマッシャーへの復讐を成し遂げ、〈神輿〉へ到達したこと、そしてオルトのデジタルゴーストから配られた最後の手札のことを。
Vが選んだのは、自身に巣食った亡霊をこの世へ送り返すことだった。対価がどんなものか承知の上で。
「これはおまえのものだぞ、畜生」
注がれたウィスキーに映る自分の顔を睨みつけ、ジョニーは奥歯を噛みしめるように言った。その胸元でVアミュレットが揺れている。それにくくり付けられている弾丸は、Vの頭の中から取り出されたものだと聞いていた。
「……Vは、死んだわけじゃない、んだよな?」
ジョニーは鼻で笑った。「どうだかな。おれに言わせりゃ、向こう側へ行っちまったのがなんであれ、あいつは死んだんだよ。あいつは生きるってことがどんなか知ってた。それを、投げ出しやがった」
金属の触れ合う高く細かな音に、見れば、アミュレットを握るジョニーの手が震えていた。
ケリーはジョニーが泣いているところを見たことがない。このろくでなしはケリーのことも、他の数多の女も男も泣かせてきたというのに。ジョニーはつらい出来事に直面したときは、いつも嘆き悲しむ段階をすっ飛ばして行動に移してきた。歌だったり、喧嘩だったり、果てはあの襲撃事件だったり。それも今ならわかる。彼はそうやって泣き喚いていたのだ。
今回は違う。その怒りも喪失も、かけがえのない友が与え、遺したものだ。
ケリーが五十年かけても超えられないと思っていた存在が、今は悲しみに打ちひしがれたごく普通の若者に見えた。実際のところはずっとそうだったのかもしれない。死してなお一層、羨望や押し付けられた理想像に照らされて、伸びに伸びた影ばかりが目立っていただけで。
少し迷って、ケリーは項垂れる旧友の背に手をやった。
『縁なんだよ』。
アミュレットについてたずねたとき、Vがそう言っていたのをケリーは不意に思い出した。〈Relic〉の強奪はきっかけの一つに過ぎない、このタマが頭をめちゃくちゃにしなければこうなることはなかった、と。『こんなちっぽけな鉛玉が結び目なんだ。前と後、選択と結果、おれとジョニー』。彼は皮肉げに笑っていた。
一発の弾丸がその後の人生を左右することはケリーもよく知っている。自分の頭に突き付けたリボルバーはその一発を与えてくれなかったが、それはVが来てくれたからだ。だからケリーにとっての“縁”を言うなら、まさにVがそうなのだろう。
「あいつは生きたがってた」とジョニー。「だからおれも信じたんだ。あんな無謀に挑むのは、最後まで足掻くためだって」
「実際、そうしたんだろ」
「その結果がこれだ。なんで急に心変わりした? おれに同情して? そんなのおまえらしくないだろ」
「そうだ、らしくない。なんだかんだ言ってVはおまえに似てたんだ。頑固で、友達思いで――」
「知ったように言いやがって! だいたい何でそんなふうでいられる? あいつの皮を被って戻ってきたクソ野郎にもっと言うことあるだろうが!」
「おかえりチューマ。戻ってきてくれて嬉しいよ」
いきり立ってわめくジョニーに、ケリーは静かに言い返した。ジョニーは言葉に詰まり、目の表面を覆うものを振り払うかのように視線を背けた。ケリーは続けて言った。
「クソ野郎でも友達だ。Vもな」
「あいつのことが好きだったくせに」
「好きだったよ。あんないい奴がダチで誇らしい、もっと一緒にバカをやりたかったって思うぐらいには」
ジョニーはじっとケリーを見つめ、やがてゆっくりと腰を下ろした。
「あいつは……」
言いかけて、ジョニーは口をつぐんだ。あれだけ歌に乗せて感情を吐き出してきたのに、今はどんな言葉も追いつかない。代わりにケリーが先を引き取った。
「Vは過ぎたお人好しだが、おまえのためってだけじゃない、だろ? 自分のためだ。V自身の、信念のため。それを貫いただけだ。自己犠牲ってことにすればおまえのせいにできるけど、やめとけ。それは、駄目だ」
子供に言い聞かせるように、ケリーは震えるジョニーの手ごとアミュレットを握って言った。
「Vは、大好きだったんだ。この街のこと、肌や目や耳なんかで感じ取る、いろんなエモいあれこれを愛してたんだ。おまえのこともな」
「愛か」
「愛だよ」
ジョニーは小さく笑った。「あいつも大概ロッカーだな」
おかしなことに、その顔は少しVに似ているように見えた。外見だけはVそのものだというのに。ケリーは目頭にこみ上げたものを気取られぬよう、さっとジョニーから手を離した。
「これからどうしたもんかな」ジョニーは頭の後ろで手を組んで、背もたれに身を預けた。
「悩め悩め。また音楽をやったっていいし、いっそこの街を出たっていい。今までおまえもVもやったことのないことに挑戦してみるってのもありだな」
「ケリー・ファッキン・オールドマン、この野郎、老獪ぶりやがって」
「何とでも言え、ジョニーボーイ。終わらせることを考えなくていいなんて十分じゃねえか。これからだよ、ジョニー、これからだ」
ジョニーはしばし天井を見上げ、そして部屋の中を見渡した。相変わらずの散らかり具合に、過去と現在の栄光、そして自分が手渡した使い古したギターへと目がとまった。おもむろに身を起こし、ケリーを振り返る。
「なあケリー、いつか、すぐじゃなくていい。Vのことを歌ってくれ」
「おれに? でも、おまえが……」
ジョニーは首を振った。
「一言でも、何文字尽くしてもおれにはできない。おまえなら上手くやれる」
そう言ってケリーの肩を掴む。ケリーが遠慮がちながらも頷いたのを見て、ジョニーは安心したように微笑んだ。
「話せてよかった。ありがとな」
ジョニーはグラスの残りを一息に煽った。立ち上がって玄関へと向かう。
「ジョニー」
ケリーは戸口に差し掛かったジョニーを呼び止めて言った。
「もしVに借りがあると思うなら、借りを返そうなんて思わねえことだ。生きろよ、おまえを」
ジョニーは振り返ろうとして、けれど意を決したように前へ向き直った。そしてデビルホーンを高々と掲げながら外へ出て行った。ステージをあとにするときのように。
いや、とケリーは思い直した。幕は今上がったばかりなのだ。