==HAVEN コックピットでパイロットが身じろぎし、鼻をすすり上げた。断熱素材の毛布にくるまっていても底冷えが厳しく、体表温度は普段より一・三度も低下している。それを検知したバンガード級タイタンOO-2785、通称O2は空調温度を一度上げた。
外気温は摂氏マイナス二十二度。昨日までは五十度近くを記録していたというのに。そうした極端な寒暖差を生んでいるのは、この惑星を取り巻く磁気や重力の影響で発生している巨大なドーナツ状の台風だ。輪の外側では熱風が上昇気流を作り、上空で冷やされ、中心部へと雪崩れ込む。それが惑星のあちらこちらで発生してはゆっくりと移動しながら消えてゆくのだ。遥か高みの宇宙から眺めると、さながら灰色の虹彩が不揃いな水玉模様を描く、いささかグロテスクな見た目の惑星だ。そしていま二人がいるのは、まさに台風の目の中であった。
一夜にして降った雪は辺りの景色を一変させていた。昨日までそこに広がっていたのは、巻き上がる暗色の塵と黒い岩、その合間に生えるようにして形成された石英、珊瑚のような葉のない原生植物。幻想的ながらも、人を寄せ付けない刺々しい雰囲気を放っていた。それを今は、厚く積もった雪が白くなだらかに覆い隠している。
セットしていたアラームが鳴り、O2のパイロット、リゲルはうめき声を上げながら毛布を胸元へたくし込んだ。
《おはようございます、パイロット》
「……おはよ。抜けた?」
《はい。台風の目の中心に入りました。予想時刻との差異はプラス十一分四十二秒。付近に敵・味方共に反応なし。約二時間後には再び暴風域に入ります》
「了解。三十分前にアラームをセット。通信は?」
《暴風域の塵の影響により困難。バースト通信を定期的に送信中。運が良ければ、上空艦隊がこちらの現在位置程度は把握できる可能性はあります》
「そっか。まあ、台風の中じゃ戦闘どころじゃないし、待つしかないな」
およそ二十時間前、ミリシア軍はリゲル含めた特攻兵団を引き連れ、この惑星に潜むIMCの残党部隊殲滅のために地上へ降り立った。作戦はミリシアが勝利を収めたが、しかし天候の変化は予想以上に急激に起こり、あっという間に一帯は台風に飲み込まれてしまった。そうして止む無く帰投を延期することとなり、リゲルはO2の中で一夜を明かしたというわけだ。おそらく他のパイロットたちも同じようにせざるを得なかったはずだが、反応がないことからして近くにはいないらしい。
O2は機体に山と降り積もった雪を押し上げながら立ち上がった。途端、ヘルメットのHUDに映し出された光景に、リゲルは眠気眼を一気に見開いた。
「ちょ、オックス、開けてくれ!」
パイロットの命令に応じて、O2はハッチを開いた。リゲルがコックピットから飛び降りると、彼の左脚と義足の右脚は膝下まで雪に沈み込んだ。
晴天のもと、眩いほどに輝く一面の銀世界が彼方まで続いている。リゲルはヘルメットを脱ぐと、刺すように冷たい空気を吸い、白い溜息を吐き出した。
「すげえ、すげえ! 真っ白だ!」
「気をつけてください、パイロット」
O2の忠告などまるで聞く耳持たず、リゲルは歓声を上げながら駆けだした。ギュウギュウと軋むような音を立てながら足跡を刻み、しかし十メートルも行かないところで盛大に転倒した。O2はすぐさまパイロットのもとへ向かい、雪に半ば埋もれた体を掴み起こした。
「アハハ、痛くない!」
「……気をつけてください、パイロット」
それでもなおリゲルは楽しげに笑いながら頭を振って雪を払い、O2を見上げて、シアキット周りに張り付いた雪や氷柱を払い落とした。
「雪って初めて見た」
《確かに、あなたがこれまで就いた任務において降雪は確認されていません》
「な! シミュレーションでなら見たことあるけど、こんな……なんか……すげえな!」
言葉よりも表情で感嘆の意を表すパイロットは、興奮のせいか寒さのせいか、平時よりも顔が赤らんでいる。O2はコックピットから毛布を摘まみ出してパイロットへ羽織らせた。
《帰投までが任務です、パイロット。体調管理に配慮を》
「うんうん。それよりさ、不思議な匂いがするな。なんだろ……日干しした冷凍庫?」
《……なるほど》
タイタンは匂いというものを認識できない。代わりにできるとすれば大気中の成分分析だが、『日干しした冷凍庫』に該当するような比較データは持ち合わせていなかった。ともあれ、少なくとも人体に有害な成分は含まれてはいないことは確認済みだ。
リゲルは足元の雪を掬い取った。シャーベットに似ているが、より柔らかい。握りしめると固まり、見た目や感触はラムネに近いように思えた。
「なんか美味そう」
《食べないでください》とO2はすぐさま注意した。《台風により生成された雲には人体にとって有害となる物質が含まれています。雨や雪などには濃縮されるため、多量に摂取すると最終的には多臓器不全により死に至る可能性があります》
「ふうん、残念」
もっとも、予測では数キロ単位を一ヶ月程度は摂取し続けなければ致死量には至らないが。そのことをリゲルに伝えなかったのは、それ以前の問題として単純に腹を壊す可能性のほうが高かったからだ。いずれにせよ、パイロットの体調管理もプロトコル・スリーのうちだ。
そんな相棒の気遣いなど知らずして、リゲルはタイタンの足元で雪を寄せ集めていた。
「なあオックス、ちょっと手伝ってくれ」
「了解」
言われるがままO2は巨大な手で雪を掻き集め、リゲルの肩の高さほどの雪塊を作り上げた。弾除けの遮蔽物として使うのだろうか、それにしては強度不足だが……。そう推測しつつリゲルの様子を見守っていると、彼はデータナイフを駆使して、雪塊をおよそ人型と思わしきものに整形した。ただし、やたらと肩幅が広く、足は短く、そして頭部は無い。さらにリゲルは雪原の中から青みがかった石英を掘り出し、オックスに言って一本折ってもらうと、それを雪像の胸のあたりに突き刺した。
「できた!」
満足気に腰へ手をやり、相棒を振り返る。雪原に負けずきらきらと輝く瞳に、O2はなにか感想を求められているのだと察した。
《斬新なオブジェですね。ブレムミュアエですか?》
「ぶれ……? それがなんだか知らねえけど、ちげーよ! おまえだおまえ!」
O2は再び雪像を観察し、さらに重ねてスキャンした。
《わたしはこのような形状をしていません。脚部はより細く、関節の可動範囲は――》
「ンなの仕方ねえだろ! これ以上脚を削ったら倒れそうだ」
《……青石英をコアに見立てたのですね。理解しました》
「唯一褒めるところ探したみたいな言い方だな」
《事実を述べたまでです》
「この野郎。なら自分もやってみろってんだ」
O2はコアのシャッターを瞬きし、思案気にシアキットを傾けた。“創る”という行為は、そもそもAIには不向きだ。指先も細かな作業には適していない。そこでO2はデータベースを検索し、人間が作る雪像から最も単純なものを引用することにした。
雪をひと掴み取り、両手を使って丸く固める。少々いびつな雪団子を『リゲル作・O2』の隣に置き、さらにもう二つ作ってその上に重ねた。
《できました》
煙草に火を入れようとしていたリゲルはその手を止め、まじまじと三段重ねの雪団子を眺めた。
「でかい串団子だな」
《あなたです》
リゲルは是とも非とも言い難い微妙な表情を浮かべ、やがてゆっくりとO2を振り返った。
「おれって、おまえにはこう見えてんの?」
《いいえ。人体構造は把握しています。しかし精密な描写は不可能と判断したため、人型に最も近く最も単純な構造を引用しました。一般的には“スノーマン”と呼ばれ、多くの文化圏で類似したものが親しまれています》
「スノーマン」
リゲルはふんふんと頷き、改めて『O2作・リゲル』を眺めた。そして思い立ったように振り返り、二つの雪像の横を指さした。
「なあ、もう一個作ってくれよ」
《了解》
O2がもう一体スノーマンをこしらえている隣で、リゲルは植物を掘り出して手ごろな枝を折り、『O2作・リゲル』の一番下の段に突き刺した。
《それは何ですか?》
「これ」とリゲルは自身の義足を叩いた。
《なるほど》
新たなスノーマンができあがると、リゲルは煙草を一本取り出してその口元に咥えさせた。そしてグローブについた雪を叩き落としながら下がり、O2の左脚に腰を下ろした。ゆっくりと煙草を吸い、白い息とともに紫煙を吐き出す。
最後に作ったスノーマンは、義足を模したものを付けなかったからリゲルではないのだろう。では何なのか。たずねるべきだろうかとO2は考えたが、リゲルは先ほどまでのはしゃぎようとは打って変わって、じっと前を見据えてただ煙草をくゆらせている。O2の視点からはその頭頂部しか見えない。
不意に、リゲルが何か呟いた。
《リゲル?》
「静かだな」
その声のあとには、戦場で響く爆発音や銃声とは無縁の静寂が続く。遠く暴風域の暗雲の壁が見えるが、その風の音すらここまでは届かない。雪が音を吸収しているのだ。
「さっき、もし天国なんてものがあるなら、こんな場所かもしれないって思ったんだ。でも違うな。アンダーソンにはこんなところにいて欲しくない。あいつがいるべきなのは、風車の足元で花が咲いてて、海が見えて、家族で笑っていられる、そういう場所だ」
《イーノ―のように》
頷きにリゲルの頭が揺れる。O2は理解した。二体目のスノーマンは、亡き前パイロットであり共通の友人、アンダーソンだ。
「ばかばかしいだろ? おれなんかがそんなところに行けるはずないのに」
リゲルは無宗教だ。アンダーソンは北米系移民の子孫たちの多くと同じくキリスト教の慣わしを踏襲してはいたが、熱心な信者と言うわけではなかった。しかし、とO2は演算能力の大半を注いで考えた。リゲルの言葉からするに、死後の世界とやらに宗教や信仰の程度はそれほど重要ではないらしい。どうあってほしいかと願うことのほうが大切なのだ。そして自身は、いまだにアンダーソンに戻ってきてほしいと望んでいる。
《……わたしにはわかりません。天国であれ地獄であれ、AIの想定外です》
「そっか」
やがて風が強く吹き始め、雪がちらつきだした。セットしていたアラームが鳴ったのを合図に、O2はリゲルを掴むとコックピットへ座らせた。すぐに空調温度を上げ、冷えたパイロットの体を温めにかかる。リゲルは間もなくウトウトとし始めた。
《リゲル》
「んー?」
《行けないと思うなら、ここに、わたしといればよいのです。どこかへ行くべきではありません》
リゲルはにっこりと笑顔を浮かべ、内壁を拳で軽く叩いた。
「そうだな、相棒。それでいい」