(燭へし)あの……長谷部くん……「ダイニングの照明を買い換えたいんだ」
金曜の夜、会社の近くにできたスタンディングバーで、カウンターに並んでビールを片手に光忠はふいにそう口にした。
「照明?」
「うん。昨日急に点かなくなっちゃって。鶴さんが使ってたやつだからもうずいぶん経つんだよね」
光忠が住むマンションは駅から歩いて十分ほどの築年数だけ聞けば、老朽といっていい建物だ。
もともとは光忠の話によく出てくる昔馴染みである鶴さんこと、鶴丸国永という年齢も職業もよくわからない男が住んでいたのだが、大学に入ってこっちに出てくることになった光忠に「俺の代わりに住んでくれ」と鍵を渡されたらしい。
譲り受けたのか?と聞くと「ううん賃貸だよ」というのだからよくわからん話だ。
ただ駅から近く、水回りはリフォームされたばかりの割には家賃が安く、大家もとてもいいひとだったので(勝手に住む人間が変わっても怒らないのだからそらそうだろう)そのまま住むことにしたのだという。
初めて家に行ったとき、駅から歩けるのが気に入ってると言っていたわりには、最近そろそろ引っ越したいんだよねと言うようになったのは何か理由があるのだろうか。
光忠があの部屋に住んでからももう十年になろうかというのだから、まあ照明も壊れるのはやむなしだろう。
「電気屋となると車を出すか」
「ほかにも見たいものがあるから……」という光忠の希望で翌日は郊外にあるインテリアショップに足を運ぶことにした。
「照明を買いに来たんじゃないのか」
せっかくだからひとまわり見ていこうよという光忠の言うがままに、ソファーからキャビネットの類、ダイニングセットと見て回る。
そのたびに「ねえ長谷部くんはどれが好き?」と聞かれ、そうだなあと答えを返す。
「へーこういうのがいいんだ。ねえどこがいいの?」
「お前はどうなんだ?」
「僕も好きだよ。これ」
「お前ならあっちの黒いやつとかが好きかと思った」
「初めてうちに来た時も革張りのソファーとかあるのかと思ったって言ったよね」
そんな問答を何度も繰り返し、ベッドがずらりと並ぶフロアでついに俺は今日の目的は照明じゃないのかと「これ気持ちいいよ」と寝転ぶ光忠に思わず口にしていた。
「ベッドもさあ手狭になってきたじゃない?」
光忠がごろりと寝転ぶのはいわゆるクイーンサイズというやつだ。
長谷部くんも寝転んでみなよ。硬さがちょうどいいよ。
その言葉にしぶしぶ靴を脱いで乗り上げると、ごろりと横になる。
ふと横を見るといつもよりずいぶん遠いところに光忠の顔があった。
そうか。
光忠が使っているのはこれまた大学時代から使っているという一人用のベッドだ。
ゆったりと寝たかったからと選んだらしいセミダブルのベッドは、あたりまえだけど大人二人が並んで眠るようには作られていない。
いわゆる恋人と呼ばれる関係になって、まあそういうことをしたあと二人で眠ることがある……いやまあほぼ毎週のようにふたりで寝ているのだけれど、目が覚めるといつもぎゅうぎゅうと抱き込まれているから顔をあげると、すぐそこに光忠の顔がある。
甘い蕩けそうな瞳を間近に見て、頬が触れる距離で「おはよう」と言われるのがあたりまえになっていた。
「長谷部くんはどう?これよりももっと硬いほうがいい?それともふわふわしたほうが好き?」
「……わからない」
「じゃああっちのも試してみようか」
これはどう?あれは?といくつか試してみるけれど、どれもこれも光忠の顔まで手を伸ばさないと届かない。
そうか。狭かったのか。
光忠を近くに感じることができる今のベッドのままでいいとは言えなくて、でもなんだか少し離れようと言われているようで気持ちが塞いでいく。
「気に入ったのあった?」
「お前が気に入ったのにすればいい」
「だって長谷部くんだって……」
結婚するのだろう、いくつものパンフレットを手にした男女が「どれにする」と近づいてきて光忠は口を閉ざし、身体を起こす。
週末に泊まるだけの俺が決めることじゃない。
「お前の好きなのにすればいい」
「長谷部くん……」
気まずい空気が流れる俺たちにチラと視線が向けられるのを感じ、「まあまだ使えるしね」とごまかすようにふたりして立ち上がる。
「照明はあっちだぞ」
「そうだね」
そう言いながらも光忠はどこか未練を残し、なんどかベッドと俺に目を向けたあと「じゃあ行こうか」と歩き出した。
すっかり俺たちに興味を失くしたらしい男女は、さっきの俺たちみたいにふたりでベッドに横たわったふたりは「柔らかすぎない?」「気持ちいいじゃん」と顔を近づけあってクスクスと笑いあっていた。
「ねえ長谷部くん」
「なんだ」
「僕何かしちゃったかな」
「どうしてだ」
「なんか……」
広いベッドに寝転んだら遠く感じてさみしかっただとか、初めてのときに汗だくになってどうにか迎え入れたあのベッドに愛着があるだとか、そんなことを口にするのははばかられて「何もないぞ」なんて言えないだろう。
「でも」
「ベッド……買い換えるのか……」
「え?」
「いや、なんでもない」
「なんでもないことないよ。ちゃんと言って」
「睡眠の質は大事だから、お前が心地よいのが一番なんだが……」
もそもそと言い訳めいたことを口にする俺を光忠は急かさない。
いつだってそうだ。
結局「広いベッドはお前が遠くてさみしかった」と白状させられ、とたんにご機嫌になった光忠は「そっかあそっかあ」と何度も頷く。
天井からいくつもぶら下がる星型や、シャンデリアみたいなペンダントライトを背に光忠は「広いベッドでもひっついて眠ろうね」とにっこりと笑った。
いやそういうわけでは、まあそういうわけなんだけど……
「でもあんな大きなベッドお前の部屋に入るのか」
なんかやたらとご機嫌な光忠に何か言い返したいと絞り出したひとことに、そんなの問題ないよって顔をして光忠は「引っ越しすればいいでしょ」とあっさりと言った。
「もっと広い部屋に」
だから家具を見ていたのか?
「え?お前誰かと結婚するのか?」
「もう!どうしてそうなるの!僕たちの部屋でしょ!一緒に暮らす部屋に!あ!言っちゃった」
「あの長谷部くん、えっとあの」
一緒に暮らしませんか?