節分 真っ暗な玄関の電気をパチリと付けた。
「ただいまー。」
返事はないと分かりつつ、習慣になった挨拶は考える間も無く口から出てしまう。
今日、大寿くんは会食があるから夕飯はいらないし帰りも遅い。1人分だけ飯作るのも面倒なので、オレの夕飯は夕方過ぎて安売りされていた恵方巻き。海鮮美味そうだし、一本で腹いっぱいになるし我ながら良いチョイスだと思う。それにルナマナがいなくなってからこういう季節行事はめっきりしなくなったので、ちょっとわくわくしている。
手洗いうがいと着替えを済ませたら、ダイニングテーブルに恵方巻きとインスタント味噌汁、忘れちゃいけない缶ビール(500ml)をセット。
「いただきます。」
プルタブを引いてプシュッという良い音を聞いてから、缶のままぐっと煽る。大寿くんはいつもグラスに注いだ方が美味いっていうけど、今日の夕飯の雑多さはなんか缶から飲みたかったんだよな。
1/3くらいまで一気に飲み干してふぅと息を吐いた。
「あー...。」
背もたれに深く腰掛けると、やっとひと心地つけた気がする。
テレビを付けて適当にチャンネルを回す。一通り流し見した結果、特番だろうお笑い番組に決めた。ビールを飲んでいるといつもよりツボが浅くなって、時々声を出して笑ってしまう。オレはこういうたまの1人時間も結構好きだ。頭の中では、今日の会食は何を食べてるんだろうとか、このギャグ笑うかなぁとか、大寿くんのことばっかり考えてるんだけど。
ビールが半分ほど無くなったところで、そろそろ恵方巻きを食べようと準備を始めた。これって食べてる間は喋ったらダメなんだっけと朧げな記憶を辿って、笑い防止でテレビを消す。あとは決まった方を向いて食べるんだよな、確か。スマホに「えほうまき ほうがく ことし」と打ち込んで検索をかけると、今年は北北西らしい。なるほど分からん。寝室から朝日が差し込むから、その斜め後ろ向いとけば良いだろ。願い事は、まず健康。オレ達もう良い歳だし。あとは、大寿くんがこないだ出店した新店舗の繁盛祈願。大寿くんは今からは恵方巻きは食べられないだろうから、オレが代わりに祈っておこう。
環境も気持ちも準備を整えて、いざ恵方巻きにかぶりつく。美味い。いろんな海鮮が入ってて、口の中が楽しい。食べ切れるか不安だったけど、これならなんとかいけそうだ。もう一口食べ進めたところで、玄関の鍵が開く音が聞こえた。大寿くん帰ってきたのか、思ってたより早いな。
「ただいま。...三ツ谷?」
電気が付いているのに、オレが迎えに来ないのが不思議なんだろう。ごめん、今手も口も離せないんだ。おかえりと心の中で呟いた。
リビングのドアから覗いた大寿くんの顔はちょっと不審げだったけど、オレの姿を見て察したらしい。
「恵方巻き食ってんのか。」
喋れないのでうん、と首だけ動かす。
「そっちで方向合ってんのか。」
分からん、という意味を込めて首を捻る。話を聞きながら食べるのは中々難しくて、ちょっと待ってねと大寿くんの前に手を翳した。これで通じるだろ。大寿くんは心得たというように一度頷くと、オレの隣の椅子に座る。食べてるところ見られるの恥ずかしいんだけど。てかジャケット脱いでよめっちゃ良いやつだろそれ。
「...今日の会食、中華だったんだが。」
あろうことか、大寿くんはそのまま話し始めた。おい、さっきの頷きはなんだったんだ。思わず大寿くんを睨むけど、全く気にした風もなく話を続ける。
「デザートに桃饅出てきて、それが三ツ谷の尻に似てた。」
「...ふッ!」
全く予想してなかった話の展開に、思わず恵方巻きを吹き出しそうになる。しょうもなさすぎる。え、どうしたと隣の大寿くんを見ると、テーブルに頬杖をついてこっちを見つめていた。
「無視かよテメェ。」
凄まれる。あ、これ結構酔ってんな。大寿くんって酔っ払ってるからどうか分かりづらいんだよ。そういえばいつも香るオードトワレよりも酒臭さが勝ってる気がする。全くどれだけ飲んだんだか。
「なぁ、その恵方巻きと俺のとどっちが太いんだ。」
死ね酔っ払い。食べ終わるまでは徹底的に無視を決め込むことにして、それまで唯一の意思表示だった目も瞑った。人の食事中に下ネタぶっこんでくんじゃねェ。大体こっちはテメェの新店舗繁盛祈願して頑張って食ってんだぞボケ。
「...まだ無視かよ。お前好きだと思ったのに。」
いやオレのことどんなキャラだと思ってんだ。てか喋ったらダメなのわかってんだろ!無心で頬張ってると、肩にポスッと軽い衝撃が走る。大寿くんが寄りかかってきたらしい。今さらそんなことしたって絆されないんだからな!
「...帰ってきてから一言も声聞いてねェ。おかえりも、何食べたの?とかも。隣にいんのに。」
三ツ谷...。
すごく寂しそうに大寿くんが呟いた。絆され...ほだ...ほ...あーーーー可愛いなチクショーーーーー!てか気にしてほしくて下ネタ振るって小学生かよテメェ可愛いなおい!最後の一口を頑張って口に入れると、味噌汁で流し込む。大寿くんがそれを心配そうに見てきた。
「喉詰まるぞ、気をつけろよ。」
テメェが!そうさせてんだろうが!全てを胃に収めてから寄りかかっていた大寿くんの大きな身体をがばっと抱き締めた。
「もうーーーちょっとくらい待てねェのかよ可愛いなァおかえり!!」
「...ただいま。」
大寿くんが嬉しそうに擦り寄ってくるのがもう堪らなくて。数十秒前の絆されないぞ!って気持ちは綺麗さっぱり無くなってしまった。
食べてる間の大寿くんがあんまりにも寂しそうだったから、来年は2人で一緒に食べようとひっそりこっそり誓った。