夕顔「そんなに何でも出来て、お前は逆に何が出来ねぇの」
月明かりがベランダに差し込む。アイクの隣に陣取ったリアスは、涼し気な表情で煙草の煙を燻らせる彼を恨めしげに見上げた。
「何。僕のこと羨ましくなっちゃったの?」
掃き出し窓に身体を預けて立っていたアイクは少し茶化すような声色でそう言って、隣でしゃがむリアスの頭をグシャグシャと雑に撫でた。アイクがしゃがんで視線を合わせたことで、バチンと視線が合ってリアスは気まずそうに俯く。
「……別に。そういうんじゃない」
「ん、そっかそっか」
リアスの返答に、アイクはまたもやおかしそうに声を揺らしながら答えた。自分よりうんと小さな子供をあやすような言い方だった。彼の薄い唇から重たい煙が零れる。
自分はいつまで経っても、この完璧がすぎる男とは対等になれないのだろうか。整った横顔をチラと見て、リアスは宵の空気に小さく溜息を吐いた。
テールランプがピカピカと光りながら大通りを滑って行く。ビルの一番上の明かりがパチンと消えたのが、視界の端に映った。どこか別次元であるかのようなベランダからの景色をぼんやりと眺めていると、隣でアイクが口を開いた。煙で掠れても尚、甘くて優しい柔らかな声だった。
「……君が本当に辛いとき、そばにいてやれないことだよ」
「、え?」
「僕に出来ないこと」
思わずじっと見入ってしまった彼の瞳は、夜の海みたいに静かで、淋しげだった。丁寧に磨き上げられたような琥珀には、凛とした意志の狭間にほんの少しの陰りがあるようにも思えた。「よいしょ」と腰を下ろして、彼は続ける。
「僕は君じゃない。君にはなれない。何を思ってるか、何を抱えてるか、僕はすべてをわかってあげられない」
「薄ら腫れた目とか、ほんの少し跡が残った傷とか、ね」
リアスはそっと息を飲んだ。見られてなんかいないと思っていたからだ。文豪として名を馳せ、数多の人間と関わってきた彼にとっての自分の存在なんて、そう大きくはないだろうと思っていた。
「そっ、か」
「うん」
リアスはそれっきり何も言わなかった。アイクも、何も言わなかった。二人は暫くの間そうして、夜を眺めていた。
「まぁ、それが僕に出来ないことだよ」
先に口を開いたのはアイクだった。彼はリアスの頭をもう一度雑に撫でて立ち上がった。撫でられるのも触れられるのも苦手なリアスだったが、彼にそうされるのは不思議と怖くなかった。代わりにギュッと目を瞑って、下唇をちょっとだけ噛んだ。この手の喜びに、リアスはまだ慣れちゃいなかった。
「僕も知りたいな。リアスが出来ないこと」
カラカラと窓を開けて、振り向いた彼はそう言った。リアスは目を合わせないで、ただじっと足元のコンクリートを見つめていた。
ちょっと泣きそうになったなんて、言えなかった。
言えっこなかった。