熱と恋熱と恋
お前の手が好きだ。
お前の温度が好きだ。
世界で一番安心するから、世界で一番守りたいと思ったから。
幼い頃の初恋をずるずると引き摺り続けて、12年経った。
身体は成長したと言うのに、心は6歳の頃のまま、既にこの恋心というものは自覚はしたものの、手に余る程のそれを俺ははっきり言って持て余していた。
ふと視線を横へ流すと光に照らされたチェリーブロッサムの髪がきらりきらりと輝いている。
12年の月日と共に伸びていった柔らかそうな髪はゆるりとカーブを描いて腰まで伸びていた。
柔らかなマシュマロのような頬に手をついて眠そうに授業を聞いている。
いや、多分あれは聞いていない。半分は夢の中にいるであろうゆらゆらと左右に揺れる頭を誰にも気付かれないように手で口元を隠しながら横目で見つめる。
あー、可愛い。
語彙力の低下した頭でそんな事をぼんやりと考えていた。いつの間にか教科書は1ページ進んでいたようだった。
「じーなーん!」
元気が取り柄ですとばかりに大声で呼ばれて振り返る。
そこに立っていた、振り返らなくても分かっていた相手に心の中で笑みが漏れる。
全くもって、己で理解出来ないほどコイツを愛おしいと感じてしまうのは、12年の月日の賜物か、なんて思いながら顔を引き締めて何だ?と返した。
「見て!じなん!アーニャとうとう50点取った!」
「追試で50点はただのアホだばか。」
呆れながらも身体は勝手に動いていて丸い頭をゆったりと撫でる。
いつの間にかコイツの頭を撫でるという習慣が身についてしまったせいか、無意識のうちに手が伸びてしまっていた。
さらさらの髪の毛が少しだけ乱れるのを見て、手のひらを頭から持ち上げる。
「そんな事ないもん。じなんが教えてくれたからここまできた!まぁ?アーニャの実力でもあるけど!」
そう言ってふへへと少し気味の悪い笑い方をしながら半分丸のついたテスト用紙を見せてくる。
まるで、幼い子供が親に良い点を取ったテスト用紙を見せるような仕草に、じわりじわりと心が熱くなった。
人の心を弄びやがって。なんてそんな嬉しくて仕方がない自分に対して言い訳するように心の中だけで悪態をつく。
すると、柔らかな笑みを見せていたペリドットの瞳が下を向いた。
「50点、アーニャ、がんばったほう」
「ん、え、ああ。お前にしてはな。」
「じゃあ、じなんからご褒美欲しい」
「なんでだよ。俺お前の勉強教えた側だぞ」
「・・・だめ?」
ぎゅうっと心臓を締め付けるような痛みが走り、喉からこきゅっと変な音がした。
上目遣いでペリドットの瞳を揺らめかせ、俺の情けない顔を映していた。
そういうところ、本当、卑怯だ。
そう思いながら浅くため息をついて、何がいい。と聞いてしまう俺はコイツの瞳につくづく弱かった。
インペリアルスカラーが、生徒の模範が、街で買い食いをするなんて誰が想像できるだろうか。
流石に、とローブは脱いできたものの、寮生活が長く、あまり街に出る事もない為、所詮庶民の店というものも一人で入ることはない。
スキップする様にぴょこぴょこと先を歩いていくのを眺めながらきょろりと辺りを見渡した。
質が良いとはお世辞にも言えないようなディスプレイが並ぶ服屋や、カフェで談笑するマダム達をぼんやりと眺めてから前を見ると、振り返って手招きしていた。
「じなん!ここ!アーニャここのクレープ食べてみたかった!」
「へーへー」
気のない返事をしながら近づく。
心の中では愛しさと可愛さで頭の中がお花畑だ。
そう、俺の中では今、こいつとデート中なのだ。本人はなんともおもっていないだろうが。
そんな脳内お花畑の俺をよそにニコニコとどれにしようかなと指を刺して幼い子供のようにはしゃいでいる。
はっきり言って可愛さの権化だ。
そんな素振りを一切見せないよう顔を引き締めて早くしろよと悪態をついた。
クレープを買い、近くの公園のベンチで二人座る。
きしりと軽い音を立てて少し冷えたベンチがじわりじわりと尻を冷やす感覚に、あぁ、もうすぐ冬がやってくるのか、なんて感慨深げに考えていた。
安っぽい味のホットコーヒーを啜った後、美味しそうにクレープを頬張る姿を眺める。
口の端にクリームをつけて美味しい美味しいと喜んでいる姿に自然と視界が狭まった。
なんとなく口元が緩みそうになって、コーヒーのカップに口をつける。
苦みが強く、コクなんてどこにあるのかわからないそんな安いコーヒーが、なんだか特別なもののように感じて、それが隣に座っているコイツのおかげな気がして、じわりとまた胸の柔らかなところが熱くなった気がした。
「おいしかった!あざざますっ!」
いつのまに食べ終わったのかパッと立ち上がりこちらに向かって元気よくお礼を言ってくる。
口の端には未だにクリームが付いていて、ああ、もう。子供みたいだな、なんて心の中で笑ってハンカチをポケットから取り出し、柔らかな頬を傷つけないように優しくクリームを拭い取った。
「子供じゃないもん」
ポツリとそう言って頬を膨らます。
はいはい。と軽く返事をしながら、そういう所も愛しいと思ってしまう自分の末期さに苦笑する。
すると靴底で石を転がし、ジャリジャリと音を立てながら俯き拗ねてますというアピールを続けるのだ。
なぜそんなことが出来るんだ。お前俺をどうしたいんだよ。と思いながらコーヒーカップをベンチに置いた。
中身のないカップが緩やかな風に煽られ少し揺れカタカタと小刻みに音を鳴らす。
「わかったわかった。すまなかった。いじけんなよ」
「いじけてない。ただ、じなん、アーニャの事子供扱いしすぎ。」
「そんなこと、」
あるな。
と思って口をつぐむ。
いや、子供扱いされるような態度をとるお前にも責任はあると思う。が、それを言ってしまえば多分口喧嘩になりそうなので閉口する。
幼い頃だったら言い返してしまっていただろうが、先の展開を考えれば俺も学ぶというものだ。
無言の時間がなんだか気まずくてなんとなく視線を意味なく逸らした。
「・・・あーあ!怒るの飽きた!」
そう言ってニコッと笑い、俺の隣に腰掛けた。
ふわりと香るシャンプーの甘い香りにくらりとする。
未だにたまに見せるコイツの女の部分に、ドギマギしつつ、怒りが静まってくれたことへ少し安堵する。
「ね、じなん。手貸して」
「え、ああ。」
せっかく静まった機嫌を損ねるわけにもいかず言われるがまま手のひらを上にして、コイツの前まで肘を伸ばすと白く小さめなすらりとした指が俺の手に触れる。
「じなんの手、アーニャ好き」
「へっ・・・」
驚きのあまり肩が揺れる。
触れているところからじわじわと熱が交わるように俺の手が熱くなっていく気がした。
好き、という言葉に反応して顔中から火が出るぐらい熱いのは気のせいではないだろう。
「何度も、アーニャを助けてくれるこの手が好き。何度も、アーニャを撫でてくれるこの手が好き。・・・安心するから、大好き。」
そう言って俺の手の甲を頬ずりをするのをただ呆然と眺めていた。
柔らかな頬が何度も俺の骨張った手をすりすりと甘く摩る。
頬を染めて上目遣いで見つめてくるペリドットの瞳がじわりと熱を持っている気がした。
力を入れないよう壊れ物を扱うように細心の注意を払って、自分の元へと、細く柔らかな熱を誘う。
熱くなった頬に擦り付けて、喉が、声が震えないように口を開いた。
「俺も・・・お前の手、好き、だ。」
なんとか音になったそれ。呼吸をするのが苦しくなるほど心臓がけたたましく鳴り響いた。
「手、だけ?」
視線を上げた先にいたのは、あの頃よりも大人っぽく少しだけ意地悪な笑みを浮かべた、アーニャ・フォージャーだった。