片想いしてる上司の尻芸を披露されたら襲うしかない現パロリーマン尾月 目の前に、尻がある。
引き締まった男の尻だ。
色白で両側には尻えくぼがある。小ぶりだが鍛えられた、ずむっと質量のありそうな尻の間には水着が食い込んでいた。水泳競技などで穿く、面積が少ない、ぴったりと肌に張りつく紺色のスイムウェア。月島本人が少し足を開き腰をそらせて、光沢のある小さな布を握って食い込ませている。
水着以外は裸だった。
──夢だろうか。俺は幻を見てるのか?
密かに想いを寄せている上司が卑猥なポーズで、挑発的に……。
頬ずりして、キスをして、噛みたい。
もちろん尻を。それから全身を。この人が泣くまでしたい。
少し顔をよせると石鹸の匂いがする。清潔で、やさしい香り。洗いたての月島はこんな匂いがするのだ。
初めて知った。
心配そうな声が降ってくる。
「尾形……? 本当に平気か? 嫌だったらやめていいんだぞ」
「平気ですよ、エロいです」
「無理はするなよ──えろい?」
「ははぁっ、つい本音が」
「ここに入れるんだ。最初は二本でいくか」
「なるほど、二本。エロいですな」
「本当に大丈夫か?」
大丈夫なわけがないだろと叫びたかった。できれば無防備な上司の腰を両手でつかんで、後ろから下半身を押しつけて、前後にガックガク揺さぶりながら訴えたかった。
──大丈夫じゃねえ、何やってんだしっかりしろ。あんた正気か。
そして、この人だって俺には言われたくないだろうとは思った。
ことの起こりは今日の昼間、休憩中。
二人の感情は職場で交差した。
飲みすぎはよくないと思いながら、つい頼ってしまうのが栄養ドリンク類だ。
月島は苦い気持ちで口をつける。ちょうど部下が来るのが見えた。
「尾形、お疲れ。何を飲む」
「お疲れさまです。ありがとうございます、水で」
「スポドリも飲んでおけ」
どちらも素直に受け取った部下は礼を言い、壁を背中にしてずるずると座りこんだ。特徴的な髭のある顎を上げて、喉を鳴らす様子は男の色気がある。一気に半分ほど飲んで口を離し、いった。
「──月島さんにも隠し芸があるんですか?」
唐突な問いに、栄養ドリンクを飲む手を止めた。
「かくし芸?」
「忘年会のですよ。去年は中止になっちまいましたが、俺がここに来る前、一昨年まではやってたんでしょう? 毎回かなり盛り上がったんだと宇佐美の奴が教えてくれましたよ」
「ああ……宇佐美が、か」
そうか、と遠い目になる。
一発芸が禁止されたのはあいつが原因らしい。
おととしの社内忘年会。宇佐美はパオパオという下半身の一部をダイレクトに使った芸で周囲をドン引きさせ、強制的に酔いを覚まさせた。
相手役に取引先のエディという人物を連れて来ており、応戦したのがよくなかった。流れ弾が周囲に──いや、この話はやめよう。
菊田さんが必死に止めていたな。あの人も苦労人だ。──結局『発射』したがな。
宇佐美の興奮から賢者タイムまでの一連の表情の変化、あの恍惚を苦々しく思い出す。終わったあとはケロっとしていたのもよく覚えている。しかし忘れよう。忘年会だけに。などと尾形ならいいそうだな、よくわからんダジャレを、得意げに。
だが菊田さんに同情気味ということは俺はまだ常識人なのだろう。
鶴見は(あれは宇佐美だからこそできる芸当である。皆は真似しないように)と言っていたが誰も真似できないし、したくはない。
「隠し芸……、一発芸……腹芸、か」
「なぜ腹芸に行き着くんです。もっと他にあるでしょう」
立っている月島の横にヤンキー座りで腰を落とし、上目遣いでシャツの腰を引っ張った。
「やめろ……ッ、裾を出すな……っ!」
「もう無理です、ああ……出ちまいました。一応謝ります、すみません。それに一発と言わず何発芸でも構いませんよ、たくさんイッてください」
うさんくさい笑顔の頭に栄養ドリンクの瓶を置いた。額が熱っぽい気がする。こいつは何日自宅へ帰っていない? 俺は二徹目だ。
十分でも仮眠をとったら徹夜にはならないというカウント方法はどうにかならないか。実質、何徹目なのか自分でもよく分かっていなかった。
無表情を装ってシャツの裾をしまう。ぼんやりした頭で皺を気にしたが、どうせ皺だらけだ。ネクタイはどこかに行ってしまったし(そのうち出てくるだろう)、スラックスの折り目は消えかかっている。
(……鶴見さんが見たら顔をしかめるだろうな)
かろうじて髭は剃っていた。毎朝、職場のトイレで剃るのだ。日に日に人相が悪くなっていく自分自身をにらみつけながら。
「あんた少し休んだ方がいいです」
「……そうだな」
尾形は残りを飲み干し、容器を捨てて戻ってきた。
そういう彼も目に光がない。心なしかグラデーションがかかっている気がする。こういう生気のないのを何とか目というんだったか。
とにかく、楽にさせてやりたい。休息したいし、させたい。
この案件は今日で片が付く、いや、必ず片付けてみせる。
そうしたらこいつと、うまい飯でも──。
ふと思いついた。
「尾形、あったぞ。俺にも隠し芸が。今晩見に来い」
「急ですな。月島さんの家に? いいんですか」
「ああ。以前から披露しようと練習してたんだが……」
「……何かあったんです?」
「訳があって、人前には出せない」
しかしこいつには見せたかった。
なぜだろう、見せて、できれば褒められたかったのだ。
月島と尾形は、同じ部署で働く上司と部下だ。
それ以上でも以下でもない、はずだった。だが月島はいつからかこの優秀な部下に特別な感情を抱くようになっていた。自惚れでなければ、尾形も俺のことを……。
そんな、普段ならとても言えないことも疲労困憊の今なら伝えられる気がした。それはマズい、まず一晩寝て正気になってからあらためて考えろ、と忠告するいつもの月島はとっくにおねんねしていた。
正気がスリープ状態の月島は、若干、本能が剥き出し気味であった。
退勤後、尾形はスーパーに寄りたいと言った。あれこれ買い込んで会計で全額出そうとするのを阻止して支払い、ポイントカードも出した。
チェッカー台でエコバッグに商品を詰めていく様子を興味深そうにながめている。
「うまいもんだ、手慣れておられる。月島さんはすごいですね」
感心したようにため息をつく。
「仕事も人間関係も。あんたはなんでもできるんだな」
何でもはできない。月島がやれることなどたかが知れている。
しかしそのなかで何かしてやりたい、と思う。
お前が望むなら、できないことだってできる気がする。わかるか、尾形。
「……尾形?」
顔を上げると部下の視線はある場所に固定されていた。
スーパーのなかにあるアイスクリームショップだ。
「アイス食いたいのか」
「まさか、そんなはずないでしょう。ああいうのは子供が親にねだって買ってもらうもんですよ」
前髪を何度も撫でつけた。どうもこいつは素直じゃないところがある。
確か、スーパーの閉店時間より先にアイス屋は閉まってしまうのだ。急ごう。
「行くぞ」
重いマイバックを肩にかけて部下の手を握った。冷たい手だった。
「つきしまさん」
「俺に、ねだれ。お前におねだりされたら、俺はなんだって──」
──くり返すが月島は疲労と寝不足で若干本能が剥き出しになっていた。
そしてそのことに本人は無自覚であった。
まずかったのは尾形もまた疲労困憊状態にあり、通常の冷静さを失っていたという事実である。
「昔から重ねたアイスを食ってみたかったんです」
「ダブルでもトリプルでも、ノナプルでも重ねてもらえ」
「ノナプル……九段重ねですか。店員泣かせですな、お気持ちだけありがたく受け取っておきますよ」
尾形はそれぞれ違う種類のアイスクリームを四つ、注文した。箱にお入れしましょうかという店員の気遣いを断って「上に乗せてください。重ねて。容れ物はワッフルコーン、トッピングはレインボーチップ」はっきり伝える目に光が戻ってきていた。
アイス屋の横にあるベンチに座る。月島はホットコーヒーを買った。
尾形は味見をさせたがった。小さなスプーンで何度もこっちの口に運んでくる。
「奢ったなら責任持って味を確かめてください」
「なんだその理屈は……。ん、うまい。冬のアイスもいいもんだな」
「そうでしょう」
暖房で火照った身体に冷たい甘さが心地よかった。
「あったかいのも飲め」
「はい」
「うまいな、アイス」
「……はい」
部下の鼻の先は赤くなっていた。
月島の息は白かった。
溶ける甘さとコーヒーの苦さが口の中で混ざる。苦くて甘い。熱くて、冷たい。
なんだか尾形に対する自分の恋心に似ていると思った。
アイスを舐めながらも、尾形は月島の一発芸が気になってしかたがなかった。
(訳あって、人前には出せない?)
下ネタ系か?
いやしかし、宇佐美の隠し芸も相当だったと聞いている。
皆が視線を逸らし沈黙するなかで、三島はキラキラした目で詳細を教えてくれた。ちなみに下品だ下劣だ鶴見殿の部下でありながらと喚き怒るかと思っていた鯉登のボンボンが、固い表情で無言になっていたのが印象深かった。
やるな、宇佐美のやつ。
しかしあれが大丈夫だってことは、社内の下ネタに関する線引きはかなりゆるい。鶴見の趣向なのか上の意向かは分らんが、まさか、この人のはさらに過激なのか?
露出してしまうのか? あんなところやこんなところを、皆の前で。
(いや、見せたいんだとしたらどうする?)
月島さんあんたにそんな欲望が──。
知らなかった自分が腹立たしい。バカか俺は。こんなに魅力的な肉体を日々鍛え、維持しているのだ。誰かに披露したくなるのは当たり前だろうが。
尾形は決意した。ならば俺が見ればいい。褒めて、掛け声などもかけながら、全部、見てやる。
そうすれば満足したこの人は他でやろうとはせんだろう。
隠し芸は永久に封印される。
コーンを齧り終え、立ち上がった。心なしか身体が軽い。やはり糖分は必要だ。
「早く月島さんの家に行きましょう」
「シャワー浴びてくる」
「風呂入りたいんじゃないですか。どうぞごゆっくり」
「いや、すぐに見せたいからな。適当に座って待ってろ」
すぐに見せたいなんて、月島さん、あんた、積極的過ぎませんか。
ソファに正座してそわそわと待つ。聞こえてくる水音に否が応でも期待は高まる。身体を見せるのに、何か特別な準備が必要なのかもしれん。ムダ毛処理か? あの人が自分で剃毛を……?
「……できれば腋毛は残しておいてくださいよ」
雄臭く匂うようなエロさがあるだろう。
「尾形は腋毛が好きなのか。初めて聞いたな」
「おかえりなさい」
好きなのはあんた限定です。
「なぜソファの上で正座してるんだ」
「お構いなく」
ほかほかの月島は首回りと下半身にタオルを巻きつけていた。冷蔵庫を開けながら雑に首の後ろを拭く。
「何か飲むか」
「いえ」
「そうか。なら、やるか」
やってしまうのか。今さら胸がどきどきしてきた。スーツを脱いだ上司はなぜこうも魅惑的なのだろう。スーツ姿を知っているからかもしれん。
「これを使う」
割り箸? なぜです? 何か食うのだろうか。
月島は少し緊張しているようだった。
「……始めるぞ」
タオルを外した彼は、水着を身につけていた。裸だと思っていたら水着だった。意外性があり、焦らされているようでたまらないし、エロい。
「最初は二本でいくか。正確には二膳だが」
手にしたのは今さっき持ってきた割り箸だった。尾形は首をかしげる。
「まさか、これをあんたのお尻に挿入するんですか。痛いでしょう」
「尻に? ああ、お前何か誤解してるだろ」
誤解?
「水着を食い込ませて、割り箸を横から、入れるというよりは差し込むんだ。尻の割れ目と十字になるようにな」
「はあ……?」
「見たことないか? こうやって挟んで、尻に力を入れると──むんッ!」
パキッと小気味よい音がして割り箸は真ん中から割れていた。
「……すごい」
月島は照れくさそうに床に散らばった割り箸だったものを拾い集める。
「だが下品だろ」
「ははあッ、確かに上品ではないですが。俺は好きですよ」
「……いや、なぜだか、急に恥ずかしくなってきた」
「恥ずかしいんですか? 尻でわりばしを割ることが? それとも──」
身体を寄せて、ゆっくりとささやく。
「……俺にあんたの尻の強さを見せたことが、ですか?」
「どけ、尾形」
「どきません」
「嫌だろ、こんな力の強い尻なんて。最高で一度に五膳割ったこともある。あのときの俺はどうかしていた。──お前は怖くないのか。うっかり俺の尻をなでたら、指の骨を折られるかもしれない」
「それは」
つまり。
「俺と……尻をなでたりする行為を前提にお付き合いしてもいい、ということですか」
一瞬の間があった。
「俺はずっとあんたと──」
無理やり手首をつかんだせいで、月島が体勢を崩した。尾形の手はとっさに月島の尻へと伸びていた。
「やめろ!」