この儚い日常の中で ●
「キックボクシング辞めたってマジなの?」
「なんで? 心臓病 大丈夫なの?」
「学校辞めたりしない?」
……みたいなことを、閃はもっともっと聞かれると思っていた。
しかし――聞かれた数はゼロでこそなかったけれど、思ったより、皆、いつも通り接してくれた。それが閃にとっての最適解だと、不思議と知っているかのように。
――私立こがねが丘高校、昼休み、柔道場。
「オラァああ〜〜〜〜〜〜ッッ」
「うぅおおおおおおあああああ」
閃はレスリング部の友達とドッタンバッタン取っ組み合って遊んでいた。いかにオーヴァードといえども、取っ組み合い専門競技の強者と取っ組み合うと劣勢に追いやられる。閃は柔道もちょっとかじっているが、流石に、レスリングの地区チャンピオンは強いこと強いこと。
「ぜぇやアッ」
「うわあーっ」
最終的に足をすくわれ、畳に敷いてあったマットの上に仰向けに転がされる。まふ、と柔道部の汗をたっぷり吸った『香ばしい』においがした。
ハァ。ハァ。無言で身を起こす少年らの周りには、グースカ昼寝している相撲部と、「ヒロアカおもしれ〜」とジャンプを読んでいる柔道部が、目を向けることもしない。それぐらい、この取っ組み合いごっこは彼らにとって唐突に始まり唐突に終わる日常風景だった。
――寸の間の静寂。
「……おまえ心臓大丈夫なの?」
ぼつり、手の甲で鼻下の汗を拭うレスリング部の友人が問う。途端、銘々にくつろいでいた友人らの意識がそれとなく張り詰めた。
「ああ、――」
しまった、と閃は思う。「激しい運動は命に関わる」、なんて心臓の病は嘘だ。オーヴァード覚醒に伴い、円満にキックボクシングを引退する為のカバーストーリーであるがゆえ――それに則り、体育は全て教室で自習になっている。だから……友人らは「今みたいにじゃれあって大丈夫なのか」、と気遣っているのだ。
「ちょっとぐらいなら平気、短時間だけ軽く走るとかさ。長めの運動がダメなんだって」
「そっか」
レスリング部が明らかにホッとした。他の友人達もだ。
「ありがと」
いい友達を持ったな。閃は心からそう思う。――ゆえにこそ、オーヴァードであるという秘密、レネゲイドという衝撃の真実、心臓病の嘘を抱えなければならないことに、隔絶と罪悪感とを覚える。
できることなら打ち明けたい。皆に全て受け入れてもらえたら、どんなに心安らかか――だが、それは、駄目なのだ。母親に全てを伝えたことだって、UGNからすればかなりアウト寄りのグレーなのだ。レネゲイドのことは秘匿されねばならない。
「貴様は中世ヨーロッパの魔女狩り裁判を知っているか」――黄連支部長から言われたことが脳裏をよぎる。人は、未知に恐怖を覚え、狂い、攻撃を行うこともある。この薄氷上の日常を護りたいのなら、嘘を塗り固めなければならないことも、あるのだ。それが寂しくて、後ろめたくとも。
――飲み下そう、今は、暗い気持ちは。
いい友人に恵まれた、その現実を見よう。
「いつかきっといいことがある」を信じよう。
「今度のテスト期間さ、勉強見ようか。部活辞めたから勉強ばっかしてるし」
閃のその言葉に、少年達は「マジ?」「助かる」「頼むわ」と口々に言う。テスト前に誰ぞの家に集まって勉強会しようぜ、なんて、笑い合っていると、チャイムが鳴った。
そうやって今日も、この儚い日常の中で、風早閃は息をしていける。
『了』