子供でも猛獣は猛獣だしていうかほぼ体格は大人だし ●
「菊葉支部長、」
閃はあまり声に感情をにじませるタイプではないが、それでもある程度の日々を共に過ごせば、呼んでくる時のニュアンスで概ね何用かは察しがつくようになってきた。
で、この、期待と少し甘えるような、ワクワクとそわそわを含んだ、子供がおねだりをするような色がある時は――「碓氷先輩と手合わせがしたいです」、だ。
「ダメだからな」
黄連は即答する。3回ぐらいこの小賢しいノイマンに言い包められてしまったが、もうやられん。毅然としたノー。閃はロジックバトルこそしかけてくるものの(まことに小賢しいガキである)、強くノーを言えば素直に引き下がる。多少、シュンとするが。
「……はい……」
上げた顔をスッとパソコンに戻し、閃は秘書としての業務に戻る。
「これも仕方がないのだ」――と黄連は内心で独り言つ。あんまり閃をトウジに付き纏わせると、辟易したトウジの脚が支部から遠退く可能性もある。支部長として、そのあたりのマネジメントは大切なのだ。
まあ、閃の気持ちも分からんでもない。これまでずっと、土曜も日曜も毎日部活をして、くたくたになるまで鍛錬していたのだ。もはや日常だったそれがなくなって――体力と気持ちを持て余しているのである。
もしわしが白兵戦型のオーヴァードなら、多少は満足させてやれたろうに……と黄連は考えたが、いや、前言撤回、毎日毎日あの弩級体力が満足するまで「もう一本いいですか?」と組み手に付き合わせられ続けるの、嫌だな……。
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業務に一区切りがついたところで「トレーニングルームに行ってきます」と閃は執務室を後にした。
――戦闘型のオーヴァードは、こがねが丘支部には少ない。よって、トレーニングルームを使うオーヴァードもほとんどいない。
今日も誰もいなくて、ジャージに着替えた閃は小さく溜息を吐いた。仕方がないと思いつつ、体操とウォーミングアップをしてから、オーヴァード用の頑丈なサンドバッグの前に立つ。
「シッ――」
支部内のトレーニングルームなので、閃はハーフパンツ姿である。照明を反射する黄金の脚を、サンドバッグに叩き込む。ばむっ、と重いインパクトの音。
『貴様のレネゲイド衝動は闘争といって――』
『他者より強さを証明したい、そんな欲求が顕著な分類だ』
『呑まれると修羅に堕ちるぞ。その辺り、己を律することを忘れるな――』
支部長から言われたことを脳内で反芻しつつ、サンドバッグにあらゆる技を叩き込む。
衝動。オーヴァードが抱える業。呑まれてはいけないが、我慢しすぎるのもまた毒であるという。闘争は、幸いにして、殺戮なんかよりも満たしやすい欲求だ。
とはいえ――
(ほんとだったら今頃……部活してたんだよな……)
早く新しい生活に慣れねばと思うものの、ふっと、かつての日々が蘇る。リングが恋しい。おまえをブチのめしてやるぞというギラギラした目に見据えられて、拳が脚が飛んでくる、あの『箱庭』が懐かしい。
(折角オーヴァードになったんだし……強い人と戦いたいな……)
立て続けの技がサンドバッグにめり込む。鎖が揺れる。
(いやでも……しょうがない……みんな忙しいし……碓氷先輩だってご都合あるんだし……菊葉支部長や重里先輩は白兵戦は専門じゃないし……あんまりワガママ言って困らせちゃダメだ……)
ローキックからの、そのインパクトを支点にした高い位置への刈り取るようなハイキック。
『ねえ相手してよ』
『やだよー閃くん強いから楽しくないもん』
『でも……』
『稽古の後の居残りもヤダからね! 疲れるから!』
ふっ、と心をよぎったのは幼少期。まだ空手をしていた時代。小学の、中学年ぐらいだったか。高学年の子でも相手にならなくなってきて……強すぎてつまんないと敬遠されて……
『閃? どうした――また練習断られたって? ははは、強者の孤独ってやつだなぁ……』
父を、思い出していた。こっちは本気で困ってるのに、なんでか『いや〜閃は強いからな〜』と得意気な顔をしていて。『父さん真面目に聞いてよ』と怒ったら、笑って身構えてくれて。
『じゃ、父さんとやるか。来い、閃!』
……嬉しかったな……楽しかったな……
――父さん――……
「ッ―― だぁアッ」
肚から叫んで、サンドバッグへ飛び回転蹴りを叩き落としていた。過去を振り払うように。感情に呼応して纏う稲妻に、サンドバッグが破裂する――ざらざらざら、と中身がこぼれ落ちていく――
「はぁっ……はぁっ…… あっ……」
やってしまった。支部の備品を壊してしまうなんて。困った。モルフェウスシンドロームの職員に頼めば直してもらえるが、手間をかけてしまうし、この散らばった中身の掃除となると康平の手も煩わせてしまう。
「はー…… ふー……」
呼吸を整えつつ、立ち尽くす閃は、割れた砂時計の中身のように元には戻らない砂を、ただ見下ろしていた。
……そんな閃のしょんぼりとした寂しげな背中を、様子を見に来た職員が見つめていた。
閃はこの支部で最年少の、まだ子供だ。哀愁漂う背中を放っておけなくて、その職員は「風早くん」と呼んだ。
「組み手、付き合おうか?」
その職員は戦闘専門オーヴァードではないが、簡単な露払いならこなせる程度の技量はあった。
その言葉に――振り返る閃は、明らかに、目をキラキラさせていた。
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つけっぱなしにしていた休憩室のテレビでは、動物バラエティが流れていた。虎の子供が映されて、ころころとした子猫のような愛くるしさを振り撒いている。
「どんな猛獣でも子供の頃はかわいいもんですねえ」
なんとはなしにテレビを見ていた黄連は、部下職員のそんな言葉に振り返る。で、ギョッとする。
「き 貴様どうした」
職員は……なんかもう……ズタボロだった……それこそ「虎に襲われたんか?」というぐらい……。
「いやぁ……それが……」
かくかくしかじか。うきうきルンルンの閃にボゴジャガのズタンボロンにされました。
「私がもう少し強かったら……よかったんですけど……ね……」
バタリ。力尽きし職員。
……これはどうしたものか。黄連は医療チームを呼びつつ眉間を揉む。あの子供の猛獣をどうすりゃいいのだ。うまく飼いならしてやらねば欲求や衝動を発散できずに苦しめてしまう、かといって現状であの猛獣を満足させられる手段がなく。
しかしてそんな時だった――スマホにメッセージが。UGNからだ。支部間交流試合のお知らせ。ふと、黄連はこんな噂を聞いたことがあるのを思い出した――
支部間交流試合は、各支部で持て余している戦闘狂の戦闘欲求を満たす為にあるらしい、とか、なんとか。
……うむ、これだ。ひとまずはこれだ。もうほんとしょうがないしどうしようもないので、こがねが丘の支部長はその場で参加のメッセージを送るのであった。