祝福されし光の子 ●
スマホがメッセージの受信を告げる。
ポケットから取り出した端末には、母親からのメッセージが記されていた。
「ひーちゃん、もうすぐ誕生日だね♪
プレゼント何がいい?」
もうすぐ17歳で――体格なんかは大人と変わらないどころかそこらの大人よりも隆々としているのに、母親はいつも我が子のことを「ひーちゃん」と呼ぶ。閃だから、ひーちゃん。それは閃本人にとっては少しこそばゆいのだが――もう小さな子供ではないんだから――まあいいかと受け入れている。母親にとって、閃はどれだけ大きくなっても歳をとっても、大事な大事なかわいい「ひーちゃん」なのだろう。
学校からの帰り道。こがねが丘支部へ向かう道中。人混み、黄金の脚を隠して、普通の人間に紛れて歩きながら、端末を見下ろす閃の目は優しい。指先が言葉を紡ぐ。
「今度また帰るからオムライス作って
また日程決めたら連絡します」
――父を喪って。
あの一軒家に老いた母親を一人残していることに、負い目を感じていない訳ではない。本当なら母親の傍に居るべきなのだろう、息子ならば。分かっている。だけど。それをしなくていいと他ならぬ母親が閃に言った。
「転校しなくちゃいけなくなるでしょう。そうしたら、お友達みんなとお別れしなくちゃいけないでしょう。お世話になったUGNの人達とも離れてしまうでしょう。新しく作ればいいなんて思ってるかもしれないけど、深い縁って作ろうと思って作れるものじゃないの」
「ひーちゃん、あなたの方が未来は長いの。お母さんね、ひーちゃんの人生の支えにはなりたいけど、重荷にはなりたくないの」
「……ひーちゃんの幸せが、『私達』の望みだから」
その言葉に、閃は何も返せなかった。ノイマンの超常的な思考力があるハズなのに、俯いたまま言葉が出てこなくなった。何かを言おうとしては心が詰まって、……そんな息子を、母親は優しく抱きしめてくれた。小さな腕の中は、身体が大きくなっても、ひどく落ち着いた――。
「わかったよ」という母親からの絵文字付きメッセージを見届けて、スマホを制服のポケットにしまいつつ、閃は意識を回想から現実に戻す。目の前にはゴールデンダイナーがあった。今日の業務も頑張ろう。この、儚くも愛おしい日常を護る為にも。
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風早美弦――閃の血の繋がらぬ母親は、既読のついたメッセージから、窓越しの昼下がりへと視線を移す。『あの日』から……閃を見つけた日から、もう17年も経つのかと、月日の速さにしみじみしていた。
目を閉じれば今でも、昨日のように思い出せる……あの日……夫、風早光介と歩いていたら不意に聞こえた、か細い声……最初は猫か何かかと思ったが、明らかに違う、違った。そうして見回して、ゴミ捨て場に置かれていた小さなダンボール箱が目に留まって。それはガムテープで雁字搦めに……殺意で封をされた、あまりにも残酷な揺り籠で。
「この中から声がする!」
言うや、夫はダンボール箱のガムテープを剥がそうとして……あまりにも頑丈に巻かれて外れなかったものだから、直後に力尽くで箱を引き千切ったのだ。彼は格闘技をしているので他人より力は強くあったが、あれは間違いなく、火事場の馬鹿力だったと美弦は思う。
――かくして、中に居たのは……
まだ臍の緒のついている、裸の赤ん坊だった。
「かっ 母さんこれっ」
「あなた救急車呼んで、早く!」
夫にすぐさま指示をして、美弦は巻いていたスカーフを解いて赤ん坊を包み、抱き上げる。小さくて軽くて冷えて弱りきって、でも重みとぬくもりがあって、弱りゆく力を振り絞って泣いて……それは確かに、生きている命だった。
「大丈夫、大丈夫、もう大丈夫だからね……」
怖かったことだろう。寒くて暗くて心細くて、怖かったことだろう。小さな体を温めるように、安心させるように抱き締める。生まれた瞬間から死を願われたその命を思うと、美弦は涙が込み上げた。同時に、この子をなんとしても護ってやらねばと、思ったのだ。
――どんな苦難の暗闇も、閃光のように切り拓いていけるように、『閃』。
そうやって名前をつけた赤ん坊は、あと三年と数日で大人になる。それが美弦には……嬉しくもあり、少しだけ寂しくもあった。自分は決して母親にはなれないのだと諦めていた夢を叶えてくれた、愛しいあの子の笑顏を思う。
「さてと……そろそろお夕飯の支度をしなきゃ」
ゆったりと立ち上がる。今日という日常が、今日もまたつつがなく流れていく。
『了』