ちょんと一緒2ちょんと暮らして、数日が過ぎた。
観察していてわかった事は、ちょんは姿を変える事ができる。
手のひらに乗るくらいの大きさになったり、二つか三つほどの幼子の姿になったりしていた。
たまに、江晩吟が座学に来ていた時くらいの姿になったり、今の姿になったりする。
姿を変えるのは、彼の気まぐれで大体が幼子の姿で過ごしていた。
手乗りの大きさで一度頭に乗った事があるのだが、高かくて怖かったのかそれ以来その大きさで頭に乗ってこない。
修業の邪魔をしては来ないが、藍曦臣が雑念に囚われて苦しむとそばに寄ってきては慰めてくれた。
知識は、江晩吟そのもの。しかし行動が、子供っぽいのだ。
お腹が空けば、藍曦臣に食事をねだる。
一人でうまく食べれないのか口を汚したりぽろぽろとこぼすので、
食べさせてみたところ嬉しそうに食べていた。
それを見れば、藍曦臣も食事をするようになった。
修業のために五穀を断っている藍曦臣であるが、ちょんに同じ食事をさせることはできなかった。
しかし、ちょんは藍曦臣と同じのを食べたがった。
また眠い時に、寝ていた。しかし、藍曦臣の膝の上だったり、すぐ隣にいた。
夜になると、寝床を別に用意したはずなのだが寝台に入ってきた。その為、戻すのも諦めた。
悪夢にうなされて目が覚めた時、大人の姿で藍曦臣の頭をなでていた時にはさすがに驚いた。
たびたびそういう事があったが、雲夢の子守歌を歌っていた。
彼に、縋って泣いた事もあった。その時、驚いた様子に息を飲んだが頭を撫でつづけてくれた。
翌朝には幼い姿に戻っていて、礼を伝えたら首をかしげていた。
ちょんが寒室に訪れてから、寒室の扉を開けて濡れ縁に出るようになった。
膝に幼い姿のちょんを乗せて、陽に当たるように座る。
「にーに」
「何かな、ちょん」
「あっち」
江晩吟とは違い、つなたく身近い言葉で話す。
小さな指を、示した。そちらを見れば、嬉しそうな悲しそうな複雑な顔をした叔父が立っていた。
「叔父上。おはようございます」
拱手すると、短く「うむ、おはよう」と返してきた。
寒室に入ることを促すが、濡れ縁に腰を掛けただけで中には入ろうとしなかった。
「あー…なんだ」
「はい」
「幼いころの思追を思い出すな。そうやって、お前の膝に乗っていた」
「そうですね。忘機が、三年の面壁の修業の間は面倒を見ておりましたからね。
景儀も加わって……」
懐かしむようにちょんの頭をなでると、嬉しそうに藍曦臣の手を受け入れる。
「この江晩吟は、おとなしいな」
「らんせんせ、ちがう。ちょん!」
ぷくっとほほを膨らませて、呼び名を訂正させてくる。
驚いたようすの藍啓仁は、ちょんと藍曦臣を見比べた。
藍曦臣は、困ったように笑ってから頷いた。
「ちょんと呼ばないと、不機嫌になるのですよ」
「そうか、それは失礼したな、ちょん殿」
さすがに、江晩吟と分離したとはいえ宗主の名を呼ぶのを躊躇われたのか、敬称をつけて呼ぶ。
ちょんは「ん」と満足そうにうなづいた。
指を差し出すと、すんすんと嗅いでから小さな手でつかんだ。
「なつかれたご様子ですね」
「そうか?」
「せんせ、せんせ」
「私が師であった事を覚えているのか」
藍啓仁の指を弄っているのを見ながら、藍曦臣はうなづいた。
「ちょんには、江宗主と同等の知識と記憶があるようです」
「なるほど」
「ただ、彼が我慢してきた事を受け止めてきたからなのか、行動がいささか子供のようなのです」
満足したのか藍啓仁の指を離して、藍曦臣の腹に寄りかかる。
頬を挟むように揉むと、むにむにと柔らかい感触が指に伝わった。
「姿もいろいろと変わるけれど、妖魔の類でもない。
仙力も江宗主と同じなので、許される限り傍に置こうかと思います」
「曦臣」
「この子が、傍にいてくれたなら、大丈夫だと思います」
ちょんを傍においてから、藍曦臣は食事をするようになった。眠ることもできている。
手放しかけた思考を、再びつかむ事ができるようになった。
苦しむ事はあるけれど、それすら受け止めて向き合う事ができる。
今まで築いてきた培ってきた物をすべて疑う事はしなくていい。
人の善意しか見ていなかったけれど、含まれる悪意を見つめるようになった。
「人を疑うのは、辛いことですね」
「そうだな」
「四十年近くも私は、叔父上や藍氏の家規が正しいと思い続けてきました。
藍氏に恥じぬように、叔父上の誇りであれと生きてきました」
「……そうだな」
「申し訳ございません。もう私は叔父上の期待に添えることはできないと思います」
「……そうか」
きゅっと指をつかまれる感覚に、勇気を分けられているような気持ちだ。
「ですが、叔父上の教えを胸に、私は私の意志で私らしい藍宗主となりましょう」
「曦臣……では?」
藍曦臣は、大きく息を吸い込んで叔父に向き合う。
朝日に照らされた叔父は、瘦せていた。苦労を掛けてしまった。
「閉関を、解こうと思います。ちょんに、ちゃんとした食事を食べさせてあげたいので」
「そう、か。そうか」
藍啓仁は、口元を抑えてうなづいた。
「ご心労、おかけしました」
「よい、そなたの仙気は以前に増して落ち着いている」
「そう、思ってくだされますか?」
「勿論だ。ちょん殿のお陰だな」
藍啓仁は、ちょんのほほを優しく指で撫でた。
首をかしげているちょんに、その眼差しは誰を見ているのだろう。
しかし、すぐに顔を上げる。
「曦臣」
「はい」
「すぐに、宗主の任に戻る事は許可できん」
「なぜです」
「夜狩りやほかの感覚も取り戻してからだ」
はっきりと叔父に告げられて、藍曦臣は瞬きをした。
「ですが」
「江宗主は、変わりがいなかった」
「え」
「だから、一人で立たなければならないかった。しかし、お前は違う。
お前には、私も忘機もいる。長老もいれば分家もいる」
藍啓仁は、ちょんが傍にいることで藍曦臣は江晩吟と同じような努力をしなければと思うのではと危惧していた。
同じように焼き討ちにあったとは言っても、江氏とは違って藍氏は多くの一族が生き延びた。生かされた。
それゆえに、雲深不知処は歴史も知識も誇りも保たれた。
孤独になってしまった江晩吟とは違うのだ。だから、努力の仕方は違って当たり前だ。
曦臣の父が閉関した後、藍啓仁の負担は確かに大きかったし心に傷も負った。
けれど一族が協力し合って藍氏を支えて回した。
また曦臣の父も、閉関をしながら最低限の宗主の任務を行っていた。
藍曦臣は、親しい人の裏切りと自らその人に死を与えた。
ゆえに人を疑ってしまうだろうと、藍啓仁は推測していた。
だから、人を信じる心や和を重んじる心を再び取り戻してほしいと願う。
「曦臣、宗主というのは人を疑う事は必要だ。
お前らしい宗主というのならば、反対はしない。
けれど、今の藍氏宗主は和を重んじる事を忘れてはならぬ」
「はい、叔父上」
「まだ閉関を解くとは公表はせずに、夜狩りや監督をしてくれ」
藍啓仁は、立ち上がるとそのまま立ち去った。
立ち上がることなく見送っていると、食事を持ってきた内弟子に礼を言うと嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
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ちょんは、ふと目が覚める。
体の上に丸太でも乗っているんじゃないのかと思った。
「何日も続けば慣れてしまうな」
ちょんの姿は、今の江晩吟と変わらない姿になり隣の男を見つめた。
「今日は魘されてないな」
小さくため息をつくと体を起こして、藍曦臣の頭を膝に乗せた。
頭を撫でると、仙気を込めて子守歌を歌う。
異変に気付いたのは、初日の夜だった。
隣で泣き声が聞こえて、江晩吟は目を覚ました。
すると目の前には、分離した自分を抱きかかえて魘されながら泣いている藍曦臣が眠っていた。
五穀を断っているためか、もともと白かった肌は青白くなり頬はこけていた。
色づいていた唇はカサカサしており、艶のあった黒髪はパサついていた。
なにより目元は、隈ができていた。
久々に見たその人は、目に見えて哀れだった。
それから何日か経ってから、江晩吟は理解した。
江晩吟が、蓮花塢で眠ると雲深不知処のちょんの体に魂が移動する。
本体は眠っているためこちらでは夢を見ている状況で、体は休まっている。
しかし、難点なのは居眠りをした時もちょんの体に宿ってしまう。その度に、姿は今の自分に代わってしまうのだ。
居眠り程度のため言葉を発することはできない為、都合のいい夢のように藍曦臣に甘やかされた。
「見たいものだけを見るのは、誰でも当たり前なことだ。
俺も自分に都合のいい事しか考えてこなかったし、見てこなかった」
藍曦臣の頭を撫でながら、つぶやいた。
閉関したと聞いて仕方ないと思ったが、半年が過ぎ一年が経とうとした頃には『いいご身分だ』と勝手に腹立った。
しかし、初めてちょんの体に入った時に久々に見た藍曦臣に驚愕した。
あの藍曦臣が、やつれていた。
大事大事にされていたのかと思えば、本当に閉関の修業を行っていたのだ。
それなのに、安定していない強い仙気。このままでは、藍曦臣の体が保たないと簡単に推測できた。
江晩吟は、毎夜ちょんの体に宿っては子守歌を歌いながら仙気を安定させた。
ちょんは、江晩吟の感情と欲に直結しているために食事も促すことにも成功した。
外に出たいと言えば、寒室の濡れ縁までだが共に外に出て陽の光を浴びるようになった。
いつだったか、途中で目を覚ました藍曦臣が子供のように江晩吟に縋って泣いていた。
それがどうにも哀れで悲しくて、寄せる必要がないと思い込んでいた同情を向けた。
「あんたが、俺みたいになる必要なんてないんだよな。
環境が違う、条件が違う。だから、あんたはあんたの努力をすればいい」
江晩吟は、孤を望む。藍曦臣は、和を好む。
それにあの時と今は、状況が違いすぎる。
だから、考え方が違うのは当たり前で、努力の仕方が違うのも当たり前なのだ。
「そう考えられるようになったのは、今のあなたを見てからだ」