しとしと、と雨が降る渋谷。
暁人は霧に覆われ、人々が姿を消し、渋谷を救った日のことを思い出していた。
あの時も、狭い渋谷の中で各所で降ってたりしていた。照法師がいると雨が下から上に流れていっていたのは、霊障だとしてもちょっと幻想的で面白かった。
ふと、右手を見る。
あの時はKKの声が聞こえ、靄が掛かっていたが、麻里や父さんと母さんと別れ、鳥居を抜けた後に、彼も成仏したらしく靄もなくなり、彼は自分の中から消えていった。
右手が寂しい。
はぁ、とため息をつき、いつものように神社へと向かって歩く。
あの事件で着いた習慣だ。何となく手を合わせると、いいことがある気がして時間さえあれば、巡って手を合わせに行く。
暫く歩くと神社に着く。今日は凪いだ空気とは裏腹にザワザワとした空気だ。
またマレビトが出たのかと、裏に回ってみる。するとそこには---
「え、痩男…なんで…」
ぽつりと1人佇む痩男の姿があった。
あの時、消滅させたはずなのに何故?
暁人は右手にエーテルを纏わせ、何時でも襲われてもいいように準備をする。
頭の中で矢の本数を数える、行けるはずだ。
「おい、そこで何してる。」
声をかけると痩男はゆっくりと後ろを振り向く。来るか?と思われたが、相手はただ暁人をじっと見つめるだけで、襲ってくる様子はない。
そうやってこちらの油断の隙を狙ってるのではないかと思ったが、五分ほど見つめあっても、襲ってくるどころか、1歩も動かない。
「君は…何がしたいの?」
右手のエーテルはそのままに1歩ずつ近寄る。
痩男は動かない。
「未練があるの?」
彼も霊体と言うのならば、未練が残ってしまい留まっているのかもしれない。ならば、暁人は彼が浄化できる手伝いをしなければ。
「ねぇ、教えて?」
左手をゆっくりと差し出す。
すると、痩男はこたえる。
『暁人…欲しい…俺を…受け入れて欲しい…』
『アイツばかり狡い…俺も…』
アイツとはKKのことだろうか。
痩男とKKは身体と魂が分裂しただけだから、同じではないのだろうか。
でも、彼がそういうのなら違うのだろう。
差し出された暁人の手に自分の手のひらを乗せた痩男は少し頼りない気がした。
「いいよ…とりあえず、うちに来る?」
1人は寂しいんだ。そう笑うと、彼は頷いた。
そこから、痩男との生活が始まった。
と言っても、彼は何をする訳ではなかった。
ご飯を食べなければ、トイレにも行かないし、お風呂も入らない。
当たり前だ、ほぼ霊体なのだから。
身体があるだけの幽霊なのだから、食べ物なんて必要が無いのだ。
それでも、暁人は少量のご飯を準備し、
食卓につかせて、話しかけた。
KKのように、軽口じみた返事が帰ってくるわけではなかったが、1人じゃないことが嬉しくって、大学やバイト先での出来事を話した。
何となく、彼は聞いてくれてる気がして心地がいいのだ。じっとこちらを見つめられるのは恥ずかしい気もするが、それが彼のやりたいことなら、好きにさせていた。
でも、彼も少し遊び心があるらしい。
出来もしない家事を見よう見まねでやろうとする。そのせいで、洗濯機は泡だらけになったり、台所から凄い音がしたりと色々あった。その度に注意してやめさせて、結局彼は洗濯物を畳む係になった。
暁人は誰かと暮らしてる感じがして楽しい。
誰かを攻撃する訳でもない彼は、とても穏やかで、このまま住まわせても良いとさえ思った。
そして、慣れればスキンシップも取れるようになった。手袋を嵌めてる手を握ってみたり、仮面を外してみたりしたが、彼は怒ることはなく、ただ暁人の行動をじっと見つめるだけだった。暫くすると、痩男の方からもスキンシップを取ってくる。それは極稀にだが、暁人の存在を確かめるかのように、ぎゅっと抱きしめてくる。
彼も寂しいんだろうな。自分に受け入れて欲しいくらいなのだから。そう思って、暁人は受け入れた。
その瞬間は突然だった。
ゆっくりと寛ぐ、土曜日。
痩男は何か言いたげにじっと暁人を見つめる。なにかしたい時にする行動だ。
「どうしたの?何かしたいことある?」
言ってみてよ。そう促すように手を重ねる。
痩男は重ねられた暁人の手の上から、さらに重ね、こう言う。
『ありがとう…暁人…受け入れてくれて』
「こちらこそだよ。僕の事も、受け入れてくれてありがとう。」
『暁人…すきだ…』
「うん、僕も君が…KKのことが好きだよ…」
『…さよならだ』
痩男はキラキラと青い光に包まれ、跡形もなく消えていった。座っていたソファの上に手を置いてみたが、温もりはない。当たり前だ、彼はもう、この世のものじゃないから。
「傍にいてくれてありがとう…KK…」
もしあの痩男がKKだとしたら、彼が伝えたかったことだとしたら、そう考えてしまうと涙が止まらない。もう、傍には誰もいなくなってしまった。せめて彼がいてくれたら。
そんな、たらればを考えて消してはを繰り返す。
「待っててね、KK。いつか逢いに行くから。」
ぎゅっと右手を握りしめて、彼は1人今日も渋谷の街で生きていく。家族と相棒の誓いを胸にして。