軽い口づけ『軽い口づけ』
「頼むよ!な、一週間だけだからさ!」
「うーん、でもな…」
「頼む!伊月しか頼めないんだよ‼」
今、目の前で手を合わせ、頭を下げ、頼み込んでいるのは、大学からの仲良くしている友人の一人である。講義が終わり、次の講義まで図書室で暇を潰そうとしていた暁人は、突如、友人に捕まった。「頼みごとがあるんだけど」と、真剣な趣でお願いしてくる友人を無下にできず、まあ、少しだけならと立ち話をし始めた。話の内容は、サークルの合宿の所為で行けないバイトを、明日の水曜日から一週間、代わってほしいというお願いであった。現在進行形でKKの下でバイトのような助手のような立ち位置にいる為、バイトを代わるということに抵抗はないが。
「飲食店だったよね」
「おう、カフェのフロア担当」
「俺、やったことないんだけど」
「大丈夫だって、伊月、人当たり良いし、何だかんだ言って器用じゃん」
必死に頼み込む友人に次第に押されていく。
「でも…」
「コーヒーは店長とチーフしか淹れられないことになってるし、注文とるとか簡単な仕事だけだからさ」
「うー」
「一週間だけ!な、俺を助けると思って、今度、伊月が高いから頼むの躊躇してた食堂のスペシャルランチ奢るから‼」
「うっ、」
「なっ!一週間、デザート好きなの奢るから‼」
「こ、今回だけだよ‼」
「助かる‼」
廊下を走り去っていく友人を背に、決して、食に釣られたわけではない、困った友人をほっとけなかっただけなのだと、拳を握り締めた。
「(まあ、明日から一週間依頼は入ってこないし、いいか…)」
実は明日から一週間、KKは依頼で出張でいないのである。過保護なKKの所為で、彼がいない時は依頼を受けられない。前に一度、内緒で受けた時はお仕置きと言わんばかりに人前に出れないほど、ひどい目にあったのだ。
「(とりあえず、凛子さんには言っておこうかな…)」
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友人の代わりに入ったバイト先は思っていたより、シックな雰囲気で、ランチ時は忙しくあるものの、常連が多いのか、とても静かで居心地が良かった。ランチ前にシフトに入り、夕方の五時には上がる。店長に他のバイト仲間も、皆優しく、初めて飲食店をバイトする暁人に嫌な顔せず、指導してくれた。しかも、まかないは無料。そして、おいしいのである。
さて、今日も頑張ろう。更衣室のロッカーにボディバッグを置く。目立たない服なら問題ないとのことで、白のTシャツにデニムのまま、黒色の腰エプロンを身に着ける。歳老いた店長に挨拶をし、カウンター内に入り、仕事を始める。今日もランチ時は忙しく、気が付くと夕方近くになっている。
カラン、カラン、入り口に釣り下がっているベルが鳴る。
「いらっしゃいませ、おひとり…でしょ、か…」
「ああ、カウンター席で頼む」
メニューを片手に入り口へと向かうと、まだ出張中のはずのKKがいた。
「こ、こちらにどうぞ…」
ぎこちなく、カウンター席まで案内すると、ニヤリと笑ったKKがこちらを見ながら席に着く。
「……一日早くない?」
「あ”?たまたまな、早く終わったんだよ」
暁人からメニューを受け取り、ページを捲っていく。
「ブレンドコーヒー」
「ブレンドコーヒー、一つですね」
「ああ、おいしいの淹れてくれ」
「僕が淹れるんじゃないよ」
「なんだ、そうなのか?」
空腹ではないようでコーヒー一つだけ頼んでいく。片手で頬杖をつき、歯を見せ笑った。KKを背を向け、カウンターまで戻った暁人は店長に注文を伝える。
「(あー、良い尻してるなー)」
黒い腰エプロンからチラリとデニムに包まれたお尻が見える。これがチラリズムというやつか、と一週間、六日ぶりの暁人に癒される。本当は明日まで帰れない予定だったのだが、絵梨佳から暁人の腰エプロン姿の写真(盗撮)が送付されてきた為、即座に終わらせてきたのだ。
「(暁人の事なら何でも知っておきたいなんて、独占欲の塊だな…)」
いい年したおっさんが嘆かわしい。自身に呆れつつ、だがしかし暁人が悪いと責任転換し始める。
「どうぞ…」
「おう、ありがとな…」
芳ばしい香りを鼻で楽しみ、コーヒーを口に含む。程よい苦みに、深みのある味にこれは中々だと味わう。
「すいませーん」
「はーい」
遠くから、他の客の声に反応した暁人が小走りで向かっていく。コーヒーを飲みながら、脇目で様子を伺う。
「お兄さん、今日のおすすめって何?」
「今日はですね、こちらの日替わりカレーがおすすめです」
「うまそー、じゃあ、これにしようかなー」
静かな店内にテンションの高い声が響く。若い二人組の男のようだ。
「てか、お兄さん、可愛いね」
「名前なんて言うの?」
「あ、いや、その…」
どうやら、暁人目当ての客のようで、今時そんなナンパ流行るかという決まり文句を口にしている。まさか男の自分がナンパなどされるとは思っていない暁人は、たじろいでいる。
「ねー、いいじゃん!」
「てか、連絡先教えてよ!」
「ま、ちょっと…」
ナンパ男の一人が暁人の手を掴むのが、KKの目に映る。
ガタッ
残っているコーヒーを一気に喉に流し込むと、勢いよく席を立つ。
「おい、やめろ。迷惑がってるのがわかるだろう」
「KK⁉」
「な、何だよ…」
「あ、あんたには関係ないだろ!」
早歩きで近づき、暁人の隣に並ぶ。厭らしく掴む汚い手を払いのけ、男たちを睨みつける。KKの威圧感にたじろぐも、引かずに反論する。暁人と出会ってから、幾分か柔らかくなったKKなら、見どころあるじゃねぇかと感心するが、今日は特に心が広くない。
「関係「ある!」」
突如、大声を上げた暁人にその場にいた皆、注目する。
「ぼ、僕の彼氏だから!」
そう、叫ぶと、KKの頬に口づける。軽いリップ音が響いた気がする。
「……」
「……」
顔を林檎のように真っ赤にした暁人が俯き、震えている。
ゴーン!ゴーン!室内にある古い柱時計が五時の知らせを届ける。
「じ、時間なので、帰ります!」
熱が籠ったままの顔を上げ、エプロンを外しながら、更衣室にかけていく。バタンと大きい音と共に、ボディバッグを手にした暁人が室内へと戻ってくる。
「そ、それじゃ、お疲れさまでした‼」
カクカクとぎこちなく挨拶をすると、入り口から飛び出していく。
「……」
暁人の突然の行動に固まったまま動けなかったKKは、ふと我に返る。
「代金、ここに置いてく、釣りはいらない」
千円札をパンツの尻ポケットから取り出した財布から抜き取り、カウンターへと置くと、即座に暁人の後を追い始めた。
「暁人‼」
静まった店内が更に静まり返る。
「青春ですね…」
店長の一言に、店内にいたバイト全員がうなづいたのであった。