友人に片想いがバレて行方を眩ませたモブMとそれを捜索する友人Cと巻き込まれた超畏怖い高等吸血鬼D 金曜日の夜の居酒屋は人で賑わっている。華金、と言うらしい。
夜でも明るく騒がしい店の中で、窓の外が一瞬ピカッと光ったのをクラージィは見た。後で知ることになるのだが、この時自分達のいた店からほど近い大通り、夜の歓楽街の中心部で、退治人から逃げようとしていたヨセフが笑い転げながら大規模な催眠波を撒き散らしていたらしい。お陰で酒場の賑やかな注文風景は一瞬で週末の性癖大博覧会へと変わってしまった。
カウンターに座る濃い髭面の黒人は何故かそのまま趣味趣向を熱弁し始めているし、別の草臥れたスーツの青年は楽しみにしていた酒を頼むに頼めなくなってか静かに男泣きを始めている。阿鼻叫喚となった居酒屋の隅で、ここでもひっそりと大事故が起きていた。ーー最もこれを事故と呼ぶのだとはあとから吉田から聞いて初めて知ったのだが。
「すみません生3つとあと"初めて見る物の使い方を教えた時にいつでも新鮮に驚いて褒めてくれる拙い片言"、」
「あ」
「ハ?」
「 ゜」
スムーズに3人分の注文をしてくれようとしていた三木が片手を上げたまま固まった。注文のすぐあとに奇妙な言葉が続いた気がする。なんだろうか。何かを察した顔をしている吉田の隣で首を捻ったクラージィの口からは気の抜けた声が出た。その後に聞こえた風が鳴るような音は、もしや三木の声だったのだろうか。いずれにせよ注文が終わったと受け取ったのか、伝票を持ったままの年若い店員が「優しくよしよししてくれるエッチなお姉さん!」と威勢よく答えてから膝から崩れ落ちていた。注文の後によく聞く、『カシコマリマシタ』という挨拶をしようとしたのかもしれない。
沈黙が落ちる。
賑わいと奇妙な空気の中で、三木が静かに手を下げる。暫くすると慣れた様子の別の店員からジョッキが3つ、クラージィ達のテーブルに届けられた。三木は運ばれてきたジョッキを一息で空け、器用にもジェスチャーで用を足しに行くと伝えてきたのでクラージィ達は笑顔で頷いた。
彼はそのまま帰って来なかった。
マンションにすら帰る様子を見せなくなって、もう2週間に差し掛かろうとしている。
「カクカクシカジカデ、三木サンの行キ先、知ラナイデスカ、ロナルドサン」
「エッアッすんません何ですか!?ごめんなさい俺なにか聞き逃したんですかね!エーン本当にすんませんもう一回教えてもらっていいですか!」
「ナ、ナニ…?」
「あー、勝手にネガ思考に走って早口になって引かれているロナ造を眺めているのも面白いんですが、部屋のど真ん中でデカい二人に立ち往生を続けられていると買ったばかりのクソゲーを満喫できないので早急に退いていただけませんかねブェーーッ!スナァ…」
クラージィの目の前で動揺した様子で泣き出した退治人の青年が、ひょっこりその後ろから顔を出した同胞を塵にした。力を貸してもらえないかと思って以前世話になったこの事務所を再び訪ねたのだが、彼等の怒涛のような掛け合いには未だ圧倒されてしまう。
砂から復活したばかりの同胞が、「カクカクシカジカは説明を省略できる魔法の言葉ではないので若造はともかく私には状況を説明していただけると助かりますな」と教えてくれた。まさに魔法の言葉だと吉田から教えてもらったのは私の覚え違いだったのか。私はしばし衝撃を受けたが、思い返せばあの時三木が曖昧に苦笑していたのはそのせいなのかもしれない。三木の顔を思い出すとやはり先日の出来事が脳裏に浮かんだ。
「三木サン、連絡ツキマセン。私、三木サン探ス、シテマス」
「ああ、それで俺ですか」
「ハイ」
覚えた単語を繋ぎ合わせて説明した一連の経緯に、青い瞳は真剣にこちらを見て真摯に聞いていた。三木は退治人も兼務している。ギルドならば彼の尋ねれば彼の所在も分かるかもしれないと思ったが、クラージィは今は吸血鬼だ。不用意に入れば混乱を招くだろう。退治人の青年なら協力して貰えないだろうか。そういったことを、時にはドラルクの通訳も交えながらクラージィは語った。そういうことなら、と先程まで泣いていたのが嘘のように彼は笑って頷き、ギルドへの口利きを快諾してくれた。心優しい青年だ。
『ああ、三木さんですか。たしかにその日の翌日に一件下等吸血鬼の駆除任務を依頼しましたが…。そちらはその日には完了していて今は頼んでいる任務はありませんね。見かけたというのも聞いていません』
口髭を申し訳なさそうに萎ませたマスターは画面越しにそう言った。ビデオツウワ、というのは便利な物だ。電話は知っていたが、まさか画面に人の姿が映り喋り出すだけでなく遠方の人間とまるで対面しているかのように話ができるとは。少々驚いて危うく画面ごと拳で割り砕くところだった。慌てたロナルドに押し出されたドラルクがその勢いのままタブレットを押し除けたので破損は回避されたが、代わりに机の角に足を強打したドラルクが塵になりアルマジロが泣いていた。本当にすまないと思う。
『お役に立てず申し訳ありません』
「イイエ。アリガトウゴザイマス、マスターサン」
「今営業中だったんですよね、すみません」
『いえいえ、今はお客様もいませんから大丈夫ですよ。それにしてもフフ、三木さんにそんなことが、フフッ、ああいえ失礼、見つかるといいですねえ』
「…?ハイ!」
通話が終了する。妙にあたたかい微笑みだったが、きっと気遣いの笑みだろう。アリガトウゴザイマシタ、と再度礼を述べた私の肩を、とんとんとドラルクに叩かれた。
「残念でしたな」と語るのは今は懐かしい私の母国語だ。ヌヌー、と彼の腕の中でアルマジロが私に向かって片手を挙げる。元気を出せと言ってくれているのだろうか。仕事場の猫達に負けず劣らず愛らしい仕草に心が和む。ありがとう、と小さな手に握手をする。「ところで、」と続いた声に顔を上げると至近距離にいたドラルクが好奇心を隠しきれない顔をしていた。
「先程から気になっていたのですが、行方不明のご友人を探しているにしてはずっとニッコニコ…と言いますか、やけに嬉しそうですな?」
「それはそうだろう。素晴らしい友人が、私を好ましいと言ってくれたのだ」
「は?」
ドラルクが眉を吊り上げて口を開けたまま固まった。
何かおかしなことを言っただろうか。首を傾げつつ、私はやはりあの居酒屋での出来事と彼の言葉を思い出した。ついフ、と笑いが漏れる。
「ヨセフの催眠とはそういう類のものなのだろう?最初こそ私のことだとは分からなかったが、後から考えればおそらく、あれは私の事を言っていたのだと思い至った。友人に好意的に思われて嬉しくない者はいないだろう?」
「タイム!」
ドラルクが高らかに叫んだ。アルマジロと顔を寄せ合い相談事をしているようだが、えっどっち?ねえジョンどっちだと思う?と小声で話すのが丸聞こえだった。やはり何のことか全く分からない。困惑する私と目が合ったからか、ヌヌン…、とドラルクのクラバットを背にしたアルマジロがおろおろと悲壮な顔をしていた。
「えっなになに何の話です?訳せクソ砂」
「ォァーーーッ嫌じゃ!」
「何でじゃ!」
青年が横から顔を出したかと思えば、非常にテンポよく拳が入りドラルクがまた塵になった。塵から元に戻りながら、変にこっちが口を滑らせてギクシャクさせたりなんぞしたら後から親馬鹿歯ブラシ髭にネチネチ嫌味を言われるに決まっているからじゃ!意味分からねえよ!などと言い争っている。よく分からないが私の発言が原因ならば仲裁するべきではないだろうか。クラージィが戸惑っているうちに、怒ったアルマジロに諌められて二人とも何故か渋々仲直りの握手をしていた。互いに顔が引き攣って強烈な形相になっていたのだがそれで良いのだろうか。クラージィには分からないが良いのだろう。
見守るアルマジロの満足そうな顔に先に情緒を落ち着けたらしい青年が、ああ、相談に来てくれたのにすみません、とソファに座り直した。こうして見ればきちんとした好青年なのだが…人も吸血鬼も一面だけでは計りきれないものだ。
「それにしても、あの人…三木さんを探すのって結構大変じゃないですか?俺なんかはそこにいるって分かってても一瞬気がつかなかったりとかよくあるんですけど」
「ソウデスカ?」
私は首を捻る。ドラルクが細い人差し指をピンと立てて閃いた、という顔をした。
「近場を探していてもすでにこの街にはいないということもあるでしょう。遠方へ行った可能性もあるのでは?」
「イイエ。ソレ、ナイデス。
ミキサン居ル場所、近クニイレバ、分カリマス。ナントナ、…ク?ナントナク。デモ、遠目デ三木サンイル思ッテ行ッテモ、着クシタラ、モウイナイデス。三木サン素早イ…。メタルスライム…」
「メタルスライム」
「見つけにくさと素早さはメタルスライムかもしれませんがシンヨコでの実際のエンカウント率的には通常スライムの方が近いのでは?」
「ねえ俺の分からない話しないでくんない!?」
そう、クラージィもこの事務所へ来る前に三木を探してはみたのだ。三木が帰っていないと発覚してから最初の1週間こそ吉田に「あー、探すのはちょっと…まだそっとしてあげた方がいいんじゃないですかね…」と止められていたが、幾日経っても全く家主が帰る気配のない隣室に吉田からGOサインが出た。クラさん、行っちゃってください。と笑顔で許可を貰った時の顔は何故か少し怖かった。
「近くに行けば分かるってことはシンヨコ内にはいるってことなんですよね?」
「見間違いでは?他人の空似とか。ほらモブ顔ですし彼」
失礼な事言うなクソ砂!煩いわ可能性を提示したまでじゃゴリラ!とまた口論が始まったが、アルマジロが可愛らしい手を差し出してヌヌー、と先を促してくれたのでクラージィも頷いて続けることにした。
「ハイ。アー……遊園地、クレープノ屋台、バーゲン会場、新シイカフェ、ドウ…動物園?アト他ニモ色々行キマシタ。ミンナ三木サン少シ前マデイタ、ナノニ、逃ゲラレマシタ…無念デス」
「ほんと手広いなあの人。逆に何が出来ないんだ…」
※続きます ドラドラちゃんの巻き込まれパートまで行ければいいな