8 -第二章-副官は痛む胸を押さえ、床に倒れ込んだ。
…今日は危なかった…。
いくら将軍が銃の扱いに慣れているといっても、老齢の身かつ前線を退いて長い。いつ手元が狂って、防弾ベストに覆われていない部分に弾が当たってもおかしくないのだ。弾が貫通せずとも、被弾の衝撃はベストを伝い、ダイレクトに体を襲う。
「今日のドラコルルへの非礼はなんだ?」
かはっと苦しげに息を吐く副官を、ギルモアは冷たく見下ろした。
「…申し訳…ありません…」
ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返しながら、副官が声をしぼり出す。
「謝罪が聞きたいわけではない。客人すら、もてなすこともできんのか?」
ギルモアは床に倒れ込む副官の顔の下に足を入れた。つま先を使い、顎を上げる。
「しょ、将軍…」
副官は目に涙を浮かべながら、目の前の男を見上げた。
「…もう無理です。自分に副官職は務まりません。どうかこの任をお解きください…」
「ならん」
即座にギルモアが答えた。
「無能な貴様に、唯一あるのはその恵まれた体格だけだ。今までに何人か副官は置いたが、6発全て受け止めて、意識を失わなかったのは貴様が初めてだ。お前にはずっと副官でいてもらう」
落とされた言葉に、副官はただ絶望することしか出来なかった。
「結果はどうだった?」
ドラコルルは本部の鑑識官に問うた。先日、ギルモアの元に赴いた際、副官が淹れた紅茶を拭いたタオルの解析結果が本日出たのだ。
「ご心配なさるような成分は何も入っておりませんでした。ただの紅茶です」
鑑識官は、そう答えるとドラコルルにタオルを手渡した。鑑識官の言葉に、ドラコルルは安堵した。
今回は大丈夫だったとはいえ、やはり自身は毒物を盛られかねない立場であることを再認識させられた。決して良い気分ではない。
「ただ、一つ気になることが…」
ふと告げられた鑑識官の言葉に、ドラコルルは視線を向けた。
「なんだ?」
「…ごく微かですが、硝煙の反応が見られました」
ドラコルルは目を見開いた。
「硝煙だと?」
「ええ。ご存知かと思いますが、かつて銃は火薬の入った金属製の弾丸を、銃身にこめて使用していました。銃身から弾丸が発射されると、火薬によって生じた硝煙が衣服等に付着します。これが銃が使われたことを示す証拠となります。熱光線銃が主流の現在、弾丸の入った銃はめったに見られないのですが…」
鑑識官はドラコルルを見つめた。
「…ご年配の方の中には、昔から馴染んできた実弾入りの銃を好んで使われる方が、たまにですがいらっしゃいます。このタオルは将軍の執務室から持って来られたものですよね?」
「………」
鑑識官は黙ってドラコルルを見つめている。彼が何を言いたいのかを理解したドラコルルは、静かにその場を後にした。
執務室に戻ったドラコルルは、執務机の上に鑑識官から受け取ったタオルを置いた。椅子に腰を下ろし、自身のホルスターに装着された銃に目をやる。
『なんだこの銃は!!ちっとも当たらぬではないか!!』
『技術部が新たに開発した熱光線銃です。殺傷能力は実弾と同等、かつ軽量化にも成功しています。発射時の腕への負担も少なく、弾切れの心配もありません』
『どうりで当たらぬはずだ!無駄に軽量化しおって!!感覚がまるで違う!!』
かつてギルモアと交わした会話だ。もともとギルモアは好んで軍刀を使用していたが、銃の腕も決して下手ではなかった。だが、長年馴染んできた実弾入りの銃とは違う感覚に戸惑い、熱光線銃が開発された現在も昔ながらの銃にこだわりを見せていた。
ドラコルルは、執務机に置かれたタオルに改めて目を向けた。
…将軍の部屋にあったこいつから硝煙反応が出た以上、間違いなく、ここ数日の間に将軍は銃を撃っている。だが、何を撃った?
ギルモアの執務室へは何度も訪れているが、もちろん銃痕などは確認していない。掃除は常に行き届き、家具も調度品も整然と並べられている。おそらくはあの副官がしているのだろう。………副官?
ドラコルルは数日前の副官の様子を思い出した。
こわばった顔。震える手。頻繁に交換される防弾ベスト。
ドラコルルは目を見開いた。全ての事柄がある事実を示している。ドラコルルは口元を歪ませると、静かにつぶやいた。
「…なんとも惨い…」
「…先日は申し訳ありませんでした」
ドラコルルをギルモアの執務室へ案内しながら、副官はしょんぼりと頭を下げた。
「気にしなくてもいい。あの後はどうだった?」
ドラコルルが問うた。
「ドラコルル長官のおっしゃる通りでした。もちろんお叱りは受けましたが、話半分でやり過ごしましたよ」
笑顔で副官が答えた。
…まるで、用意していたかのような答えだな。
ドラコルルはニヤリと笑った。
副官の着ている防弾ベストのナンバーは先日とは違うものになっている。忠誠心はあるが、あまり頭が回るほうではないらしい。自分が将軍からどんな仕打ちを受けているか話す気はないようだ。
「副官」
ドラコルルは廊下に立ち止まると副官に呼びかけた。
「私と将軍の会談内容について、将軍は君に何か話しているか?」
「……いえ」
副官も立ち止まった。
「何かの計画を立てておられることは分かるのですが、いつも紅茶をお出ししたら、部屋から出て行くよう言われますので…。ドラコルル長官があまりにも頻繁にお越しになるので、気にはなっているのですが…」
「私が教えてやろうか?」
ドラコルルの言葉に副官は目を見開いた。
「クーデターの計画についてだ」
「クーデター?!」
副官は大きな声をあげて目を丸くした。幸い廊下には誰もいない。
「パピ大統領が、軍縮をすすめていることは知っているだろう?軍出身の私としては、とてもではないが、容認できるものではない。あんな子どもに国防について語られることだけは耐えられん。そこで、あの大統領から政権を奪い取ろうと考えたわけだ」
ドラコルルは続けた。
「政権を奪い、ピリカを他国の脅威にも屈しない強い国にする。それにはどうしても、軍のトップである将軍のお力が必要になる。だから、何度もここに来ているというわけさ」
「…そ、それは将軍も賛同なさっているのですか…?」
副官は動揺しながら、ドラコルルに質問した。ドラコルルの発する一つ一つの言葉が信じられないといった様子だ。
「いや」
ドラコルルが答えた。
「むしろ逆だ。クーデターなどとんでもないと今も迷っておられる。私としては、説得に時間がかかり、実にもどかしい思いをしている」
ドラコルルの言葉に副官はホッと安堵した。自分に対する仕打ちはともかく、やはり一国の将軍だ。武力についての最低限の倫理観は持ち合わせていた。
「そこでだ」
ドラコルルがニヤリと笑った。
「君の力を貸してくれないか?」
「え?」
ドラコルルは懐から、何かを取り出した。手のひらにのるほどのそれは、いわゆる薬包紙と呼ばれるものだ。器用に三角の形に折り畳まれたそれをキョトンとする副官に渡す。
「これは…?」
「毒だ。即効性のな」
「?!」
思わず副官は薬包紙を落としそうになった。動揺する副官にドラコルルは笑みを浮かべながら告げた。
「この後はいつものように、私と将軍に紅茶を淹れる予定だろう?将軍の紅茶にこれを入れろ」
「!!」
副官は自身の顔がこわばっていることを感じた。薬包紙を持つ手は震えている。
「このままでは、ピリカに未来はない。だが、いくら説得しようが、将軍は今なお首を縦におふりにならん。クーデター成功の暁には皇帝の座を約束すると申してもだ。将軍の了承が得られぬ以上、私にはどうすることもできん。ならば死んでいただくほかあるまい」
副官は言葉を失った。しかし、そんな副官の様子を気にすることもなく、ドラコルルは続けた。
「将軍さえいなくなれば、軍のことは私が全て掌握できる。まぁ、クーデターの決行後はただのお飾りとして君臨していただくだけだったゆえ、将軍の存在に大して価値はない。君が協力してくれるのなら、君には相応の地位を用意しよう」
そこまで話し、ドラコルルは副官の反応を伺った。副官は手のひらの薬包紙を見つめながら、黙ったままだ。
しばらくの沈黙のあと、副官は肩を震わせ、声をしぼり出すように口を開いた。
「お、俺がそんなことを引き受けると?俺を見くびらないでください…!俺はギルモア将軍の副官ですよ…!!」
そう言い、副官はドラコルルを睨みつけた。断られることは想定内とでもいうように、ドラコルルは嘲笑いながら、次に用意していた言葉を告げた。
「君は私が何も気づかないとでも思っているのか?」
その言葉に副官が目を見開く。
「将軍が君にひどい仕打ちをしていることはお見通しだ。いくら防弾ベストを着用しているとはいえ、被弾の衝撃は凄まじいだろう?」
副官は絶句した。先日、防弾ベストのナンバーが頻繁に変わることを、ドラコルルに問われたときから嫌な予感はしていた。この男に、ごまかしなど一切通用しないのだ。
「自分の副官を人とも思わない上官の存在など、いらないと思わないか?私に協力すれば、君を今の環境から解放することができる。よく考えることだ」
そう言うとドラコルルは、再び歩き始めた。
ドラコルルの背中を見ながら、副官はその場に立ち尽くした。恐ろしいクーデターを企てんとするピシアの長官。ピシアは平和を謳っているが、それは表向きで、内情は全く異なっていた。
ドラコルルは将軍の力を利用して、軍全体を掌握しようとしている。その将軍が使えないと判断すると、あろうことかその殺害を自分に依頼してきたのだ。
ー非道な…!!
副官は拳を握りしめた。持たされた薬包紙がぐしゃりと音を立てる。
「………」
副官は自身の拳に目をやった。シワにまみれて小さくなった薬包紙は、中央部分だけが膨らみ、毒物がたしかにその中にあることを主張していた。
…これを飲ませれば将軍は死ぬ?
副官はじっと薬包紙を見つめた。
『今日から貴様は弾除けだ。わしのために命を捨てろ』
副官の役職に就き、初めて将軍の執務室を訪れた際に言われた言葉だ。何度、あの人の銃弾を食らったことだろう。どんなに弁明しても全く聞く耳を持ってくれなかった。ただ部屋の隅に立つよう言われ、的にされた。防弾ベストを伝う被弾の衝撃に口から血を吐こうとも、涙を流してやめてくれと懇願すれども、将軍は絶対に引き金を引く手を止めようとはしなかった。
『自分の副官を人とも思わない上官の存在など、いらないと思わないか?』
先ほどドラコルルに言われた言葉を思い出す。
「………ギルモア将軍」
副官は静かに憎き男の名を告げた。
…俺は弾除けじゃない。人間だ…!
副官は薬包紙をポケットにしまい込むと、先を歩くドラコルルのあとを追いかけた。
つづく