ドラコルルの墓参り墓石、墓石、墓石。
見渡す限りに、墓石が無機質に並列された、芝生墓地。
冬の寒さがしんと満ち、枯草ばかり一面に広がり、荒涼感を掻き立てる。
男が、無感情に立っていた。
ぴんと整然に、軍服に身を包む男は、まるで人間らしさを感じない。
どんよりとした曇天の下、底知れない冷たさを、影のように湛えていた。
「ご両親にか?ドラコルル」
小さな少年が、男を監視するように、後ろから問う。
口調と声色には、小さな身体には不釣り合いなほど、知性・育ちの良さが満ちている。
大きく、透き通った、翡翠色の目には、強い責任感と善性の光が宿っていた。
「どうせ、お調べになったのでしょう?『パピ大統領閣下』」
低く、抑揚のない声で、皮肉交じりに返す。
左手に、黒い無地で簡素な、何かを入れたカバンを下げ、
右手には、色鮮やかな花束を握っている。
白・ピンク・黄・青・紫など、
冷たい印象そのままの男には、華やかなソレは、あまりにちぐはぐだった。
「あなたの個人口座から!お花屋さんへの注文履歴があったので、何事かと思ったのですよ!」
パピの愛犬、ロコロコが高い声で言う。
「てっきり厚顔無恥にも、女性との逢い引きに向かわれるのかと勘違いしてしまいました!
ですが、お墓参りなら問題外です!今のところは真面目に公務に勤しんでいるようですし、せいぜいお好きになさると良いでしょう!」
ガン無視して歩き出す、ドラコルル。
軍人特有の、深く早急な歩調で、たちまち小さくなっていく。
「ほら、おいで」
パピが苦笑して呼ぶ。
ロコロコはワン!と嬉しそうに鳴き、パタパタと、長いグリーンの耳で、翼のように羽ばたいた。
男は大罪人だった。
数か月前、ピリカ星の統合軍将軍・ギルモアを筆頭に、大規模なクーデターが発生した。
整然な軍服の男……ドラコルル元・長官は、情報将校・および巨大組織ピシアの指揮官として、ギルモアを星の元首とした恐怖政治を推進した。
騙す・出し抜く・相手の裏をかく・手段を選ばない。
鬼のような冷酷さで、悪魔のように二枚舌、三枚舌を使い分ける。
政治界・メディア界、星の人々の心に多大な影響を及ぼし、数え切れないほどの犠牲と、傷跡を残したA級戦犯の1人なのだ。
だが、何より恐ろしいのは、その思考・行動・主義は、すべてが星のため、主君の為だった事だ。
ドラコルルは、己が生きる星を・主君を守護する軍人として、背負う正義を振り翳し、蹂躙の限りを尽くしてしまったのだ。
何故、そんな男が、こうして空の下へ足を運べているのか。
それは、かつて星を裏から支配し、利権を貪っていた上層部の者たちからの横槍だった。
パピ大統領は、【人々を助けたい・悪も悪行も許さない】という純なる思いのままに、汚職も陰謀も一掃する政治改革を行っていった。
だが、正しい司法の手が、星の全土に及ぶより先に、旧・支配者たちは、宇宙ステーションや他の星に逃げ出してしまった。
旧・支配者だった人間の1人……元・将軍ギルモアは、それでもピリカに残り続けた。
クーデターが勃発したのは、その直後だった。
旧・支配者たちは、クーデターを起こした張本人、元・将軍ギルモアを『トカゲの尻尾』『スケープゴート』として切り捨てた。
代わりに、『まだ使い道のある傀儡』として、ドラコルル元・長官の裁判・処分を妨害したのだった。
結果、ドラコルルの処分は、一時的な降給、および降格処分のみ。
パピ大統領と、姉のピイナ補佐官たちへの仕打ち、そして数々の犠牲を思えば、あまりに裁きが足りない。
事実上の、無罪放免だった。
それは、自分たち支配者・上層部を一掃しに掛かり、これまでのような搾取・利権構造を破壊しようとしている『若造』……パピ大統領への、嫌がらせでもあった。
さらに、陰惨な独裁政治へと加担した、ドラコルルの処分を、わざと甘くすることで、いまだ傷跡と憤懣がくすぶる人々の不満を煽り、パピ大統領への支持を揺るがすネガティブ・キャンペーンでもあるのだった。
だが…………忸怩たる思いを募らせるのは、ドラコルルも同じだった。
すべての責任を背負う、その無念と覚悟を背負って……そして、かすかな安堵を抱いて、軍帽を脱いだ。
はずだった。
その覚悟すら……そして、これまで自分が蹂躙して来た、数え切れぬほどの犠牲すら、嘲笑ひとつで何もかも踏みにじられたような。
そうだ。
これまで散々、自分が行って来た愚行と、まったく同じように。
だが…………今更、どうでも良い。
怒り、嘆き、歯噛みした所で、どうにもならない。
どうにもならないから、諦念と、世の流れに身を任せる他、どうする事もできないのだ。
「…………酷い」
パピは顔を顰める。
ロコロコも、「キュゥン……」と細く鳴く。
墓は、滅茶苦茶に荒らされていた。
呪い・侮辱・罵詈雑言が、墓石から石畳まで、悪意たっぷりに書き殴られている。
鈍器で、何度も、何度も殴りつけたようなヒビ、欠けて抉れた傷にまみれた墓石。
無理やりこじ開けようとしたのか、金属が擦れた引っ掻き傷が、幾重にも、幾重にも重なっている。
人々の、煮えくり返る憎悪、行き場の無い無念が、八つ当たりとなって、ありありと浮かび上がっているようだった。
ドラコルルは、怒りも、嘆きもせず、片膝をついてカバンを開ける。
灰色の手袋を取り去り、汚れ落としと、布切れを取り出した。
「手伝おう」
パピは歩み寄り、小さな手が、布切れを掴む。
「わたくしも!」
グリーンの長い耳が、ニュッと伸びる。
「……」
何か言おうとしたが、無言で立つ。
「よいしょ!よいしょ!」
ロコロコが石畳を拭く掛け声と、落書きを擦る音の他は、無音の時が流れる。
「ッ、……」
鋭利な凹みで指を切った。
血の玉が膨れ、指を伝う。
煩わし気に舐め、吸う。
ふと、何の気なしに、後ろを振り向く。
パピが小さな手で、インクで汚れた布切れを掴み、『豚の親めが!』と刻まれた中傷を擦り落としている。
その可愛らしくも、整った端正な顔は、眩しいほどの誠心に満ちている。
「…………」
じくじくと痛み、また血が滲む。
目をそらし、墓石に向かい合った。
「よしッ!」
「キレイになりましたね!」
ようやく落書きを落とし切り、滑らかな石肌が現れた。
青みがかった深縹色の墓標は、たくさんの傷が刻まれながら、どこか静謐な佇まいを見せている。
「どうぞ」
冷たい声と共に、自販機の、暖かい飲み物が差し出される。
「寛大なご厚意、身に余る光栄でございます。畏れ多くも、感謝の言葉もございません」
わざとらしく、事務的かつ堅苦しい言い回しのドラコルル。
「なんかシャクに障る言い方ですね!なんですかなんですか!そんなんだからみんなに嫌われるんですよ!」
ロコロコがいきり立つ。
パピは「ありがとう」と返し、飲み物を開け、一口含む。
ちなみに、チョイスは『ぽっかぽかはちみつレモン&ジンジャーカフェオレ ~クリームたっぷり×2増量 コク甘さ超・ぎゅぎゅっと濃厚~』だった。
「………………………………」
「………………………………カロリー、エグ過ぎません?」
嫌がらせなのか、気遣いなのか、イマイチ分からんわ。
「こんにちはぁー。こんな寒い中、よくいらっしゃいましたね」
墓地の責任者が、人影を認め、簡易移動機器を降りて来る。
「「あ」」
「む……」
墓石の前には、あのパピ大統領、ドラコルル元・長官(とロコロコ)が居た。
責任者の顔は、言い表しようがないほど引きつった。
「墓地の、責任者の方ですね?初めまして。ピリカ共和星大統領、パピと言います」
パピに真っ直ぐ見つめられ、
責任者の目が、激しく泳ぐ。
墓石が、筆舌に尽くしがたいほど、荒らされていたにも関わらず、放置されていた理由。
その、挙動不審な責任者の様子は、墓を荒らす者たちの姿を、再三、見て見ぬフリをしていた事を意味する。
「こちらの墓石の、修繕をお願いします。後ほど、官邸から正式に依頼を出しますので、ご確認のほど、宜しくお願い致します」
非難も叱責もせず、理性的に向かい合う。
大統領たっての注文に、嫌と言えるわけが無く、墓地の管理責任者は、涙目で応じるしか無かった。
「お気になさらず。どうせただの石です」
だが、ドラコルルは断る。
「へッ!?石ッ!?」
ロコロコの素っ頓狂な声。
「墓など、死体を処理する『穴』に過ぎません。墓石は、ただ死人の名を刻む『標識』です」
無情に言い切る。
「ただの石の塊りであり、この下にある物も、ただの炭素の塊りです。後生大事に扱うなど、何の意味も無い」
酷薄な目が、サングラス越しに『それ』を見下ろした。
「なら、どうして花束を手向けた?」
パピは、静かに問う。
「どうしてお前は、ただの石の塊りを、綺麗に拭き清めた?」
「ただの義務です。それ以上も、以下も無い」
簡素な、にべもない答え。
「そうだ」
パピは肯定した。
「ただの石へ真摯に向き合う事に、お前は、義務感を抱いてくれた。きっと、それが答えなのだろう」
一瞬、目を見開く。
「…………さあな……どうだろうよ」
飾りも、捻りもしない、投げやりの言葉がこぼれる。
ドラコルルは、サングラスを外す。
暗い、紅玉石の刃のような目が、『それ』を見つめた。
「ああ。それから、救急箱がありましたら、お貸し下さい。彼が怪我をしたようなので」
「…………放って置けば治ります」
「雑菌が入ったらどうする。汚れを落としたばかりなのに」
「………………………………(いろいろ面倒くさくなった)」
「どんな方々だったのだ?」
パピたちは踵を返し、歩き出す。
ふと、パピは疑問が浮かび、何気なく問うた。
「忘れました」
あっさりと答えるドラコルル。
「忘れましたッ!?」
また、ロコロコの素っ頓狂な声。
「いやいやいやいやいや!そんなはず無いでしょう!?なんかこう……あるでしょう!?思い出とか、形見とか日記とか記録とか!何も無いってことだけは無いでしょう!?」
「だから……忘れたものは忘れたと言っている」
ロコロコの勢いに、心底、面倒くさげに顔を顰める。
「……」
パピは、じっとその顔を見つめる。
嘘か、本当かは分からない。
「……私も、父と母の事は、あまり覚えていない。小さかったから、忘れてしまったのかも知れない」
「『【忘れる】と言うのは、今を生きている証』!ゲンブ大臣がおっしゃってましたね!」
「生きる、か」
かけがえのない人間が死のうと、毎日は変わらず続いて行く。
今日を・明日を、生きて行く為には、いつまでも、死んだ人への思いに囚われたままでは居られない。
生きて行けば、死んだ人の記憶は、だんだんと薄れ、あいまいになって行く。
だが、同時に、悲しみも薄れて行き、胸の空虚が、時と共に癒され、また新しい大事なもので満たされて行く。
「私たちは、生きている」
パピは、何か、大事な抱え物のように言う。
「生きているからこそ、時折は亡くなった人を思い出して、また新しく、明日を懸命に迎えて行く。それが大事なのかも知れない」
「お墓参りは大事ってことですね!」
ロコロコは笑い、ドラコルルに向き直る。
「ドラコルル!パピ様に感謝するのですよ!これからはきっと、あんな事も無くなりますから!パピ様たってのお願いですもの。墓地のパトロールも強化されて、グッと来やすくなるはずです!」
「フッ……関係無いな」
「な!関係ないとは何ですか!故人の尊厳は決して侵されざる物であり、そのためにパピ様は……」
鼻であしらわれ、プンスカ怒るロコロコ。
「もう、二度と来る事も無い」
暗く、凍てついた声。
パピは、思わず足を止めた。
「ギルモア様の墓石も、建立されるかどうか、分からないからな」
無機質な言葉が落ちる。
深く早急な歩調で、たちまち距離が開いて行く。
パピは、後ろを振り返る。
『ピイナの花』が、荒涼とした、色彩を失った景色の中、確かな色鮮やかさを、灯火のように宿している。
「大丈夫」
キュゥン……と鳴くロコロコを抱き上げる。
「絶対に、引っ叩いてでも来させるさ」
パピはロコロコを抱いたまま、小走りで、ドラコルルの背中を追った。