その名を忌む -現在-官邸を襲撃後、宇宙へ逃れた大統領を追うべく、クジラ型戦艦は大統領の乗ったロケットの痕跡を辿りながら、飛行を続けていた。
「……」
ふと目を覚ました副官はぼんやりとした意識の中、枕元の時計を確認した。
「…!!」
ガバッと起き上がり、慌ててベッドから跳び降りる。
まずい。寝過ごした。
副官は急いで身支度を整えると、操舵室のドラコルルと交代するため、仮眠室を飛び出した。
ドラコルルは、操舵室の艦橋に座りながら、時計を見た。そろそろ副官と交代する時間だ。遠征時、いつもなら30分前には来て、自分と交代するよう催促する彼が、今日はまだ来ない。クーデター以降、心労の多い仕事が続き、疲れているのだろう。
「副官を起こしてきましょうか?」
隊員の1人がドラコルルに声をかけた。
「いや、寝かせておけ。疲れているのだ」
隊員を制すと、ドラコルルは椅子に座り直した。
副官を諜報部に引き入れて以降、彼は実によく働いてくれた。その有能さはもちろん、驚いたのは、彼の性格がみるみるうちに明るくなっていったことであった。そんな彼に影響されてか、他の部下たちの士気も上がり、ピシア設立までこぎつけた。
その時、扉の外からドスドスと操舵室へ近づいてくる足音が聞こえた。副官が、大急ぎでこちらへ向かっているのだろう。
ふと、ドラコルルの頭にある考えが浮かんだ。
居酒屋で初めて副官と会った日、中尉だった彼は、自分が寝たふりをしていることに気づかなかった。はたして今はどうだろうか?
「お前たち、何も言うなよ」
ドラコルルは操舵室の隊員に声をかけた。ドラコルルの意図を察したのか、隊員たちはニヤニヤしながら自身の担当する画面に向き直った。ドラコルルは軍帽を深くかぶり直すと、腕を組み、まぶたを閉じた。
「長官!遅くなって申し訳ありません!!」
操舵室の扉を開けたと同時に、副官は大声で謝罪した。しかし、ドラコルルから反応はなく、操舵室には、戦艦の機械音が響いているだけであった。
副官は不審に思い、艦橋に座るドラコルルに近づいた。ドラコルルは、腕を組みながら寝息を立てている。
…居眠り?いや、これは…。
副官はしばらくドラコルルを観察したのち、その右側に立つと、ドラコルルに話しかけた。
「長官」
「……」
「…鼻毛、出てますよ」
「……ぶっ!!」
思わずドラコルルは吹き出してしまった。副官も笑いながらドラコルルに顔を向けた。
「なに寝たふりなんかしてるんですか」
「さすがだな、副官。なぜ分かった?」
「分かりますよそりゃ。俺はあなたの副官ですよ」
ドラコルルは、軍帽をあげ、副官に目を向けた。
「まさか、鼻毛とはな…。お前はずいぶん明るくなった」
ドラコルルの言葉に、副官は少し間を置いてから、静かに答えた。
「…長官のおかげです。あなたが俺の名を肯定してくれたからですよ」
「よい名前だとは思わんが、悪い名前だとも思わん。あまり名前のことは気にするな。ピシアにいる限り、お前は副官だ」
2人は、操舵室の前方の画面を見つめた。画面には、無数の星がきらめく広大な宇宙の景色が広がっていた。
「お前はなぜ軍人になった?」
ドラコルルが副官に問うた。副官は少し考えこんでから答えた。
「…入隊当時は、それなりに理由はありました。ピリカを守りたいとか、そんなありがちなものです。でも根本にあるのは、別の動機でした」
副官は続けた。
「この仕事は、階級や役職名で呼ばれることが多いですから」
副官は、笑いながら答えた。その笑顔はいつもの明るい彼そのものであったが、ドラコルルにはなんとも言えない哀しさが感じられた。
「…立派な動機だ」
そう言うと、ドラコルルは椅子から立ち上がった。仮眠をとるべく、操舵室の扉へ向かう。
「では、あとは任せたぞ。副官」
「お任せください。長官」
ドラコルルの背中を見ながら、副官は笑顔で答えた。
ドラコルルは仮眠室に備えられた洗面台で顔を洗い、鏡に映った自分の顔をじっと見つめた。
嘘つき。冷酷。悪魔。
自身を表すさまざまな言葉が頭に浮かぶ。
副官を諜報部に引き入れてしばらくたった頃、ドラコルルは秘密裏に彼の過去とその身辺を調べたことがある。
第9連隊は副官が抜けてから、訓練中の不慮の事故で全員が死亡した。あのときの副官の嘆き悲しむ姿は見るに耐えられなかった。
彼の小学生時代の同級生で、ずば抜けて優秀な者がいた。飛び級で進学した彼は、進学先での人間関係に苦しみ、自殺した。
副官がこの世に生をうけてすぐ、彼の母親は死亡した。たいへんな難産だったらしい。ようやく生まれた我が子をその胸に抱いたのも束の間、へその緒を切断した瞬間、容体が急変し、彼女は帰らぬ人となった。
副官と関わりのあった何名かは、副官と離れた後、死亡していた。
もちろん、関わった者の中には何の不幸もなく生きている人間の方が多いのだから、おそらくは偶然だ。だが、あの異質な名前ゆえ、どうしてもオカルト的な考えが、ドラコルルの頭をよぎる。
「悪魔か…。はたしてどちらのことなのやら」
鏡の中を見ながらドラコルルはつぶやいた。
ドラコルルは布団に入ると、枕元の灯りを消した。真っ暗になった部屋の中には、戦艦の機械音のみが響いていた。
もうこれ以上、副官の泣く姿は見たくない。お前のことは何があっても守る。絶対に見捨てない。
「安心しろ。私は絶対にお前とは離れない」
そう独りごち、ドラコルルは眠りに落ちた。
おわり