いつの日か -副官-街から聞こえる歓喜の声に、ギルモアが捕らえられたことをドラコルルは悟った。すぐに機関室へ足を運ぶ。そこには火災の後始末に追われる隊員たちの姿があった。隊服を汚しながら、慌ただしく部下たちに指示を出す機関長にドラコルルは声をかけた。
「ご苦労。ここの兵の負傷状況は?」
ドラコルルの姿に、機関長は敬礼した。
「は。いずれも命に別状はありませんが、敵からの攻撃時に3名、海への墜落時に1名怪我を負いました。ドラコルル長官は?」
「大事ない。エンジンは生きているのか?」
「……残念ながら」
機関長の言葉にドラコルルは笑った。
「しばらくは海の上か。自由同盟が到着次第、ただちに艦を降りる。負傷した4名から優先的に降ろすように。あとは同盟の指示に従え」
「承知しました。…あの、ドラコルル長官。あなたは?」
機関長は心配そうにドラコルルを見遣った。
「私も降りる。だが、君と話をするのはこれで最後になるだろうな」
各支部へ、ピシアの敗北を知らせた副官は通信機をしまい込むと、空を見上げた。青い空には、自由同盟の戦闘機が飛び交い、副官にはその戦闘機が引く雲でさえ、自分たちの敗北を喜んでいるように見えた。
…長官は今、何を考えているのだろうか。
ぼんやりと空を見ながら、降伏時のドラコルルの様子を思い出す。
敗北を悟り、これ以上の被害は出すまいと、長官は全面降伏を申し出た。あの人は常に先を読む。あの大きな地球人につまみあげられてもなお、あの人は冷静だった。怖くはなかったのか。悔しくはなかったのか。
地球人の手から艦上に降ろされてすぐ、長官は全面降伏したことを各支部へ知らせるよう自分に命令を下した。そして、自身は部下たちの状況を確認すべく、艦内へ戻っていった。
この結末に納得できない自分と違い、あの人は全てを受け入れ、次の行動を考えていた。なんと潔いことだろう。
「副官」
ドラコルルの声がし、副官は声の方へ顔を向けた。
「各支部への連絡は終わったのか?」
艦上へ出るための入り口のふたを閉め終え、ドラコルルは副官に向き直った。
「……武装解除と街の監視装置の停止は伝えました。各収容所も含め、もし人道に反する行為があれば、証拠は全て消すよう指示も出しています」
「さすがだな、副官」
ドラコルルは笑った。
「一を聞いて十を知るとは、お前のことだ。もっとも、監視こそすれ、そこまで国民を痛めつけることはなかったはずだが。収容所とてそうだろう?」
「昔、本で読んだことがあるんです。ある兵が捕虜に自分の国の食べ物を与えたところ、木の根っこを食べさせられたと、敗戦後にその兵は訴えられ、死刑判決を受けたとか。ゴボウという食べ物だそうですが」
「ピリカにそんな食べ物はない。どこの惑星の話だ」
「それは分かりません。ただ、俺たちの意図しないことで、なにかしら因縁をつけられて、罪が重くなることだけは避けたい。負けた側の立場は弱いです」
「負けか…」
ドラコルルは静かにつぶやいた。
サングラスのため、表情は読めない。だが、その声には負けた悔しさは微塵も感じられなかった。むしろ、どこか安心したような穏やかな印象を副官は感じた。
「…長官は悔しくないのですか」
副官は問うた。
長い時間をかけて、ドラコルルがどのような人間かは理解してきたつもりだ。冷酷であり、手段を選ばない男。だが、自分にとっては憧れの対象であり、信頼できる上官だった。憧れと信頼が、抱いてはいけない感情へと変わったことに気がついたのはいつだっただろうか。この気持ちを伝えるつもりはない。ただ、今のドラコルルは自分が知らないドラコルルだ。負けを悔しがるでもなく、穏やかな態度を貫くこの男の真意を、最後に知りたかった。
「負けたのは初めてだ」
ドラコルルは告げた。
「今まで私の戦は、全て勝ちだった。だから勝った立場の人間がすることは全て想像がつく。自分のしてきたことが今度は自分に返ってくるのだ。未知への恐怖がない」
「…自分が死ぬことになってもですか」
副官は拳を握りしめながら、ドラコルルを見つめた。
「勝った側の正義で、これから俺たちは裁かれるのでしょう。おそらくは死刑です」
「お前には情状酌量の余地がある。全て私の指示に従ったと言えばいい」
「できません…!!あなただけが責任をかぶるなど…!!」
副官は目を伏せた。
この人を守りたい。だが、この人はそれをさせてくれない。この人のためなら死ぬ覚悟はできているのに、どれだけ考えても、この人を生かす道が思い浮かばなかった。
「副官」
自身を呼ぶドラコルルの声に副官は顔をあげた。
「私にとってお前はかけがえのない存在だ。お前のことは私が守る」
ドラコルルは、副官の肩に手を置いた。その手の重みと告げられた言葉に副官は観念した。
「……それがあなたの意志ならば…」
目に溜まった涙がこぼれ落ちないよう、必死に表情筋を動かす。そんな副官の姿にドラコルルは微笑んだ。
「こんな嘘つきが言った言葉だ。もしお前が死ぬようなことになったときは、最後に嘘をつかれたと私を恨め。決して大統領を恨むな。…だが、もし奇跡が起きて…」
ドラコルルは副官を見つめた。
「もし奇跡が起きて、二人とも自由の身になれたときは、またこの場所で会おう」
副官はラジオの電源を落とした。
終身刑の判決を受け、この刑務所に収監されてから、ピシア時代の名残ゆえか、限りある自由時間は全て外部の情報を収集することに時間をあてている。消灯時間までは、半日遅れのニュースをラジオで聞くことが日課だ。
…よかった。今日も何もなかった…
消灯の合図と共に、全ての灯りが消える。副官はベッドに横になった。
最後にドラコルルに会ったのが、あの拘置所の渡り廊下だ。あの日はドラコルルに判決が言い渡される日だった。果たして、長官は死刑を免れたのだろうか?
ドラコルルの判決を待たずして、刑務所へ移送となった副官には、それだけが気がかりだった。看守たちは、ほかの囚人の情報を漏らすことは絶対にない。独房かつ刑務作業中も私語は厳禁のため、囚人同士で情報交換ができるような環境でもない。幸い、部屋にはラジオがある。看守による報道内容の確認のため、ニュース自体は半日遅れではあるが、情報を得るには十分だ。
ーもし長官が死刑判決を受けているのなら、その執行は絶対に報道されるはずだ。
5年間、毎日かかさなかった日課だ。あのクーデターの首謀者の動向に変化があれば、絶対に報道はある。国民の関心も高い。だが、今日も死刑執行のニュースは流れなかった。
…もしかしたら、自分と同じように懲役刑なのかもしれないな。
どうかそうであってほしい。
例え二度と会うことがかなわなくとも、想い人がこの世に生きているというその事実だけで、副官は安心して眠りにつくことができた。
独房の窓に差し込む明るい日差しに、副官は目を覚ました。時計を見ると、午前6時。ゆっくりと体を起こしてベッドから這い出し、洗面台へ向かう。
…ずいぶんと年を取ったものだな…
洗面台の鏡に写った自分の顔に副官は苦笑した。
あれから30年が経った。鮮やかな青だった髪には白髪が交じり、肌の質感も年を経てずいぶんと変わった。自慢だった体格の良さも、この30年で少し痩せた。
ラジオの情報では、街の復興はかなり進んでいるようだ。あいかわらず、ピシア幹部の死刑執行のニュースはこの30年全く流れていない。それはドラコルルが生きていることを意味していた。
副官は、独房内の自身の机に向かった。引き出しを開け、小さな手紙を取り出す。経年劣化のため、茶色く変色しているが、手紙にはドラコルルの文字で確かにこう書かれていた。
副官へ
私にとってお前はかけがえのない存在だった。ずっと前から好きだった。
ドラコルル
最後にドラコルルに会った渡り廊下で、お互いの想いが通じ合ったときは涙が流れた。そして、死刑執行のニュースがない以上、ドラコルルは生きているのだ。
死ぬまで刑務所での生活が続こうとも、その思い出と事実だけで十分だった。今日も穏やかな気持ちで、副官は朝食を受け取るべく、扉の前に立った。
「1342号。朝食だ」
扉の差し込み口からトレーを受け取り、副官は看守に笑顔で答えた。
「ありがとうございます」
「ああ。それと朝食が終わり次第、荷物をまとめておけ。場所の移動だ」
脱獄、自殺につながるような細工がされないよう、刑務所での部屋の移動は頻繁だ。ここでの生活が長い副官にとっては、聞き慣れた指示だった。
「承知しました」
荷物を持ち、看守とともに廊下を歩きながら、副官は違和感を感じた。
…この経路は。いやまさか…?
今、自身が歩いているのは、いつもの収容棟ではない。副官は隣を歩く看守に目をやったが、彼は至って真面目な表情であった。私語厳禁のため、副官は黙って彼の隣を歩くしかなかった。
そうしているうちに、いつの間にか刑務所の門のところに到着した。副官は目を見開いた。
「ここまでだ」
看守は副官に告げた。
「30年前と違い、街の様子はずいぶんと変わっているだろう。はじめは慣れないかもしれないが」
看守は副官に封筒を手渡した。
「30年分の作業報酬だ。それなりに貯まっている。達者で暮らせ」
看守はそう言うと門を閉め、刑務所の中へ戻っていった。一人残された副官は、呆然とその場に立ち尽くした。
「これは一体…」
そのとき、目の前に一台の車が停止した。助手席のドアが開けられ、運転席の男が副官に声をかける。
「乗れ」
70歳くらいだろうか。年相応にシワの刻まれた顔に悪意は感じられなかった。
「…失礼します」
どこに行くあてもなく、副官は車に乗り込んだ。
案内された場所は、あるマンションの一室だった。部屋は綺麗に掃除され、生活に必要なものは全て揃えられている。
「今日からここがお前の家だ。仕事は自分で見つけろ。それと…」
男は鞄からファイルを取り出した。ファイルを開き、中の内容をメモ用紙に書き写すと、情報端末と共に副官に手渡した。
「便宜上、今からはこの名を名乗れ。公的な手続きはすべて通るはずだ。この端末はお前の位置情報を把握するためのものだ。妙な行動があればすぐに分かるから、扱いには気をつけるように」
副官はメモ用紙を見つめた。そこには見知らぬ名前と生年月日、この部屋の住所が記入されている。
「すみません…」
副官は男に声をかけた。
「…この措置は、釈放と捉えても良いのでしょうか」
男は答えた。
「完全な自由とは思わないことだ。仕事が見つかっても、生活費以外は国に納めるよう手続きをとる。医療費は無料、年金は無しだ。毎月必ず私とも面談を入れる。世間的には、お前は今も服役していることになっているから、目立つ行動はするな。他に質問はあるか?」
男の質問に副官は黙り込んだ。
なぜ自分は外に出ることができたのか?この男は一体誰なのか?いや、いちばん知りたいのは…。
「……ピシアのドラコルル長官の所在は?」
副官の質問を想定していたかのごとく、男は無表情で答えた。
「20年前に死んだよ」
仕事はすぐに見つかった。
長年の刑務作業のおかげか、手先の器用さは衰えていない。この30年間、ラジオで毎日情報を得てきたからか、世間の変化にも柔軟に対応することができている。
暮らしは至って穏やかだ。だが、副官の心には嵐が吹き荒れていた。
ー20年前だと?!そんな馬鹿な!!
図書館に立ち寄り、必死に過去の新聞の記事を探る。
ーこの30年、毎日欠かさずラジオでニュースは聞いてきた。まさか看守が規制をかけていたのか?!
あり得ない話ではない。囚人への心理的影響を考慮して、刑務所側が流す情報に制限をかけたのだ。ならば、早く本当の情報を見つけなければ。
副官は過去の新聞をさかのぼり、隅々にまで目を通した。そしてある記事を発見した。
_クーデターから10年
_元ピシア長官死刑執行
副官は目を見開いた。信じることが出来ない、いや信じたくない事実だった。
動揺を抑え、他の新聞にも目を通す。だが、全ての新聞が同日付けで、ドラコルルの死刑執行のニュースを伝えていた。
「仕事の方はどうだ?」
男は副官に紙コップを差し出した。
「…おかげさまで滞りなく…」
椅子に座りながら副官は力無く答えた。ドラコルルの死亡を目の前の男から伝えられてすぐ、副官はさまざまな行動を起こしていた。
まず、手渡された端末で情報を検索した。過去の新聞を掘り起こし、書籍、他人の噂話に至るまで、ありとあらゆる手段でドラコルルの生存の可能性を探った。だが、その全てが、無情にもドラコルルの死を伝えていた。
…自分の知らないところで、長官は死刑判決を受けていた。自分の知らない間に、その命を絶たれていた。
もはや認めざるを得ないのだろうか…。副官は肩を落としながら、紙コップに入ったコーヒーに口をつけた。
「ショックなのは分かる。だがもう過ぎたことだ。前を向け」
肩を落とす副官の心情を察して、男は口を開いた。
「お前にとって、あの男は大切だった。そうだろう?」
紙コップを持ちながら副官は頷いた。
「あの男にとっても、お前は大切な存在だったようだ。…自分を犠牲にするほどに」
男の言葉に副官は目を見開いた。男はさらに続けた。
「私は、拘置所時代にあの男と何度か会っている。今は、保護司として、元ピシア隊員の生活を支援する変わり者だがね。お前とも一度、会ったことがあるのだぞ」
そう言い、男は微笑んだ。副官は男の顔をじっと見つめたのち、その傍らに置かれたファイルに目をやった。
…最後の望みにかけてみるか。
「うわっ!?」
副官は紙コップをわざと床に落とした。中に入ったコーヒーが副官のズボンと床を汚す。
「大丈夫か?」
男がテーブル越しに身を乗り出した。
「すみません…」
「冷めていてよかった。タオルを取ってこよう」
そう言い、男は奥の部屋へ姿を消した。机の上には、先日、男が目を通していたファイルが置かれたままだ。男は中の情報をメモ用紙に書いて、自分に手渡していた。
副官は急いでそのファイルを手に取った。
ーやっぱり思った通りだ!!
ファイルを開くと、そこにはピシアの幹部の名がずらりと並んでいた。かつての役職、主たる罪名、刑期、現在の名前から勤務先、住所まで細かく記されている。ページをめくるたびに現れる懐かしい名前に、思わず副官の目は潤んだ。なかには自分と同じように終身刑の判決を受けた者もいたが、その隣には、現在の勤務先と住所がきちんと記入されている。世間的には服役中であっても、皆、過去の名を捨て、社会復帰を果たしていたのだ。もちろん自分の名もそのファイルには記入されていた。
ーこれこそが本物の情報だ!!
副官は急いでページをめくった。男が戻ってこない内に、ドラコルルの情報を見つけなければならない。そして、ついにそのページを見つけた。
長官 ドラコルル 内乱罪 死刑
ピリカ新暦11年3月2日 刑執行により死亡
「…え」
それからのことはよく覚えていない。
自身のほおをなでる海風に副官は目を閉じた。暦の上では春とはいえ、3月の風はまだ冷たい。
「あなたは最後まで嘘つきだ。この場所に来たのは俺だけじゃないですか…」
副官は目の前の海を見つめた。この場所は、30年前、地球人によって戦艦を墜落させられ、ドラコルルが全面降伏を申し出た忌むべき場所だ。しかし、同時にドラコルルと再会を約束した思い出の場所でもある。しかし今、この場所にドラコルルの姿はない。港を歩く数人の人影が見えるだけだ。
『もし奇跡が起きて、二人とも自由の身になれたときは、またこの場所で会おう』
30年前、ドラコルルの言った言葉を副官は鮮明に覚えている。
「長官の手紙、本当に嬉しかった。あなたも俺と同じ気持ちだったなんて、それこそ奇跡だと思ったんです。でも、あのときは言葉で伝えることができず申し訳ありませんでした」
副官は静かに笑った。
服役している間、毎晩ラジオに耳を傾け、長官のニュースが流れないことに安堵した日々。長官が生きていることだけが自分の希望だった。
刑務所から出た後に、長官が死刑判決を受け、すでにそれが執行されていると知ったときも、信じることが出来なかった。死刑の執行はフェイクで、自分と同じように違う名を与えられ、どこかで生きているのだと、わずかな希望にすがった。
生きていてくれさえすればよかった。
だが、現実は残酷だった。
保護司の男がもつ情報こそが本物だ。そこにドラコルルの死亡が書かれてあった以上、もうドラコルルはこの世にいない。20年も前に、死んでいるのだ。
「長官。お待たせして申し訳ありませんでした」
副官は静かに独りごちた。ゆっくりと海に近づく。
「今度はきちんと口で伝えさせてください。あなたに守られた命、粗末にしてすみません。会えたら思いっきり叱ってください」
3月の海の水はさぞかし冷たかろう。
副官の足が、地面から放たれた。
つづく