同居した頃から、ラーハルトはヒュンケルの髪を手入れするようになった。
緩いまとめ髪での朝食を終えたら、彼の後ろに立って櫛を挿す。
梳き下ろす、冷たい程の艶。
今日はシンプルなポニーテールにしよう。
銀の髪をくしけずって後頭部の高い位置へと引き上げる。
お互いの帰宅時刻の予定など、雑多な会話をしながらも掌を滑る絹糸の如き流れに感じ入る。
最初はこんなに長くなかった。
共に暮らし始めたヒュンケルは、人前に出る機会が格段に減ったからか身支度に気を遣わなくなり、髪も放置されたのだ。
「切ってやろうか? それ」
窓辺の鉢植えですらきちんと整形されているのに、ヒュンケルの伸び放題の前髪は目元を隠してしまっている。さすがに鬱陶しくて声を掛けてやったのに。
「ちゃんとできるのか? 植木じゃないんだぞ?」
胡乱な流し目をされてしまった。
「今よりマシな状態にはできるさ。ボサボサだぞおまえ」
その日、ラーハルトはヒュンケルの前髪を切ったが、後ろ髪はそのまま残した。
次は後ろ髪も切ってやったが、だが毛先を揃えるのみだった。片付けが面倒なので野外で散髪をするのだが、陽光を受ける輝きに、どうしても切り捨てるには惜しいと感じてしまうのだ。
後ろ髪はやがて肩を覆い、背中を流れ落ちて、ラーハルトは縺れない髪の梳き方をヒュンケルに指導した。髪の保護に良いとされるエキスの入った洗髪料を購入してきてやった。本人に任せておくとタオルの間で髪を擦り合わせて乾かそうとするので、椅子に座らせて丁寧に押して水気を拭ってやった。
そうして段々と凝ってゆき、今では髪専用のハサミを購入して、武器を研ぐついでに手入れをしている。
うっかり彼が炊事の火で毛先を焼いてしまった日には、出来うる限り長さを確保しつつ泣く泣く髪型を整えてやった。もう伸び直しているがあの時は本当に落ち込んだ。
オレが居ない日でもちゃんとしろと、三つ編みのやり方を教えた。まとまれば事故も少ないし、家事と就寝時の摩擦もなるだけ抑えるに越したことはない。
育った髪は彼の目鼻立ちによく合っていた。結えば顔がよく見えるし、下ろせばベールのようである。
今日のように、親しい仲間に会いに行く際には特に気合いを入れた髪型にして送り出してやっているが、前に一度、大きく波打たせた髪を背中に下ろしてやったら、パプニカの女王からは私よりも国王っぽいんだけどと不評であった。
ならば、確実にヒュンケルを引き立たせる、すんなりと落ちる縦の一本を。と、髪結い紐をポニーテールの根元に巻き付けながら、気が変わった。もっと手懸けたい。
「やはりサイドに編み込み入れてやろう。一旦ほどくぞ」
「おまえの方が出発は早いだろう? 大丈夫なのか?」
「オレが走れば間に合うさ」
髪を結んでくれたラーハルトが急いで出かけてゆくのを見送って、ヒュンケルは自分がまだ短髪だった頃を思い出した。
ここに引っ越してきた初日に、家具と一緒にひとつの鉢植えを買ったのだ。それは、細い枝と小さな葉をした観葉植物が一本だけ植わっている人頭ほどのサイズの鉢だった。日の届かぬ地底魔城では決して育たぬ地上の緑を新居で育ててみたかったのだ。
明るい窓辺のチェストの上に置いたら、ラーハルトが剪定をし始めた。水をやっているのはヒュンケルなのに。
植木はまるでミニチュアの木みたいなやつで、枝も葉もたくさんあるし、びゅんびゅん野放図に伸びていくから手間のかけ甲斐があるのだろう。ラーハルトは毎日飽かずに形を整えていた。
それを横目に眺めていたら、ある日、彼が振り返ってこう言った。
「切ってやろうか? それ」
ラーハルトは、ゼスチャーで彼には存在していない前髪を摘まみ下ろして見せた。
「ちゃんとできるのか? 植木じゃないんだぞ?」
余計なお世話とばかりに疑いの目を向けた。それが彼に火を付けた。
姿見の前に立ち、自分の頭の右と左を交互に映す。完璧に左右対称の編み込みが成されてから後頭部で結い上げられている。髪留めは見覚えのない銀細工だ。また買ってきたのか。まめな事だ。
ヒュンケルは軽い足取りで如雨露に水を汲みにゆき、窓辺に戻ってきた。
この家に一鉢きりの植物に水を注ぐ。
「アイツに刈られるのはオレだ」
日差しが心地よい。気分がよい。小さな命にもやさしくなれるというものだ。ヒュンケルは穏やかに歌うように語りかけた。
「なに、おまえの事はオレが刈ってやる。心配するな。オレも刃物の扱いには一家言あるんだ。ふふっ」
ヒュンケルは鼻歌まじりにハサミを構えて、チョンと小枝を切り飛ばした。
2023.10.15. 10:35~11:30 +30分 =通算85分
SKR