「こんな所で何をしているんだ、冒険者」
「ひえっ!」
オルシュファンの執務机を覗く冒険者の背後から、コランティオが声を掛けてきた。
「なんだ、コランティオか……びっくりしたぁ」
「お前が背後の気配に気づかないなんて、珍しいな。オルシュファン様に用事でも?」
「う、うん……大したことじゃ無いんだけど」
冒険者は苦々しい笑顔を浮かべながら、その手に持っていた、小さな赤い包みを背中にさっと隠した。しかしコランティオの目にはしっかりと映っていたらしい。成る程、と言葉に出しながら、コランティオは納得の表情を浮かべた。
「君もオルシュファン様にチョコを渡しにきたクチか」
「うっ。そのつもりだったんだけど、あれを見たら怖気付いちゃって……はは」
冒険者が執務机に目を向けると、そこにはオルシュファンの姿が見えなくなるほど、色とりどりの包みが山のようにに積まれていた。ヴァレンティオンデー当日ということもあり、中身が全てチョコレート菓子であることは、冒険者にとって容易に察せられることだった。
「オルシュファン様は人望が厚いからな。毎年、男女問わず色んな人から贈られてくるんだ」
「やっぱりそうだよね……。遠目だからよく見えないけど、すごく高そうなパッケージとかもあるし……私の出る幕じゃ無い気がしてきた」
冒険者は肩を落としながら、その場を立ち去ろうと踵を返す。しかし、慌ててコランティオがそれを制した。
「待て待て。まぁ、中にはブランドの高級チョコもあるだろうが……君のチョコは、もしかして手作りか?」
「うん。ラノシアオレンジのブラウニー、昨日の夜に頑張って作ったんだ」
「なら大丈夫さ。自信を持って渡してみるといい」
「でも……」
コランティオに励まされてなお、冒険者は迷いを捨てきれないのか、俯きながらチョコの包みを握りしめている。いつになく弱気な冒険者の姿を見て、コランティオは仕方ないなと呟いた。
「そういうことなので、後はよろしく頼みますよ、オルシュファン様」
「──え?」
冒険者が顔を上げた時には、既にコランティオの姿は無く、代わりに晴天の色をした瞳が冒険者を見下ろしていた。
「コランティオめ、私は手作りに拘っているわけでは無いのだがな」
「オルシュファン…!? な、なんでここに!?」
冒険者が驚きのあまり目を見開くと、オルシュファンは珍しく狡猾な笑みを浮かべた。
「私が菓子の山の向こうに座っていると思っていたのか?」
「だ、だって、いつもあの椅子に座ってるから!」
「ふふ、可愛い勘違いをしてくれたものだ。お前が来た時に座っていることが多いだけで、実際は動き回っている方がほとんどだぞ」
穏やかな口調で言葉を紡ぎながら、冒険者をじりじりと壁側に追い込んでいく。普段と変わらない様子に見えて、オルシュファンは鋭い眼差しを冒険者に向けていた。
「オルシュファン、もしかして怒ってる……?」
「怒ってなどいるものか。ただ、お前が私に声もかけず立ち去ろうとしたのが悲しいだけだ」
その場から逃れようとした冒険者を捕らえるかのように、オルシュファンは壁に手を突いて小さな身体を囲った。怯えているのか、それとも照れているのか、か細い呻き声が冒険者から漏れる。
「それで、その手の包みは一体何だ」
「ううっ……チョコレート、です」
「ほう。誰に渡すものなのだ?」
「それは……お、オルシュファンに」
冒険者がその名を口にした瞬間、頭上から小さく笑い声が降ってきた。見上げれば、オルシュファンは冒険者を見つめながら目を細めて笑っている。笑わないでと抗議する声は、冒険者の喉から出ることなく消えていった。
「ふふ……やはり私宛てなのではないか。ならば、どうして渡してくれないのだ?」
「だって、オルシュファンはもうたくさん貰ってるし……それに、私が作ったのより美味しそうなチョコもありそうだし」
「私に渡せない理由はそれだけか、ユゥイ」
長身を折り曲げるようにして、オルシュファンは冒険者の顔を覗き込む。触れられているわけでもないのに、その低い声が近づいただけで、冒険者は肩をびくりと揺らした。淀みのない眼で一心に見つめられ、やがてその視線に耐えられなくなったのか、冒険者は観念して小さく口を開いた。
「こ、こんなこと言ったら、軽蔑されるかもしれないんだけど」
「お前がどのようなことを言っても、軽蔑などするものか」
真剣な眼差しで、そう伝えられる。その言葉を受けて意を決したのか、冒険者はオルシュファンを見つめ返した。
「……あのお菓子の山の中に、自分が埋もれるのが怖かったんだ」
予想外の言葉に、オルシュファンは目を見開いた。
「オルシュファンは優しいひとだから……誰かから貰ったお菓子は、大切に食べるタイプだと思うんだ。贈ってくれたひとたちを思い出しながら、一つ一つ、平等に」
その声は小さく震えていた。凍てつくような寒さの中であっても、冒険者の頬は熟れた林檎のように赤く染まっている。オルシュファンは白い息を吐きながら、静かに冒険者の言葉に耳を傾けた。
「その平等の中に、私も含まれていたらどうしよう。貴方の1番が私じゃなかったらどうしようって、怖くなっちゃって」
冒険者は、チョコレートの包みをぎゅっと握りしめた。
「酷い自惚れだよね。ごめん、変なこと言っ」
その言葉を言い終えるよりも先に、オルシュファンは冒険者の唇に口付けを落としていた。
「っ、オルシュ」
「お前は何か勘違いをしているようだが、私は誰にでも優しくて平等なわけではないぞ」
大きな手のひらで細い手首を掴み、溢れ出る言葉を再び口付けでせき止める。冒険者がくぐもった声を上げていることを気にも止めずに、オルシュファンは柔らかな唇を貪った。
「こんなことをしたいと思う相手はお前だけだ」
冒険者の口から垂れた唾液を舌で舐め上げながら、オルシュファンは不敵に笑った。